「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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明日の手術(携帯から)

2006-11-06 | ●介護録(~2015.2月)
予定は12時半となりました。
入院して5日、よく動く母に(ホントに痛くないようだね~とドクター)人工骨にすると脱臼の可能性が高いので自分の骨を繋ぐほうがヨイということになりました。歩きながらくっつかせるって。

傷口も人工骨手術の半分、10センチもないみたい
勿論将来大腿骨壊死もありえるけど、それ以上に脱臼の確率高いみたい。

幸いうまく食い込んでるから痛みが小さいわけで、そのまま繋ぐのならリハも楽なのかなぁ?

入院四日目―コメント返信にかえて。

2006-11-06 | ●介護録(~2015.2月)
心配と励ましのコメントをありがとうゴザイマス。

なんだかすっかりナースステーションにいることに慣れました。夕方近くに行きデイルームで母と過ごし(テレビもみれるし)7時過ぎると「寝る」というのでナース~に戻り、なんだかんだと寝ないのだけど8時ころにはベットイン。消灯までといわれていたけど、母が寝入ると帰ってもいい…と言っていただけるので8時過ぎには病院を出る(しかし、すでにバスはない)

病院から我が家までは国道と平行して走る幹線道路をまっすぐ。歩くと30分。今はいいけどこれから雪が降る………。
結構ウォーキングと称して歩くこともあるのでそれほど苦ではなく、レンタル屋も本屋も、お菓子やもスーパーも、インテリア雑貨店も、マックも…いろいろ立ち並んでいるので今度寄ってみよう~と小さな楽しみも見つけてる。

母の様子…当然ながら病院にいる自覚もない。「今日はここに泊まるんだよ。私は別の部屋にベットがある」というと納得している。母の中では、ジジババも別のベットで寝ていることになっている。

ある時は、意識レベルが低いと感じ、一日母のそばにいて刺激を与えなくてはと思い、ある時は「アラ、おねーちゃん、来たの」と反応が良かったりする(オネーチャンは正常な反応。一人っ子ですが母は時に私をそう呼んでいる。認知症発症前から)
退屈だとか私が来ないから寂しいとかそういう感覚はないと思う。
その点はある種の救い。手術の恐怖感もないわけだし。

アイリスのサービスには保険外で「まごころサービス」というのがあるとケアマネから聞いた。病院の付き添いも対応してくれるらしい。

母の妹には連絡した。車で二時間あまりかかる場所にいるので多くは望んでいない。叔母はこの土日にお出かけ予定らしく手術日に来るかはワカラナイ。母方の親族は終わってから報告するタイプなので、しないほうよかったかな…とも思う。
「一人で大丈夫?」と聞かれたので「大丈夫」と答えた。…普通、そう答えるよね。

「介護事故」でなくても「誠意」を

2006-11-06 | ●介護録(~2015.2月)
■10月19日より三泊四日のショートステイでK苑へ。
■22日の朝、K苑より電話「朝起きたら足を引きずっていた。転倒していない。日曜なので病院に行けない。様子を見るが構わないか?」というような内容。
「徘徊直後に足を痛めることがあるがすぐに治るのでそのような類かもしれない。」と答え様子を見ることにOKした。
■その日四時30分帰宅。母は予想よりヒドイ状態。でもこの時点で私は転倒したとは思っていない。
■翌日23日、デイサービスの入浴時にアザが確認され転倒した可能性を感じる。しかし、それほどの痛みがなく、腫れも熱もないので軽く考える
■一週間経過しても回復の様子がないので近くの整形外科を受診。骨折の可能性。この時点からケアマネが動く
■翌日別の病院へ。即入院。
■同日夜、ケアマネより連絡。K苑は「今頃言われても困る。ステイ後の骨折ではないのか?家族が通院しなくていいと言った。家族でもないケアマネがなんのつもりだ」…という態度
■翌日、私がK苑に電話する。このときは申し訳なさそうにしてたけど「骨折はいつのものなのか」という逃げの態度は同じ。でも、ケアマネが「介護記録の開示を求めます」などと強気だったためだろう、その日職員二名がやってきて謝罪。
■同日夜、施設長から電話。痛い思いをさせたことに対して謝罪。(なんだかよくワカラン。病院に行って母本人に言えよ)
が、本人の過失といいたいようだ。その場合、保険が降りないので賠償ナシ。契約書も確認したから理屈は分かる。(現在、未確定)
そして「いつ頃の骨折なのか」「通院はイイといった」ということを繰り返される。ただし、「日曜日なので病院に行けない」と言われたことを告げると施設長はかなり憤慨して事実関係を調べると答えた。

当然組織は責任がどこにあるかを問題にする。だから骨折がいつのものなのか、とか、「家族か通院しなくていい」と言ったから責任はない…ということを重要視する。

私の思いは全然ちがうところにある。
骨折しているとは思ってもいなかったのは私も同じ。そして、それは本人の過失である可能性が高いとも思う。だから、骨折したコトがどうだこうだより、足引きずりがあった後、そして骨折発覚してからのあちらの初動捜査ならぬ初動対応のマズサに苛立ちを感じる。

その1…ショート終了後にフォローの電話もない。預かった身としては一度くらい足の状態はどうか?と気にするもんじゃないのか?
その2…ケアマネの介入を否定し非協力的。
その3…骨折発覚後も、私が電話するまでアクションがない。「明日大きな病院へ行く」と分かってもKの職員は動かない。(アイリスのヘルパーに送り出しをしてもらったが、K苑が付き添うべきとの話が出ていた。退院のときは車くらい出してほしいもんだ)
その4…朝「電話」で昼「病院で職員二名」に夜「施設長」に同じことを何度も説明させられた~~ったく、忙しいのに。施設長の言い訳は「東京に行っていて今知った」だと。

骨折は本人の過失、そして仮に家族が病院はいいです…と言ったとしても(転倒していないと信じてたし日曜日なので…と言われたし)結果として骨折していたら、賠償はともかく、道義的(っていうの?)責任ないの?
細かいことを言うなら、誰もみていないのだから「転倒していない」と断定したのは問題で「転倒の可能性もある」と言うべき。

私とケアマネが求めたのは簡単に言えば「誠意」
ケアマネが連絡した時「(賠償云々はともかく)対応する、直接ビゴ家に連絡する」という話をしていればケアマネも私も納得した。

K苑はいわば老舗。広く事業展開しノウハウもあるので人気も高い。
それだけに、今回の対応にはガッカリした。