「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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手術は無事終了♪

2006-11-08 | ●介護録(~2015.2月)
みなさん、応援パワーをありがとう~。大雨、雷のち虹再び雨…というヘンな天気の中、母の手術は一時間半ほどで終わりました。

いや~それにしても最近の医療ってスゴイ。
主治医が私に「傷はこれくらい」と言って指で作ったその巾はナント2センチ程度
「ボルト三本入れるだけだからね。一本ならもっと小さい」って。
母の傷口には、サロンパス程度の絆創膏が貼ってあるだけ。寝返りもOK。明日からリハビリ

そして完全看護ゆえでしょう「付き添ってくれ」と言われることはなく「帰るときに声掛けてください」でした。
なるべく夜付いて欲しいとか、手術後は付いて貰うかもと言われていたので泊まるつもりで出かけたけど、アラ、なんだか拍子抜け…イエ、それはとてもありがたいこと

麻酔の影響もあってか母は爆睡。今後、点滴を抜かなければいいんだけど…。

脳のCTはとったけれどMRIは動いてしまうので断念したそう。
「落ち着いたらもう一度トライしてみる」と先生。
「CTの映像ではどの辺が一番萎縮しているのでしょうか」と聞いたところ、「専門ではないからハッキリ言えない、O病院(精神科)ではなんと言われているの」と聞かれたので、O病院はCTもMRIもないと答えると、「じゃ、後でCT映像を見せてあげよう」と、専門外なのにちっともイヤな顔しない先生。

初めて母の脳を見ました。それこそトラコさん曰く「フィヨルド」です。
全体的に萎縮しているようです。特に先生が言っていたのは頭頂と前頭。梗塞などの病変はナイ。
ただ、先生は、70代ならこの程度の萎縮は一般的にもあると言いい、けして年齢的にヒドイ萎縮ではないそうだ。
ということは、認知症と脳萎縮の因果関係は???

萎縮が問題ならば、理解力低下、記憶力低下、出来ていたコトが出来なくなる、読めない、書けない…ということは納得出来る。
でも、幻覚、妄想、徘徊、作り話、思いこみ…いわゆる問題行動がなぜ出るのかってのは「萎縮」というだけではしっくりこない。
その辺を多少なりとも納得させる理屈として、「日記のページかアトランダムに抜け落ちる」だとか、「神経ネットワークが間違って繋がる」というのがある。
「A町にいるときにインコを飼っていた」というのが正しい情報だけど、Aのつぎに住んだB町とインコが繋がってしまうと「B町にいるときにインコを飼った」になる……これはこれで納得。
でも、住んだこともないC町が出てくると、うーん、どうなんだろ?って思う。だって、ヨン様とあそこの道で会った…なんて、いったい神経がどう繋がったら出てくるの?

今のところ(と一応前置きしておこう)この病院の先生も看護師も、とてもヨイ感じ。
私がこれまでに接触した病院の看護師のように、患者を上から見下ろしている感じがとても薄い。(ナイ…といってもいいくらい。)
「家にいるときと比べてどうですか」と意識レベルの低下等まで気を回してくれる。「家で一人で介護していたんですよね、大変ですねー」と言ってくれた看護師もいる。
そして、食事とか身体介護的なことをするスタッフの数も多い(と思う)
多分、職場環境がいいんじゃないだろうか?みんな優しい。

認知症患者も受け入れてることだし、ここに精神科も作って欲しいなぁ~。