写真は2009年のテヘランのナッツ店
最初にイランに行ったのは2007年。
その年は、黄色いドアは外れかけたようなタクシーがテヘラン中を走っていた。
その後1,2年経つと、壊れたようなタクシーは一切なくなり、変わって新品の美しいタクシーがテヘラン中を賑わせた。
2007年には「日本日本」と行っていたイラン人たちが2,3年も経つと「韓国韓国」と言い始めた。
私が訪れた最後の2010年。
その頃イランでは「日本日本」と言う言葉は消え、変わって「中国中国」と褒め称える。
彼らは多くの商品を指差して誇らしげに言った。
「これらは全て中国製だよ。」
そして彼らは、列車を指差して口々に言った。
「あの列車は中国まで続いてるんだ。」
私が訪れた数年の間にイランの情勢は大きく移り変わっていた。
2007年には10000リアルは110〜120円であった。
その後どんどんと物価は上がり、彼らはため息をついて私に言った。
「イランはどんどんと悪い方向に向かっている。何が起きても、不思議ではない。」
そう言いながらもお金をこう貧しい人たちに対して、施しの精神を忘れない。
彼らはにこやかに財布から5000リアル程度の施しを快く行なっていた。
イラン庶民は元来、紳士的で親切な方が多いと思う場面に、再三遭遇したことを覚えている。
イランの若者たちは、現在闇パーティと称して、酒を用い鉄道という。
見つかれば、重罪。むち打ち40回の刑だと聞いたことがある。
そんな重罪の罰の危険をさらしてまで、パーティに参加する若者がいるという。
2010年を最後に、イランに行く機会も失ってしまったが、今のイランはどんな風であろうか。
あの陽気な子供達の笑顔は絶やされることなく、日本人の私がイランに行ったとしても笑顔を投げかけてくれるであろうか。
あの親切なイラン人たちは、今の私をどう受け止めるのであろうか…。
6度ばかり訪れる機会に恵まれたイランである。
私にとっては、妙に懐かしい国である。
「臓器売ります」家族のために 制裁にあえぐイラン国民
11/6(火) 21:55配信 朝日新聞デジタル
「臓器売ります」家族のために 制裁にあえぐイラン国民
テヘランの医療機関の壁などには「緊急で臓器を売りたい」などと書かれた貼り紙が絶えない=10月24日、杉崎慎弥撮影
米国が5日に再開したイラン産原油に対する禁輸制裁は、経済難にあえぐイランの人々をさらに追い詰める。8月に第1弾の制裁が再発動されて以降、インフレ率が上昇し続け、国民生活を圧迫してきた。首都テヘランでは臓器売買で生活費を得ようとする人々も増えているという。
【写真】「緊急で臓器を売りたい」などと書かれた貼り紙が壁中に
テヘランの病院前の壁や病院内のトイレなどには、臓器の購入者を募る手書きの貼り紙などが数十枚あった。イランメディアなどによると、イランでは「イラン腎臓財団」に登録して移植許可を得れば、提供後に財団から1億8千万リアル(約48万円)の謝礼が出る。ただ、早期の移植を求め、貼り紙やネットを通じて個人間で腎臓を売買し、財団の謝礼以外に代金を得る例が絶えないという。
臓器移植を専門にする病院で働くジャバッド・ミルサリムさん(23)は「病院内外で貼り紙を毎日はがすが、翌日には取引を希望する貼り紙だらけになる」。同病院の関係者によると、臓器移植は昨年比で2倍に増えたという。20代~30代の男性が生活のために腎臓を提供するケースが多いという。
テヘランで電器店を営むベフルーズ・アフマディさん(44)は10月初旬、「3億リアルで腎臓を売る」という貼り紙を出した。トランプ米大統領が核合意の離脱を宣言した5月以降、経済の悪化で客足が激減。月収は3千円程度に落ち込み、高利貸などに借りた約80万円相当が返済不能に。利息の督促に追われており、今月末までに元本を返せなければ訴追され、収監されるという。
アフマディさんは妻(42)と長男(9)、次男(2)の4人暮らし。「家族の未来のために売らなければならない」と涙を流し、「トランプはイランの国民ではなく政府や体制が標的と言うが、苦しんでいるのは国民だ」と語った。
最終更新:11/6(火) 23:57 朝日新聞デジタル より
ご訪問くださいましてありがとうございます。
最初にイランに行ったのは2007年。
その年は、黄色いドアは外れかけたようなタクシーがテヘラン中を走っていた。
その後1,2年経つと、壊れたようなタクシーは一切なくなり、変わって新品の美しいタクシーがテヘラン中を賑わせた。
2007年には「日本日本」と行っていたイラン人たちが2,3年も経つと「韓国韓国」と言い始めた。
私が訪れた最後の2010年。
その頃イランでは「日本日本」と言う言葉は消え、変わって「中国中国」と褒め称える。
彼らは多くの商品を指差して誇らしげに言った。
「これらは全て中国製だよ。」
そして彼らは、列車を指差して口々に言った。
「あの列車は中国まで続いてるんだ。」
私が訪れた数年の間にイランの情勢は大きく移り変わっていた。
2007年には10000リアルは110〜120円であった。
その後どんどんと物価は上がり、彼らはため息をついて私に言った。
「イランはどんどんと悪い方向に向かっている。何が起きても、不思議ではない。」
そう言いながらもお金をこう貧しい人たちに対して、施しの精神を忘れない。
彼らはにこやかに財布から5000リアル程度の施しを快く行なっていた。
イラン庶民は元来、紳士的で親切な方が多いと思う場面に、再三遭遇したことを覚えている。
イランの若者たちは、現在闇パーティと称して、酒を用い鉄道という。
見つかれば、重罪。むち打ち40回の刑だと聞いたことがある。
そんな重罪の罰の危険をさらしてまで、パーティに参加する若者がいるという。
2010年を最後に、イランに行く機会も失ってしまったが、今のイランはどんな風であろうか。
あの陽気な子供達の笑顔は絶やされることなく、日本人の私がイランに行ったとしても笑顔を投げかけてくれるであろうか。
あの親切なイラン人たちは、今の私をどう受け止めるのであろうか…。
6度ばかり訪れる機会に恵まれたイランである。
私にとっては、妙に懐かしい国である。
「臓器売ります」家族のために 制裁にあえぐイラン国民
11/6(火) 21:55配信 朝日新聞デジタル
「臓器売ります」家族のために 制裁にあえぐイラン国民
テヘランの医療機関の壁などには「緊急で臓器を売りたい」などと書かれた貼り紙が絶えない=10月24日、杉崎慎弥撮影
米国が5日に再開したイラン産原油に対する禁輸制裁は、経済難にあえぐイランの人々をさらに追い詰める。8月に第1弾の制裁が再発動されて以降、インフレ率が上昇し続け、国民生活を圧迫してきた。首都テヘランでは臓器売買で生活費を得ようとする人々も増えているという。
【写真】「緊急で臓器を売りたい」などと書かれた貼り紙が壁中に
テヘランの病院前の壁や病院内のトイレなどには、臓器の購入者を募る手書きの貼り紙などが数十枚あった。イランメディアなどによると、イランでは「イラン腎臓財団」に登録して移植許可を得れば、提供後に財団から1億8千万リアル(約48万円)の謝礼が出る。ただ、早期の移植を求め、貼り紙やネットを通じて個人間で腎臓を売買し、財団の謝礼以外に代金を得る例が絶えないという。
臓器移植を専門にする病院で働くジャバッド・ミルサリムさん(23)は「病院内外で貼り紙を毎日はがすが、翌日には取引を希望する貼り紙だらけになる」。同病院の関係者によると、臓器移植は昨年比で2倍に増えたという。20代~30代の男性が生活のために腎臓を提供するケースが多いという。
テヘランで電器店を営むベフルーズ・アフマディさん(44)は10月初旬、「3億リアルで腎臓を売る」という貼り紙を出した。トランプ米大統領が核合意の離脱を宣言した5月以降、経済の悪化で客足が激減。月収は3千円程度に落ち込み、高利貸などに借りた約80万円相当が返済不能に。利息の督促に追われており、今月末までに元本を返せなければ訴追され、収監されるという。
アフマディさんは妻(42)と長男(9)、次男(2)の4人暮らし。「家族の未来のために売らなければならない」と涙を流し、「トランプはイランの国民ではなく政府や体制が標的と言うが、苦しんでいるのは国民だ」と語った。
最終更新:11/6(火) 23:57 朝日新聞デジタル より
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