病院では母をはじめ介護の必要と思われる年配者数人が詰め所に集められていたりする。
あるおばあさんは先月100歳になった!あるおじいさんは私に戦争の話をする。
もう一人のおばあさんは、母が語りかけるととにかく笑う。
その中でマシンガントークの母一人。話すことは、あることないこと、ないこと、ないこと……。
ベットにはコールセンサーがついていて脇のほうに体が流れるとコールされる。それを知らなかった私はベットの脇に腰掛けてしまったーーー
テレビを見ながら話していると(そのテレビが釣り番組だったせいか?)
母「お腹きりに行かなきゃ」
私「えっ、どうして」
母「お腹を切ってタネをとらないと」
私「お腹切ったら、痛いよ」
母「でも、タネが腐ってしまうのよ」
私「ほっておいても、おっきいほうで出るんじゃないの」
母「出るけど、それは痛いでしょ」
……お腹きるほうが痛いとおもうんたけどね~~。
あまり痛みはないらしく立ち上がって「いたたっ…」という感じ。車イスにも自分で移るし、短い距離なら手をとってもらいながら歩いているみたい。
どうやら、手術前から歩いていたことで筋肉の硬直がないので楽らしい。
ワーカーと話すと最初に「どこまでをリハの目標にしますか」と聞かれる。初めてのことなので、思わず心の中で「えっ?」と思う。
若ければ事故以前のような社会復帰…なんだろうけど、母みたいな立場だと、車いすでイイ…とか、家の中で歩ければ…とか、杖をもってでも外に出られるように…とか、イロイロあるってことのようだ。
こっちとしては「…というより、母のケガの場合、どこまで治るモノなの?」ってのが先…なにしろシャキシャキ歩いていたから、治るモノならば事故以前に治って欲しいし。
歩行能力は骨折前より1ランク下がると思っていればヨイらしいが、結局は個人差。
例えば階段もOKになってほしいけどダメなら考える…と思ってたら、そうではなくて、階段が必要だから階段用のリハもする、ということらしい。
最大90日。それ以上の場合は訪問リハ。
最近決められたことだよね。あまり気にしていなかったけど、自分に降りかかってきた。
この病院はかなり広い範囲を訪問してくれる。以前済んでいた町でもOKなくらいだ。
地方にいくほど訪問リハの人手がなくて、退院させられても受け皿がないことを以前新聞で読んだ。
障害者自立支援法もそうだけど、なぜ、環境が整わないうちに始めてしまうのだろう?