ヤマボウシの実が十日くらい前から色づき初めてきました。
今日は少しでしたが,まだまだ順を追って赤くなりそうです。
ジャムにできるということなので,少し早生の実をとって冷凍保存しておきました。
数が集まればお鍋で煮てみたいと思います。
どんな味、色、香りがするのでしょうか?とっても楽しみです。
オーイ、ヤマボウシ! 今年はいやに色が濃いぞ! (3枚)
ヤマボウシの花は6~7月に開き、多数が球状に集合。外側に大形白色の総包片が4枚あり、花弁のよう。
5月31日 2 ヤマボウシ 馬見丘陵公園にて(3景)
ヤマボウシが少し白くなり始めました。 (4景)
ヤマボウシを二階から写してみました。 (4景)
ヤマボウシ 薄黄緑色の花が咲き、白色の総包片が散りはじめています。(13景)
ここのところもマイブームは、DeAGOSTINI の『隔週刊 バレエDVDコレクション』です。
家事の合間に『白鳥の湖』『くるみ割り人形』をかけて,音楽にうっとりバレエにうっとり…。
好きなポーズはまねてみますので,少し形を覚え始めてきました。
『白鳥の湖』『くるみ割り人形』共に、各七回程度は楽しんでいます。
家事の途中でも音楽の箇所で、舞台の踊りが思い描かれます。
すると困ったことに,見ている時も見ていない時も心の中で音楽を口ずさみ、踊ってしまいます。
親子共々阿呆で、子も踊って遊んでいます。
楽しみながらバレリーナのようにスタイルがよくなれば、一石二鳥と、一人ほくそ笑んでいますが、まぁ!無理でしょう。
バレエについても僅かばかりふれておきましょう…。(って、全く知りませんので、いい加減でデタラメな内容です。悪しからず…聞き流して下さい。)
バレエは素晴らしく美しいです。あらすじは単純で童話などをとった演目も多いようですが、音楽と踊りと構成がとても面白いのです。
『白鳥の湖』は幾何学的な構図をとり,色彩も美しく,かなり好みです。
また、『くるみ割り人形』も楽しくて仕方がありません。もし将来,わたくしに孫ができたならば、一緒に見たいと思います。おそらく幼子は目を輝かせてくいいいるように見るのではと感じます。
歌舞伎との類似点が多くあります。
形はかなり重要視されます。
不要な物はすぐに片付けられます。歌舞伎なら黒衣(くろご)が役を果たしますが,バレエでは上手い踊り手がその役割を果たし、マントで隠していったり誘導したり。能楽でいえば後見人のようなこともなさり,舞台全体を絶えず見渡しながらご自分もあらすじの中で巧みに踊り演じられるようです。
筋書きが簡単で踊り手の感情表現が舞台に乗る部分も,歌舞伎に似ています。
バレエは美術性にたけた舞台構成で、魅力的。オーケストラは生で、黙劇。オペラは好きですが,場合によっては声(歌)が自分の好みに合わない…といった悲劇も起りません。
わたしはバレエが結構好きかもしれません…。
さてさて今日はDeAGOSTINI 第3号『眠れる森の美女』の発売日です。今回はパリ・オペラ座バレエ団。期待ができそうですね。
今日未明
中村芝翫丈がお亡くなりになられ(てしまい)ました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
わたくしにとっては、歌舞伎役者さんの中でも片手に入る、好きな役者さんでした…。
もう一度見たいと言う夢叶わず…。
芝翫丈が演じられる好きな演目が、とても多くありました。
これからは芝翫丈のお舞台が拝見できないのは、とても悲しいことです。
今月 衛星劇場で富十郎さんとの共演『お江戸みやげ』を楽しみにいたしておりました。
中村芝翫丈のこの演目舞台も、好きなものです。
録画し、手元に置いておこうと思います。
芝翫茶と桜を捧げます。
合掌
今月は御園座に福助丈、南座に橋之助丈が出演されています。
役者さんは大変だなと感じます。
お舞台の成功を祈願しております。
福助さん、橋之助さん、
お疲れになられませんように…。
人間国宝で歌舞伎俳優の中村芝翫さんが死去 83歳
テレビ朝日系(ANN) 10月10日(月)14時19分配信
人間国宝で歌舞伎俳優の中村芝翫(しかん)さんが、10日未明、肝不全のため亡くなりました。83歳でした。
関係者によりますと、中村芝翫さんは2005年に肝臓がんが見つかり、治療を続けてきましたが、今年1月に体調を崩して入院していました。午前0時50分、肝不全のため都内の病院で亡くなりました。83歳でした。中村芝翫さんは、1928年に5代目中村福助さんの長男として生まれ、1967年に7代目中村芝翫を襲名しました。名女形として知られ、「菅原伝授手習鑑」など数々の演目に出演し、人気を博しました。1996年には功績が認められ、人間国宝に認定されていました。
最終更新:10月10日(月)14時33分
芝翫茶(しかんちゃ)
江戸時代、大阪の歌舞伎役者、三世中村歌右衛門(俳名 芝翫)が好んで用いた気味を帯びた茶色。
広く女性の間に流行した。
芝翫茶(しかんちゃ) 色見本
121;『鳥獣虫魚の文学史 2 鳥の巻』から「竹取物語 燕の子安貝」など 146ページまで
『鳥獣虫魚の文学史 2 鳥の巻』から「竹取物語 燕の子安貝」など 146ページまで
鈴木健一編
三弥井書店
平成23年8月
P.363
2800円
土曜日、
例の美人の先生の古典講義で、『竹取物語』の三人目から五人目を聞く。
前回と今回で繰り返しおっしゃっていたことは、『竹取物語』は本来 三人だったが、のちに二人を付け加えたということ。
「三」という数字には意味があり云々の話は度々聞き、活字でもあるが、風吹ジュン似の先生もそのことをおっしゃっていた。
「グリム童話」に出てくる複数の話にしても、「伊勢物語の九十九髪」にしても、三人目の娘や息子は出来がいいことを思い出す。
日曜日、
たまたま『鳥獣虫魚の文学史 2 鳥の巻』「竹取物語 燕の子安貝」(吉田幹生先生)を読んでいて、興味深い記述が多くあった。
その中のひとつ、求婚社の人数について書かれた箇所があった。
虫麻呂歌集の菟原(うない)処女伝説 (万葉集 9 1809・1810・1811 親魄に逢う蔵書様)
ウィキペディアより ▼
菟原処女の伝説(うないおとめのでんせつ)とは神戸市東部に伝わる、二人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、男たちが後を追って死んだという伝説である。古くは『万葉集』に歌が残されており、奈良時代から語られていた。
東灘区御影塚町の処女塚、灘区都通の西求女塚、東灘区住吉宮町の東求女塚は彼らの墓と伝えられる。しかし実際の築造時期はそれぞれ異なっており、事実とは考えられず、この地方の豪族を葬った墓と見られる。中央区脇浜町には乙女塚古墳があるが関連は不明。
あらすじ [編集]
神戸の東部から芦屋にかけてが、大阪湾沿岸の湿地に茂る芦を屋根にふいて葦屋(あしのや)と呼ばれていた頃の話である。
葦屋の菟原処女(うないおとめ)という可憐な娘がいて、多くの若者から思いを寄せられていた。中でも同じ里の菟原壮士(うないおとこ)と和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の立派な益荒男が彼女を深く愛し、妻に迎えたいと激しく争うようになった。処女が母に語らく「卑しい私のために立派な男たちが争うのを見ると、生きていても結婚などできましょうか、黄泉で待ちます。」と嘆き悲しんで死んでしまった。茅渟壮士はその夜、彼女を夢に見て、後を追った。菟原壮士も負けるものかと小太刀をとって、後を追った。
親族たちは集まって、この事を長く語り継ごうと、娘の墓を中央に、男の墓を両側に作ったという。
1809 省略 (万葉集 9 1809・1810・1811 親魄に逢う蔵書様)
1810 反歌
芦屋の菟原娘子の奥つ城を行き来と見れば音のみし泣かゆ 『鳥獣虫魚の文学史 2 鳥の巻』「竹取物語 燕の子安貝」(吉田幹生)写す
1811 反歌
墓の上の木の枝なびきけり聞きしごと千沼壮士にし依りにけらしも 『鳥獣虫魚の文学史 2 鳥の巻』「竹取物語 燕の子安貝」(吉田幹生)写す
上 (1809・1810・1811)に見られるように、妻争い伝承においては,一人の女性を巡って複数の男性(通常は二人)が争い その勝者が女性を手にいれるというのが一般的な形であったと書かれている。 46ー47
一方、古典講座と同じく、はじめの求婚者三人と後の二人に求める品の内容がかなり変化する。
また、後の二人は駄洒落的なことばあそびで締められており、付け加えられたと考えることもできるのかもしれないと感じた。
『鳥獣虫魚の文学史 2 鳥の巻』「竹取物語 燕の子安貝」(吉田幹生先生)ではなぜ燕なのかといった点を詳しく解説しておられ、講座を受けた翌日のこの箇所を読むことができた偶然を喜んでいる。
今回は『鳥獣虫魚の文学史 2 鳥の巻』の途中までですが、古典講座記録と合わせて,記録してみました。
今日も題などの記録だけで失礼いたします。
1835年10月9日
サン・サーンスの生まれた日 (1835年10月9日 - 1921年12月16日)
サン・サーンスの名前は、シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)
フランスの作曲家、オルガニスト、ピアニスト。
現在では、組曲『動物の謝肉祭』、交響曲第3番『オルガン付き』、交響詩『死の舞踏』などが特に有名。
その作風は折衷的、あるいは穏健かつ知的といわれる。
「さぁ,みんな!動物の謝肉祭が、始まるよ☆」
Saint-Saens : The Swan ( Le Cygne ) - Carnival of the Animals
笠山荒神社 霊場・閼伽井(あかい)不動明王
806年、空海は高野山建立を志し、笠山に来られた。
鷲ヶ峯は入山禁止の山のため、この池で身を清め21日間の行を修め、下山の後高野の山を開基する。
空海は 再度笠山に登り、閼伽井の池にて水行。
此処に不動明王を祀り荒神の分身をさずかり高野山にもどり山寺を開山したと伝えられる。
この分神を吉野(たてり)に奉祀し、たてり荒神と名付けられる。
それ以後この池は荒神参拝の前に身を清める浄水として用いられる。
笠山荒神社の鳥居をくぐり,外を見たところ。
左に上がる鳥居道を登りきると、荒神神社。
『禁葷酒』の戒壇石や注意書きは度々見るが、「当神社以外の…」を見たのは初めて。
理由は全く分からない。
地理的には笠山荒神社は天理近くの桜井に位置する。
白龍社
黒龍社
日章之瀧が流れ込む (写真中央)
空海が水行したと言われる閼伽井の池。(写真左下)
水をまつっているのだろうか…
この形を見たのは、わたしは初めて。
弁財天社
閼伽井(あかい)不動明王
所在地;桜井市笠
交通;近鉄桜井駅より バスで「笠荒神口」下車
笠山荒神社 0744-48-8312
10月7日から9日までの3日間、長崎くんちが催される。
長崎くんち 新橋町 阿蘭陀万歳
NOB8823NOB さん( 2010/09/24) からお借りしました。
阿蘭陀漫才は龍踊りや鯨の潮吹き等と並ぶ長崎くんちの代表的な奉納踊りの一つ。
万歳(青)と才蔵(黄)二人の異人さんが繰り広げる一風変わったコミカルな踊りが会場を沸か せます。
長崎くんち 船大工町 川船
NOB8823NOB さん( 2010/08/14) からお借りしました。
長崎くんち 船大工町 川船
長崎くんち 船大工町 川船のこのリズムは 祇園囃子に通じる部分があり、京都生まれ京都育ちの私にはとてもなつかしく感じられます。
長崎くんち 馬町 本踊「今日爰祭祝三番叟」
NOB8823NOB さん( 2010/10/08 ) からお借りしました。
長崎くんち 馬町 本踊「今日爰祭祝三番叟」
わたしの好きな三番叟が,長崎くんちでも「今日爰祭祝三番叟」として演じられているそうです。
kunchi2010 八坂町 川舟
tenbosch1954 さん( 2010/10/07 ) からお借りしました。
長崎くんち、3番手は八坂町の川舟です。
船が軽いので軽快な動きとスピードが見所です。
演技終了後の、<もってこ~い!>のやり取りも面白いです。
長崎くんち 籠町 龍踊(じゃおどり)
azydiarykitty さんが(2010/09/15) からお借りしました。
ずぐら、玉探し、玉追い
(上の写真は、安倍文殊院の西古墳です。)
安倍文殊院
(「本尊文殊菩薩」は撮影禁止のため、下の看板を写した物です。)
安倍文殊院(奈良県桜井市安倍山)で公開中の 獅子に乗った木彫極彩色の「本尊文殊菩薩」を見に行きました。
「本尊文殊菩薩」は高さ7メートル。
快慶の作で、文殊様では日本最大。重要文化財に指定されていると,ご住職さまにご説明いただいた。
学問、智恵の授かる仏様として知られる。
安倍文殊院は平安時代の陰陽師・安倍晴明公の出生寺でもあり、晴明公に因む様々な遺跡が数多く残されていた。
十月だというのに境内にはボケの花が咲く。
「ボケ酒」「枕を巻くボケ防止てぬぐい」「ボケ防止箸」その他いろいろ売られていた。
コスモス迷路と言うコーナーが設けられており,こどもたちが喜んで何度も挑戦していたようだ。
安倍文殊院には二つの古墳があった。ひとつは,西古墳。こちらは中に入ることができる。
中には願掛け不動尊が安置されている。
西古墳の中から外を見たようす。
そうしてもうひとつの古墳は閼伽井窟(あかいのくつ)、別名東古墳。
安倍文殊院をおまいりしたことだし…
さぁ,これで少しはわたくしもおりこうさん…???
120; 『定本 柳田國男集 第十五巻』から 「女の身すぎ」「よばいの零落」「女の家」「狐の嫁取といふこと」
『定本 柳田國男集 第十五巻』から
「女の身すぎ」33-42
「よばいの零落」43-54
「女の家」 312ー319
「狐の嫁取といふこと」482
筑摩書房
柳田國男 著
1969/08/19
586ページ
3,675円
歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』を見ていたら,別れを告げられたのが9月10日、そして4ヶ月後の1月10日に八ツ橋が殺される。
この日,あの名文句「籠釣瓶はよく切れるなぁ~」と発せられる。
好きな演目だが、今回初めて日付を意識した。
1月10日といえば小正月が過ぎて3日たった日であり、地域によっては十日恵比寿の日
この日に殺しを選んだ理由は今の私には分からない。
おそらく年のはじめの活動の日…。またはじめから郭通いという理由をつけても、怪しまれずにすむ。
歌舞伎を見ていると、日を意識した演目は結構ある。
中でも『女殺油地獄』の「女の家」(5月5日)は宮田登氏を始め多くの民俗学学者が取り上げておられる。
今回『籠釣瓶花街酔醒』を見て1月10日は分からないが、「女の家」(5月5日)が気にかかり、『定本 柳田國男集 第十五巻』を取り出す。
本を読むなんて、とるに足りない単純な理由だ。
「女の家」を見終え第十五巻をぱらぱら見ていると「よばいの零落」があった。
赤松啓介氏の書かれた夜這関係の本は全集も含めて割合に読んでおり,その中にはかくある毎に柳田國男氏批判をされていたので,今回読んでみることにした。
柳田國男氏の書かれた「よばいの零落」はたいへん短い。
両側から読んだので、これで胸のつかえが降りた。
両サイドから読んだので、一応わたし也の考えは固まったが、心の中にとどめておきたい。
今回も題名などの記録のみにて失礼申し上げます。
119; 『日本の詩歌 23 中原中也 伊東静雄 八木重吉』から 「八木重吉」
『日本の詩歌 23 中原中也 伊東静雄 八木重吉』から 「八木重吉」
中央公論新社
2001年
341ページ
八木重吉 301-362ページ
3,360円
『日本の詩歌 23 中原中也 伊東静雄 八木重吉』から 八木重吉を味わう。
八木重吉の詩は初めてだが、読んでいて落ち込みそうになる気分を元に戻そうとする自分のの努力画必要と感じる詩。
詩自体は素晴らしいが,精神バランスを保つ必要を感じた。
八木重吉葉作り出すと言うよりも、心のこぼれ出す いや こぼれ出ささなければ精神が保てないようなかよわい言葉を、力のない手で受け止めた感じがした。
今回は題名などの記録だけで失礼申し上げます。
雨の合間のコスモス
9月中旬にはまだコスモスがほとんど咲いてなかった斑鳩の里ですが、今日は満開でした。
やはり◯さまに教えていただいたように、美しく咲かせるために刈り取られていたようです。
教えていただきまして,ありがとうございました。
◯さまのお話を聞いて栗ごはんが食べたくなりました。きっかけを下さいまして,ありがとうございました。
栗を始め,柿、人参葉、葉付き蕪、椎茸、キューリ、オクラ、唐辛子各種、ピーマン、さつまいも、秋ナス、アスパラなど…好きなお野菜をカゴいっぱいになるまで買いました。
紫式部の小さな苗もありましたので,ひとつ、買い求めました。
今日の奈良は生憎の雨です。
雨の合間にミニバイクを走らせて,栗がきっかけで斑鳩に行きました。
今年も法起寺のコスモスを見ることができました。例年よりコスモス畑拡張で,それは見事な景色を独り占めでした☆
今朝 ◯おじさまのブログでも、美しいコスモスを拝見したばかりでした。
優しいコスモスの色合いは,頭(こうべ)を垂れた黄金の稲穂にお似合いでした。
帰り道、雨脚が強くなる中バイクを走らせましたが,わたしは今日も幸せです。