「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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「納豆モナカ」のヒミツ―〈オイシイモノ?〉

2006-11-11 | ■Sweets
昔、昔、小学生か中学生のころ、たまぁ~~に給食に出ていた「納豆モナカ」(富良野の商品)。
みんな食べているのか…と思ったら、十勝管内でも採用していた学校とそうでないところがあり、北海道全域でも限られた地域でだけ給食につかわれていたらしいことを、最近、ローカルテレビの番組で知った。

そして、この納豆モナカは「ナッピー」もしくは「ナウピー」というんだそうだ。
給食で食べていた当時、この名称があったのかどうかは不明。
少なくても献立表に「ナッピー」なんて書いてなかったと思う。

………で、これ、おいしいのか?っていうと、記憶として、周りの友人だちはそれなりに普通にたべていたように思う。
で、私は…っていうと、大阪人の母に育てられたせいで納豆嫌い(今は納豆巻き三個くらいなら食べられるけど、あまり進んで食べたいとは思わない)
初めてこれを手にした時は、当然のことながら、アイスモナカだと思って口に運んだ。
ああ、その衝撃………中から出てきたのはバニラアイスではなかった……凍った納豆だった。

以来、一度も食べてない。
多分、毎回誰かにあげていたのだと思う。

検索してみたら、これを食べてみた人のオモシロイ文章を発見。実物写真もUPされているのでぜひ見てくださいな。
私が給食で食べていたのは、写真より大きい。普通のアイスモナカみたいに真ん中で二つにパキンと割れるモノ。

この記事は母の骨折発覚前に下書きしていたもの。賞味期限切れ?っとこともないだうろからUPしました。
今日は雨、明日私はハングル検定3級を受けます。午前中ちよっと勉強し、午後から洗濯やらなにやらしながらハム中国を見て、お風呂に入ってから病院へ……と思っていたけど………ザーザー雨に負けたリハビリ期間は最大90日。どうなるか分からないけど、長丁場だし、まったりいきます。



機能回復病棟にお引っ越し

2006-11-10 | ●介護録(~2015.2月)
3Fフロアの西病棟から東病棟へ。
「ナースステーション」とはいわず「スタッフルーム」と言う。最近の役所のように、ドアとか窓口のないOPENスタイル。
母はその隣側に作られているデイルーム(ここもオープン)に数人の患者さんと座っていた。
どうも、見たところ、みなさん介護が必要な人たちのよう。かなり年配の人々…アルツではなさそう。そのせいか、みんな静かでしゃべっているのは母一人?!
(もちろん、病室には一般の患者さんもいます)

看護師さんとは別の制服を着た女性たちが食事や身辺のお世話をするのは西病棟と同じだけど、こちらには、アイリスのスタッフのようにポロシャツを着たスタッフがいる。この人たちは介護専門スタッフか?
スタッフルームの奥にはベットが三台設置されていて、母はそこで寝ることになっている(一応病室も決まってて着替えなどはそこにあるのだけど)

西病棟とは違い、母のような患者に対応できるシステムが考えられているようだ。
だから今までのように、看護師が手薄になる時間帯に付いて欲しい~という要望もない。

ここまで充実しているんだから、アリセプトも処方してもらっていることだし、ぜひ精神科を作っていただきたいワ。


ひとまず一段落

2006-11-09 | ●介護録(~2015.2月)
昨日病院に行った時、ナースステーションの母のベットをみるといない…アレっ?…と思ったら、車イスで母は看護師さんの輪の中にいた。テレビでよく見るあの丸い机に数人集まって仕事している中に!(゜o゜)ヾ(--;オイオイ...
今日から機能回復病棟に移るらしい。
入院二日目、少し強い調子で私に「夕方から夜に来て欲しい」と言った看護師さん、なぜか昨日はとても優しく「夜大変たったら昼間でもいいですよ」などと言う。どうしたんだ?
私のような立場だと、昼間も夜もあまり関係ないので、まあ、このパターンでいいかな、と思っている。
母には担当ケアマネがいるけれど、病院のケアマネがやってきて、今後の話をしていった。といっても担当ケアマネにこのままつなぐことでいいですよね…みたいな話。

入院費はK苑が支払うことになった。連休明け「払います」と態度がコロリと変わった。
施設長の最初の主張は、家族が通院しなくていいといったはずで本人過失では保険金はおりないということだった。
私は本人過失については仕方ないと思っていたけど、通院しなくていい…と言う前に施設側が「日曜だから行けない」と言ったし、「転倒してない、ぶつけたわけでもない」と電話報告された身としてはそれを信じたんだーってコトもある。
施設長の声のトーンが変化したのは「日曜だから行けない」という話をしたとき。
常々「なんであろうと受診しなさい」と指導しているのだそうだ。だからホントに職員がそういったならこれは大変なことだ…と。
多分、この一点で施設側の落ち度と解釈したのではないだろうか。
調べると電話を切り、休み開けに「入院費全額負担」に急展開したから。
これがなかったら本人過失で終わったんだろう。

骨折したことは仕方ないと思う。マンツーマンで見ているわけではないし。
でも「見ていない時間帯」があるのなら「転倒していない」と断定しちゃいけないよね。
今後の方たちのためにも、今回の母のケースをしっかり学習していただきたい。
認知症は本人に病識がないからホントに難しい。

寒いデス。今夜からアジアシリーズで相手は韓国。
気になる、気になる…デイルームで野球見よう~。他の方たちあまりテレビ見ないので(病室についてるしね、液晶なんだよ~一人に一台、一日315円かかるけど)独占状態だったりする(^.^)

母がいるとき、不用意にモノをその辺に置くと、なくされるという思いがあるので、それはそれは、いつもキッチリ片づけておりました。
しかし、今は……。
何かと忙しかったというのもあるけど、あっちにもこっちにも、モノが…。
だって、誰も勝手にどこかに隠すことはないんだもの~~あ~気楽



手術は無事終了♪

2006-11-08 | ●介護録(~2015.2月)
みなさん、応援パワーをありがとう~。大雨、雷のち虹再び雨…というヘンな天気の中、母の手術は一時間半ほどで終わりました。

いや~それにしても最近の医療ってスゴイ。
主治医が私に「傷はこれくらい」と言って指で作ったその巾はナント2センチ程度
「ボルト三本入れるだけだからね。一本ならもっと小さい」って。
母の傷口には、サロンパス程度の絆創膏が貼ってあるだけ。寝返りもOK。明日からリハビリ

そして完全看護ゆえでしょう「付き添ってくれ」と言われることはなく「帰るときに声掛けてください」でした。
なるべく夜付いて欲しいとか、手術後は付いて貰うかもと言われていたので泊まるつもりで出かけたけど、アラ、なんだか拍子抜け…イエ、それはとてもありがたいこと

麻酔の影響もあってか母は爆睡。今後、点滴を抜かなければいいんだけど…。

脳のCTはとったけれどMRIは動いてしまうので断念したそう。
「落ち着いたらもう一度トライしてみる」と先生。
「CTの映像ではどの辺が一番萎縮しているのでしょうか」と聞いたところ、「専門ではないからハッキリ言えない、O病院(精神科)ではなんと言われているの」と聞かれたので、O病院はCTもMRIもないと答えると、「じゃ、後でCT映像を見せてあげよう」と、専門外なのにちっともイヤな顔しない先生。

初めて母の脳を見ました。それこそトラコさん曰く「フィヨルド」です。
全体的に萎縮しているようです。特に先生が言っていたのは頭頂と前頭。梗塞などの病変はナイ。
ただ、先生は、70代ならこの程度の萎縮は一般的にもあると言いい、けして年齢的にヒドイ萎縮ではないそうだ。
ということは、認知症と脳萎縮の因果関係は???

萎縮が問題ならば、理解力低下、記憶力低下、出来ていたコトが出来なくなる、読めない、書けない…ということは納得出来る。
でも、幻覚、妄想、徘徊、作り話、思いこみ…いわゆる問題行動がなぜ出るのかってのは「萎縮」というだけではしっくりこない。
その辺を多少なりとも納得させる理屈として、「日記のページかアトランダムに抜け落ちる」だとか、「神経ネットワークが間違って繋がる」というのがある。
「A町にいるときにインコを飼っていた」というのが正しい情報だけど、Aのつぎに住んだB町とインコが繋がってしまうと「B町にいるときにインコを飼った」になる……これはこれで納得。
でも、住んだこともないC町が出てくると、うーん、どうなんだろ?って思う。だって、ヨン様とあそこの道で会った…なんて、いったい神経がどう繋がったら出てくるの?

今のところ(と一応前置きしておこう)この病院の先生も看護師も、とてもヨイ感じ。
私がこれまでに接触した病院の看護師のように、患者を上から見下ろしている感じがとても薄い。(ナイ…といってもいいくらい。)
「家にいるときと比べてどうですか」と意識レベルの低下等まで気を回してくれる。「家で一人で介護していたんですよね、大変ですねー」と言ってくれた看護師もいる。
そして、食事とか身体介護的なことをするスタッフの数も多い(と思う)
多分、職場環境がいいんじゃないだろうか?みんな優しい。

認知症患者も受け入れてることだし、ここに精神科も作って欲しいなぁ~。

中間報告…ヒマだし…

2006-11-07 | ●介護録(~2015.2月)
30分遅れで手術開始。母は朝からなんにも食べてないので「お腹空いた」「何か食べよう」を連発(-.-;)

帯広は朝から雨。空は真っ暗。雷ゴロゴロ。今はようやく晴れて…おっ♪虹が出たぁ~

夕方、K苑の職員が来る予定。態度は急に軟下した。とりあえず入院費用は出すという話。手術当日にその話をしに来るっていうのも落ち着かないなぁ。

手術は二時間半程度。
口さみしいので売店行ってきます。(携帯より)

明日の手術(携帯から)

2006-11-06 | ●介護録(~2015.2月)
予定は12時半となりました。
入院して5日、よく動く母に(ホントに痛くないようだね~とドクター)人工骨にすると脱臼の可能性が高いので自分の骨を繋ぐほうがヨイということになりました。歩きながらくっつかせるって。

傷口も人工骨手術の半分、10センチもないみたい
勿論将来大腿骨壊死もありえるけど、それ以上に脱臼の確率高いみたい。

幸いうまく食い込んでるから痛みが小さいわけで、そのまま繋ぐのならリハも楽なのかなぁ?

入院四日目―コメント返信にかえて。

2006-11-06 | ●介護録(~2015.2月)
心配と励ましのコメントをありがとうゴザイマス。

なんだかすっかりナースステーションにいることに慣れました。夕方近くに行きデイルームで母と過ごし(テレビもみれるし)7時過ぎると「寝る」というのでナース~に戻り、なんだかんだと寝ないのだけど8時ころにはベットイン。消灯までといわれていたけど、母が寝入ると帰ってもいい…と言っていただけるので8時過ぎには病院を出る(しかし、すでにバスはない)

病院から我が家までは国道と平行して走る幹線道路をまっすぐ。歩くと30分。今はいいけどこれから雪が降る………。
結構ウォーキングと称して歩くこともあるのでそれほど苦ではなく、レンタル屋も本屋も、お菓子やもスーパーも、インテリア雑貨店も、マックも…いろいろ立ち並んでいるので今度寄ってみよう~と小さな楽しみも見つけてる。

母の様子…当然ながら病院にいる自覚もない。「今日はここに泊まるんだよ。私は別の部屋にベットがある」というと納得している。母の中では、ジジババも別のベットで寝ていることになっている。

ある時は、意識レベルが低いと感じ、一日母のそばにいて刺激を与えなくてはと思い、ある時は「アラ、おねーちゃん、来たの」と反応が良かったりする(オネーチャンは正常な反応。一人っ子ですが母は時に私をそう呼んでいる。認知症発症前から)
退屈だとか私が来ないから寂しいとかそういう感覚はないと思う。
その点はある種の救い。手術の恐怖感もないわけだし。

アイリスのサービスには保険外で「まごころサービス」というのがあるとケアマネから聞いた。病院の付き添いも対応してくれるらしい。

母の妹には連絡した。車で二時間あまりかかる場所にいるので多くは望んでいない。叔母はこの土日にお出かけ予定らしく手術日に来るかはワカラナイ。母方の親族は終わってから報告するタイプなので、しないほうよかったかな…とも思う。
「一人で大丈夫?」と聞かれたので「大丈夫」と答えた。…普通、そう答えるよね。

「介護事故」でなくても「誠意」を

2006-11-06 | ●介護録(~2015.2月)
■10月19日より三泊四日のショートステイでK苑へ。
■22日の朝、K苑より電話「朝起きたら足を引きずっていた。転倒していない。日曜なので病院に行けない。様子を見るが構わないか?」というような内容。
「徘徊直後に足を痛めることがあるがすぐに治るのでそのような類かもしれない。」と答え様子を見ることにOKした。
■その日四時30分帰宅。母は予想よりヒドイ状態。でもこの時点で私は転倒したとは思っていない。
■翌日23日、デイサービスの入浴時にアザが確認され転倒した可能性を感じる。しかし、それほどの痛みがなく、腫れも熱もないので軽く考える
■一週間経過しても回復の様子がないので近くの整形外科を受診。骨折の可能性。この時点からケアマネが動く
■翌日別の病院へ。即入院。
■同日夜、ケアマネより連絡。K苑は「今頃言われても困る。ステイ後の骨折ではないのか?家族が通院しなくていいと言った。家族でもないケアマネがなんのつもりだ」…という態度
■翌日、私がK苑に電話する。このときは申し訳なさそうにしてたけど「骨折はいつのものなのか」という逃げの態度は同じ。でも、ケアマネが「介護記録の開示を求めます」などと強気だったためだろう、その日職員二名がやってきて謝罪。
■同日夜、施設長から電話。痛い思いをさせたことに対して謝罪。(なんだかよくワカラン。病院に行って母本人に言えよ)
が、本人の過失といいたいようだ。その場合、保険が降りないので賠償ナシ。契約書も確認したから理屈は分かる。(現在、未確定)
そして「いつ頃の骨折なのか」「通院はイイといった」ということを繰り返される。ただし、「日曜日なので病院に行けない」と言われたことを告げると施設長はかなり憤慨して事実関係を調べると答えた。

当然組織は責任がどこにあるかを問題にする。だから骨折がいつのものなのか、とか、「家族か通院しなくていい」と言ったから責任はない…ということを重要視する。

私の思いは全然ちがうところにある。
骨折しているとは思ってもいなかったのは私も同じ。そして、それは本人の過失である可能性が高いとも思う。だから、骨折したコトがどうだこうだより、足引きずりがあった後、そして骨折発覚してからのあちらの初動捜査ならぬ初動対応のマズサに苛立ちを感じる。

その1…ショート終了後にフォローの電話もない。預かった身としては一度くらい足の状態はどうか?と気にするもんじゃないのか?
その2…ケアマネの介入を否定し非協力的。
その3…骨折発覚後も、私が電話するまでアクションがない。「明日大きな病院へ行く」と分かってもKの職員は動かない。(アイリスのヘルパーに送り出しをしてもらったが、K苑が付き添うべきとの話が出ていた。退院のときは車くらい出してほしいもんだ)
その4…朝「電話」で昼「病院で職員二名」に夜「施設長」に同じことを何度も説明させられた~~ったく、忙しいのに。施設長の言い訳は「東京に行っていて今知った」だと。

骨折は本人の過失、そして仮に家族が病院はいいです…と言ったとしても(転倒していないと信じてたし日曜日なので…と言われたし)結果として骨折していたら、賠償はともかく、道義的(っていうの?)責任ないの?
細かいことを言うなら、誰もみていないのだから「転倒していない」と断定したのは問題で「転倒の可能性もある」と言うべき。

私とケアマネが求めたのは簡単に言えば「誠意」
ケアマネが連絡した時「(賠償云々はともかく)対応する、直接ビゴ家に連絡する」という話をしていればケアマネも私も納得した。

K苑はいわば老舗。広く事業展開しノウハウもあるので人気も高い。
それだけに、今回の対応にはガッカリした。

やっぱりナースステーション

2006-11-03 | ●介護録(~2015.2月)
ハイ、予想通りに一般病室ではダメでした。夜中に起きあがり、ベットを出るので、看護婦さんの監視下です。

それで、付き添いのことも言われてしまいました。
原則完全介護で、その分も当然費用とるわけだから、有無を言わせず付き添え…というのではなく、その方向で考慮してくれ…と。
最初は毎日泊まり込みかとおもったけど、消灯まででヨイし、毎日でなくてヨイということだったので、手術前は夕方から出向いて九時半までというパターンにしようかなと思う。けど、電話で呼びだす…みたいなことも口走っていた看護師……イヤダよ~大体、私がいたって母は落ち着かないんだから。

術後はどうなるか、想像も出来ません。
コワイのはこれから。
リハビリなんて絶対ムリなんじゃなかろうか?車イス生活になるならやはり引っ越しだーーーと、考える分には簡単だけど、さて実際にどうなるんだーと思い詰めるとくらくなるね~ヤメ、ヤメ。

さて、思わぬ副産物です。
手術前検査で、MRIをとりますが、その時、脳も撮って貰えます。母の脳萎縮状態を初めてデータとして見られるわけです。
もはや、ココまで来ると、どんな萎縮脳であろうと怖くはない。