今日の「 お気に入り 」。
最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 - ) の随筆「 村上
朝日堂の逆襲 」( 新潮文庫 )の中に 「 阪神間キッ
ズ 」というタイトルの小文がある 。
その冒頭に こんな一節がある 。
「 僕が生まれた場所は一応京都だけどすぐに兵庫県
西宮市夙川というところに移り 、それから同じ兵
庫県芦屋市に移っている 。だからどこの出身かと
いうのは明確ではないのだが 、十代を芦屋で送り 、
両親の家もここにあるのでいちおう芦屋市出身と
いうことになっている 。本当のことを言うともっ
と漠然と『 阪神間出身 』ということにしてもら
えると僕自身しっくりするのだけれど 、この『 阪
神間 』という言葉のニュアンスは関西関係者以外
にはいくぶんわかりづらいところがある 。」
( ´_ゝ`)
懐かしい地名が並んでおり 、思わず書き留めた 。
筆者が生まれた場所は 一応 芦屋 だけれど 、六歳の時に 、
親の事情で 、同じ兵庫県の豊中市に移り 、八歳の誕生日
を迎えたばかりの その誕生日の 一週間後に 、父親が急死
した 。そのごたごたが片づかない内に 、残された一家は
あわただしく「 東下り 」をした 。筆者もその一員として 、
爾来 七十年近く 関東圏に住まいしている 。筆者の元々の本
籍地は 「 大阪府大阪市南区上本町〇丁目〇〇番地 」であり 、
その地は父親の本籍地であったらしいが 、筆者は一度も住ん
だことがない 。大阪城の南の方角 、現在は 商業地だか住宅
地だかのまん中にある住所地である 。無論行ったこともない 。
昭和から平成に代わった年に 、中央区に転属されたらしい 。
筆者の明治生まれの母親は 、村上春樹さんの母上と同じ 、
大阪・船場の商家の娘であった 。
六歳になるまでの 、生まれ育った昭和二十年代の「 芦屋 」
に 、格別の思い出はない 。芦屋出身であると言うのには 、
いろんな理由で 抵抗があるので 、「 阪神間出身 」という
ことにしてもらえると 、村上春樹さん同様 、しっくりする
のだけれど 、そうもいかないようなので 、「 本籍地のあっ
た 大阪 」出身 の 東京 育ち ということにしている 。父祖の
地 関西圏に戻ることは この先も おそらくないだろう 。