「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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デイケア中止。

2005-07-23 | ●介護録(~2015.2月)
昨日のうちに、月曜日のヘルパー手配(手芸の時間)も決まり、すぐに病院デイケア「J」に電話を入れた。
(事は「五分でバスに乗れ」と言われたことから始まります。何の話?と言う方は記事を少しだけ過去に戻って読んでくださいネ)

一応、私も大人げない態度をとっちゃマズイと思い「お世話になりました」なんて言ったけど…。
相手も(少し前に電話で話し合った人とは別人)
「なんのお役にもたてなくて」と返してきたけど…
悪気ないのは分かる…その言葉そのものも、まるっきり嘘ではないと思ったけど……。
なんだか声が楽しそうだったのはなぜかしら?

電話をおいて考える。

結局、あちらは何も考えず、対処しようとせず、自分たちの都合だけを私に示して、「それであなたはどうしますか」と、それはまるで窓際に押しやって自らやめるのを待っていた…そうことではないか、と思ってしまった。
だから、声は弾んでいたのよ。
私が「ケアマネと相談して…」といったところで、ホント、嬉しそうに「相談したの~」と繰り返してきたものね。
やめる決断をしたの私だけど、それしか選択技がないところに追い込まれたという気がしてならない。

向こうの思うつぼに私はやめたんだなーと、こんなことで腹立てても仕方ないけど、なんだか悔しい。
どんなに言葉を選んでみても、「患者の切り捨て」という思いは私からは消えない。
それでもあの病院とは繋がっていなければならないんだ。

将来、認知症に力を入れて、この病院と比べて遜色ない…という他の病院が現れることを願う。