「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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社会的弱者…しみじみ

2005-07-31 | ●介護録(~2015.2月)
医療も福祉(介護)も、私(母)は受ける側だ。
制度があり、システムがあり、規則があり、それらを了承して契約しているのだから、現状で無理と言われればそれまでのこと。

当然と言えば当然だ。
一人のための福祉じゃない。大勢の中のたった一人の母のために、システムが変わるはずもない。
枠からはみ出てしまえば、後は家族で…ということだ。

こうして欲しい…、こんな助けが欲しい…、まぁ、こちらはこちらでイロイロある、でも、そんな一つ一つに対応するのは無理なことだ。イチイチ聞いていたら際限なく我が儘が出てしまうかもしれないし。

(…我が儘」なんだろうか?)

もしも自分の家族が医療や福祉を受ける側になっても、そこに従事する人々は他人にすると同じように、切り捨てたり、ふるいにかけたり出来るんだろうか。

介護先輩のお父様が攻撃的症状が出てしまい、一般病棟ではない部屋に移された。その環境は、日記を読んでいるだけで泣けてくる程のところだ。
周りに危害が及ぶとなると強制入院などの処置かとられる。せめて、その環境くらいは、家族が安心出来るくらいの場所を望んではいけないのだろうか。
私たちはただ「仕方ないこと」と受け止めるしかないんだろうか。

認知症患者のへの偏見をなくし、人間としての尊厳を……なんて文面を、書籍でよく目にする。
それを書いている人は医者や大学の先生だ。その人たちが関わってたいる病院や施設は、本当にそんな環境なんだろうか。

先日、TVで某有名占い師が「ボケてるんだから、どうせ何もわからない」と発言した。
それは桝添氏が自らの経験から、母親のおむつ交換を妻にさせていた話をした時だ。彼は、母親がたとえ息子でも異性に替えられるのは嫌がるという理由からそうしていた。
介護度が上がり何もわからなくなる時はくる。その時には羞恥心もないかもしれない。
でも、認知症は発症してすぐに何もわからなくなるわけじゃない。
感情やプライドは残る。
これが認知症への偏見。それにしても、こんな言い方をする人は初めてだ。

タメイキ…。

ふと、思う。
病院も、そこのデイケアも当然日曜祭日はお休み。
ケアセンターのデイサービスも日曜日はお休み。当然年末年始もお休み。
そこで働く人々のことを思えば仕方ないんだけど、
コンビニやデパートが日曜休みだって、なんとかなるけど、待ったなしなのが病気や介護。病院こそ何よりもどこよりも年中無休にするべきだわ。
それに、日曜日にデイサービスを利用したいことって結構ある。
ここまで言うと我が儘か。

うーん、なるほど社会的弱者…しみじみ。

引きこもり

2005-07-31 | ▼ユルユル日常
従妹が半ば引きこもり状態にあることを知った。

彼女は専門学校卒業後、就職。一年もたたないうちにやめてしまった。その理由を私は知らなかった。再就職もムズカシイだろうと思い、なんとなく聞いてはいけない…そんなふうに思っていた。
私も失業しているとき「今、どうしてるの」と聞かれるのが辛くて、昔の友人に会うのがイヤだった時期があったし…。

あれから数年…就職したという話は聞こえてこなかった。
でも、アルバイトで繋げているんだろうなーと軽く考えていた。

そしてようやく、叔母(彼女の母親)から、彼女が通勤バスでセクハラにあい、その後バスに乗れなくなり、以来ずっと家にいるということが話された。(私は叔母から直接聞いてはいない)
食事も自分一人の部屋で食べているらしい。

バスでのセクハラは、太っている体型のことで何か傷つくようなことを言われたらしい。
神経が図太ければ、「フン」と聞き流して終われたようなことかもしれない。
彼女は神経のこまやかなタイプだ。優しくて、10才年上の私にも、甘えながらも気を使う。そんな性格が災いしてしまったのだろうか。

以前、TVの企画で、引きこもりの男性を家から連れ出し、社会復帰のための寮に強制的に入れる…というのがあった。
入寮後のインタビューで彼は「もっと早くこれが出来ていたら」と語っていた。そのニュアンスは、もっと早くこうしてほしかった…ということ。
「甘い」かもしれないけど、一度落ちた場所からはい上がるにはパワーがいる。
人らは、「誰でもいいから私の手を引っ張り上げて」と思う事があると思う。
他力本願、甘い、なさけない…イロイロあるけど、でも、ちよっと背中を押してあげることって必要だ。
その小さな一押しが、先に進める力になるかもしれない。

4年前会った彼女は昔と変わらないように見えた。
離れているので、なかなか会えないし、今では、電話で話す事もなくなっている。
事の全容をハッキリ知らない状況で、簡単に口を出せる事でもないと思う。彼女には両親がついているのだし…。
でも、彼女のことがとても気になる