たまには、国立国会図書館で放送歴史関連の資料でも
読みに行きたいのだが、
新型コロナウイルスのせいで、今週は臨時休館みたいだ。
さて、今日はテレビネットについて書きます。
以前に、国会図書館に行ったとき、
朝日放送の社史も読んでおります。
そもそもテレビの腸ねん転とは、テレビ局の系列ネットの話で、
関西では、朝日放送という社名なのにTBSをネット、
毎日放送なのにNET(テレビ朝日)をネットしていたことを指す。
資料 20世紀放送史より
朝日放送の社史にANN系へのネットワーク変更のいきさつについて詳しく書いてあった。
テレビ局の社名と新聞の系列の違いについてやきもきしていたのは
新聞社のほうで、朝日放送としては、株主が朝日新聞だけでない事から
簡単にテレビネットを変更できるものでなかった。
朝日新聞からネット変更の申し入れに、朝日放送は条件を出す。
・NETは教育局のため(当時は)一般局にならないと他のネットに勝てない
・新聞の資本が混在しているため整理すること
・NETは赤字続きなので経営を立て直さなければ一緒になれない
などと朝日新聞に出直しを求める。
当時の担当者は田中角栄にも相談したようです。
角栄は相談内容を見透かしていたようで、
「私は一挙に免許を下ろしたが、一つ見落とした。それはテレビネットワークの重要性だ」
などと発言しているようです。
科学局である東京12チャンネル(テレビ東京)が経営難で
財界にテコ入れを求めたのを機に
在京局の資本を整理。(1974年2月)
74年4月朝日新聞は朝日放送を訪れ、正式にネット変更を要請。
朝日放送も時間がかかるだろうが、円満に事を運ぶことに。
しかし、株式交換の頃よりネット変更は時間の問題と世間からとられた。
朝日放送はTBSを訪ね、(ネット変更)実現時期についてはまだ先と告げるのだが、
TBSは「今が一番円満に事が運べる」として逆にJNN離脱要請を受ける。
ABCをはじめTBS、NET、MBSで同日に記者会見。
75年3月31日をもってネット変更を行う旨を発表したのである。
朝日放送のネット変更年表を資料としてあげておきます。