「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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骨折、その後

2006-11-02 | ●介護録(~2015.2月)
新たな病院での検査の結果、即日入院、7日に手術となりました。

母の骨折は第二ステージで、この場合、自分の骨のまま大腿骨に繋げる方法と、人工骨を使う方法の二つが選択出来ます。
前者の場合、うまく繋がっても血流が滞り、後に大腿骨壊死になる可能性があるとのこと。
後者ももちろん人工骨の寿命は10年程度などマイナスがあります。
しかし、将来的に再び手術が必要になるかもしれないことを考えると、認知症の母の場合、人工骨を用いる手術の方がヨイという結論になりました。

幸い、今回お世話になる病院は在宅支援センターもあり訪問看護やGHも運営しているので、その点において理解があります、
「大丈夫、そういう患者さんもたくさんいるから」と先生。
完全看護なので、特につきそいをするようにとはいわれてません(術後は点滴を抜いてしまう…など考えられるので夜間泊まり込みになるかもしれないけど)
といっても、今後の母の状況で何がどうなるかはワカラナイのかなと、一応の覚悟をしているところ。
四人部屋での入院が困難の場合、ナースステーションでの管理、拘束もありえることに同意書を求められました。
…これも仕方ないな…と、思ってます。

それにしても…
病院の送り出しにヘルパーが入ってくれたけど、それでも30分かかり、ベットに入ることを拒否し…と、タメイキの出るコトばかり。
(検査に拒否がないだけマシか?)
入院病棟に行く前は「今日はここで宿泊なの」と、なんだかあっさりしていて、もしや、母にとっては、我が家にいるときも「今日はここで宿泊」という感覚だったのかなーと、ならば案外問題ないかなとおもったけど、病室に入ると一転、不安があるのか不思議なもので、こういう時は私を娘と認知し「早く一緒にうちに帰ろう」と言うのです。

食後、なんとかベットに上がってくれたので、その時に私も横になり「寝ようね~」とかなんとか言って母を寝かせて(横になると早い、すぐさま寝入った)やっとこさ帰ってきました。

周りのことを気にすることなくしゃべるので、そのうち四人部屋から追い出されるようなきがするのだけど…。
他の三人は普通の患者さん。母の奇異な言動を珍しそうに見てました。やっぱり、いい気分ではなかったな。
思わず「どこ行くの!ダメだよ、歩かないでって言われたでしよ」と声を出してしまう私も…見られてるぅぅぅ
背中に「あれ、娘さん?」なんて言い合う声が聞こえていた。