雨降って・降って・降って・降って・・
どこまで降り続くのかと思ったが、今日の夕方になってようやく降りやんだ。ただし、明日の予報も雨らしい。
今週は台風もきて、台風一過の晴れ間を拝むこともできず、それからずっと降り続けた。
シルバァウィークなんて浮いた感じじゃなくて、休んだりまた仕事したりで変な感じ。
明日は用務で出かける。出先で東京藝大の本を読みたいと思ったが、丸善にもAmazonにも在庫がない由。
人気があるのかな。
美大とか、美術専攻の人たちが、どんな青春時代を送っているものなのか、実際には知る由もないが(芸術家を職業として、社会で活躍されている方々は多少知己があるが、彼らは自営業者としての社会性をしっかりと身に着けた方々である)、つい自分なりに理想化してしまいたくなる。
本当に自分の心の核に忠実に生きることができたら、その人の作り出すものや、その人自身はいったいどのようなことになっていくのだろう。または、外から見てどのように映るものであろうか。
変な言い方だけど、行くところまで行ってしまった人は、やっぱり、相当にかっこいいかもしれません。
Twitterで誰かが書いていたけど、昔はなんとかき○○いとか言っていたものが、やがて「おたく」と呼ばれるようになる。おたくも最初はどちらかというとネガティブなイメージの存在だったのが、次第に「をたく」と変じてきてむしろ選ばれた民にちかい感覚で語られるときがある。
考えてみれば、天才というのはおたくのひとつの変形なのかもしれない。
いずれにしても、僕は若いころに何かを追求しつくし、心の核に迫ることもしなかったし、オタク的なこだわりをすることも、結局できなかった。なにかをしていると自分で作ったリミッターが見えてきて、そこでやめておこう、と思うことが多かったし、今でもそうだ。 なんとも中途半端だ。
若いころに、もっと限界まで自分を突き詰めてみたかった気はする。
でもだぶん、いろいろな環境や、生活条件などの関係で、それは無理なことだったんだろうな。
まあ、その一方で、社会人としては何度も崖っぷちに立ち、溝に落っこちては這い上がりながらここまで来たんですけどね。。
道具としてのカメラは好きだけど、写真家志望ではないので、重い機材はあまり好きではない。
使っていると相性のいい道具というのはあるもので、このG3などは、後継のG6を持っているのに、いまだにいつも手元にあって使っている。
先日G8が発表になったので、もう4代もまえのモデルなんだけどね。
今のカメラは昭和レトロ風が主流になってしまい、あまりこういう傾向のデザインは出てこない。
もうひとつの普段使いはこれだけど、さいきんはスマホにその座を脅かされている。もうちょっとシャキッと取れてくれればなあ。。