先日、スーパーで久々に会った方からこんなことを言われた。
「先生、もういやになっちゃったよ。
私、80になったら、急にがっくりきちゃって・・・。」
彼女は、以前、私の講座を何回か受講してくださった方で、
今でもお会いすると、「先生」と呼んでくださる。
80歳になって、体力的な衰えもあったのかもしれないが、
離れて暮らしているお嬢さんから、
「お母さん、もういいよ。これまで頑張ってきたんだから。
もう頑張らなくてもいいよ。」
と言われたことが、どうも「がっくり」の原因のようだ。
毎年、梅を漬ける時期になると、
彼女はホームセンターで、カートにたくさんの保存瓶を積んで、レジに並んでいた。
「東京にいる息子たちに梅酒を作って送ってあげるんだよ。
去年のが残っているから・・・って言われるけど、毎年楽しみにしているから。」
と話していた。
一方、こんな女性もいる。
彼女は82歳。
食品会社の社長を務めている。
入院中に部屋は別だったが、友達になった。
リーダー的存在で、毎日、朝昼晩の食事の前になると、
「お~い!! 歩くよ~。」と言って、仲間に声を掛け、
廊下をみんなでウォーキングした。
治療の副作用で辛い時もあったはずだが、
彼女は仕事の連絡が入ると、パッと顔つきが変わり、
ノートパソコンとスマホを持って、ロビーに出て仕事をしていた。
退院の日も
「この後、このまま打ち合わせに行くよ。4つ打ち合わせ、入っているから。」
と言って、颯爽と病院を飛び出して行った。
この二人の女性を見て、
私は、精神科医 香山リカさんがおっしゃった「かけがえのなさ」という言葉を思い出した。
82歳の食品会社の社長は、ご主人が亡くなられた後、会社を引き継ぎ、
コロナ禍も乗り越えてきた。
そして、今、病気も乗り越えようとしている。
自分の「かけがえのなさ」に自信を持っている。
前出の80歳の女性は、お嬢さんの一言(もちろんお母さんへの愛情から出た言葉であるが)が
きっかけで、
「自分はもう社会の何の役にも立たない。いないほうがいい。」
と、自分の「かけがえのなさ」に自信がなくなってしまった。
でも、彼女とスーパーで立ち話をしている間、
彼女のお友達だけでなく、スーパーの店員さんまで、彼女に声を掛けていた。
かなりの人気者である。
あなたを必要としている人はたくさんいるんだよ。
光り輝く特別な存在にならなくても、
ありのままの自分で生きることに十分価値があるんだよ。
と、香山リカさんがおっしゃった言葉を彼女に送りたいと思う。
※写真は、本文とは関係ありません。
昨夜、真夜中に焼いたバナナケーキです。(^-^)
「頑張らなくて良い。」は認知症へまっしぐら。カモです。植物と関わりそう思います。
以前は花が咲けば良し、今は実を結び食卓に並べる。
美味しそうに食べる家族有っての喜びです。
義父が一気に認知機能が落ちてもご飯番人の名前は忘れませんでしたよ。喧嘩相手の妻の名は夫に繰り返し聞いても忘れてしまっていたようです。
美味しい楽しい食事万歳です。
未だ暑い日々ご自愛ください。
食べることは生きる事
最近、高齢で病気もある父を見てそうつくづく思います。
今も美味しいと普通に食事を摂れています。
そして、母を見ると、母を必要としてる、母が必要
そう思います。
「頑張らなくていい」そう言わないで
「まだまだ頑張って」と両親を叱咤激励したいと思います。
そう、自分自身にも(^^♪
>お早うございます。... への返信
小さな森さん、おはようございます。
お義父様のお話を聞かせていただき、ありがとうございます。
毎日のお食事がお義父様にとって
最高の喜びだったことが伝わって参ります。
そして、頑張り過ぎずに、
メリハリをつけて頑張ることが大切なんですね。
頼りにされているとわかっただけで、生きる希望が沸いてきます。
小さな森さんも、ご自愛ください。
草刈りの時はお気をつけて。(^-^)
>まだまだ... への返信
りりんさん、おはようございます。
ご高齢の方にとって「まだまだ」って大切な言葉なんですね。
「頑張らなくてもいいよ。」ではなくて、
「お母さんの梅酒、飲みたいから、まだまだ頑張ってよ。」と言われたら、
ブログの中の女性も、こんなにがっくりこなかっただろうと思います。
必要とされることは生きがいに繋がりますね。
りりんさんのご両親、今日もおいしそうにお食事されるのでしょうね。