「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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デイが増える。

2005-07-08 | ●介護録(~2015.2月)
デイサービスを現在のセンターから別なところに移り週四回利用することに決まった。(デイケアと合わせて週5回お出かけとなる)
来週、面接・契約し15日から利用開始。
理想は現在のセンターで回数を増やすことだが、空きがない。
新しいところに移るのは不安だが、(不安なのは私だけで母には関係ないのかも)認知症専門ということで、その点ではヨイのかも。

あれこれ考えることがあると落ち着かない。
母一人でこんなこといってる私…多重介護状態の介護先輩はどんなだろうか…と思いをはせる。

昨日O病院へ支払いに行った。いつもはNetで銀行振込だが、保険証をずっと持っててない…と思い出かけた。
結局、保険証を見せるのは忘れたので意味ナシ…

O病院では入院患者さんが、待合室や玄関に自由に出入りしている。やはり重度だから一見してそうと分かる。言葉は悪いけど、ウロウロ…だったり、ボッーとしていたり…。
やっばり、一見、不思議な世界。幼い子供には「不安」や「怖さ」を与えるかもしれないなーと思った時、昔のこと思い出した。

まだ小学校に行く前よく遊んだ友達のお姉さんが脳性マヒだった。歩くことも出来ず、よだれをたらした状態で、ほふく前進で、私達が遊んでいるところに寄ってきた。
何も話せないその彼女とコミュニケーションは出来なかった。だけど彼女が側にいることを嫌だと思うこともなかった。
子供には順応性や現実をそのまま受け止める力がある様な気がする。
あのとき、自分がもう少し大きかったら、あるいは、誰か一人(大人か年上の人が)間にいてくれたら、何かが変わっていたかもれしないなぁ~~なんて思う。