薩摩侵攻ツアーの番外編。
今帰仁城跡のそば、ハンタ道を行ったところにある、
ミステリアスなグスク跡。
その名も……。
はい、
「ムーミングスク」と読んだ人、手ぇ挙げて~。
(はーい)
「ムーミン」
じゃないですよ。
「ミームン」です。
ミームンってなんだ?
「三重グスク(ミーグスク)」と「沖縄の物(うちなーむん)」をヒントに、
…「三重物」…とか?(笑)
…あっ、単なる思い付きの割には、
あながち間違いでもなかったりして?
このグスク、今はこんなありさまでかろうじて石積み跡が見えるかな~
という程度ですが、
「勝連グスク」や「中城グスク」「今帰仁グスク」のような、
いわゆる「城」ではなく、
別の意味合いをもった「グスク」かもしれない、とのこと。
つまりは、住居ではなく、宗教的なものか、シンボル的なものか。
なんでも、当時はピラミッド状の形だったらしいです。
大きさも、そんな「巨大」って感じもしない。
どちらかと言えば、大きなお墓っぽい。
左:シニグンニ模型 右:ミームングスク模型(やっぱり“三重物”?)
今帰仁城跡前に設置された模型をみると、
一目瞭然。
今帰仁ムラのエリア入り口、両端に設置された、
ミームングスクとシニグンニ。
住居グスクではないことは確かですね。
琉球にもピラミッドがあった!?
みたいなミステリー。
人物比。
ガイド講師の上里さんでした
こんな場所、ガイドしてもらわないと
なかなか気づける場所じゃないですね~
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