初の、「月撮り」にチャレンジしました!
初の、と書きましたが、
もちろん月を撮ろうとしたことは何度かありますが、
そのたびに、ただの白い丸で写っちゃって、
月を月らしく撮れたことがなかったんです。
が、桔梗唐草さんのブログで、
ちょっと前に「月撮り」に関しての話題がありまして、
そのヒント(露出-MAX)を元に、今回撮ってみました!
そしたら、この通り!
わ~!
月を月らしく撮れたぞ~
※トリミングしてます
手持ち撮影です。
三脚使ったらもっとシャキッと撮れたかな。
車で走ってたら、急にオレンジ色の月が現れたものだから
急遽Uターンして撮りましたよ。
しばらくしたら、
うす雲に隠れて、朧月になってしまいました。
今回は初挑戦なので、
今度はちゃんと三脚使って再挑戦してみようと思います
今日は「1万人のエイサー踊り隊」の前夜祭に行ってきました!
3時間、たっぷりエイサーを満喫
ついでに国際通りでショッピング。
手ぬぐい7枚、ゲットです!
(沖縄手ぬぐい事情、新情報満載だー!)
ああ、手ぬぐい記事も早く書かなきゃ~
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「歴女必見!今、琉球史が熱い!鬼鷲―琉球王 尚巴志伝―」
の記事を書いたので、せっかくなので関連史跡紹介をば。
舞台にも登場する、尚巴志のお墓。
そしてその一帯を指す「佐敷森(さしきむい)」
『琉球国王・尚巴志』
その佐敷森には、
「屋比久之子(やびくぬしー)」と「平田之子(ひらたぬしー)」のお墓もあります。
この2人が何者かというと。
1469年、金丸(派)によるクーデターで、
それまで首里にあった第一尚氏王家の墓、天山陵も焼き討ちにあいます。
その際、尚巴志らの遺骨を持ち出し、
クーデターの火から逃れ、ここに隠した第一尚氏王統の家臣がこの2人。
(「翔べ!尚巴志」の舞台にも登場しています♪)
2人の墓は、尚巴志のお墓より、さらに手前にあり、
まるで、王の墓前を守っているかのようにも見えます。
こちらが平田之子のお墓。
うーとーとー。
そして、更にすこし離れた場所に、
もう一人の家臣、屋比久之子のお墓が。↓
この時代、
崖下(もしくは洞穴)風葬だったことが良く分かります。
それにしても、
尚巴志、阿麻和利、そしてここ平田之子と屋比久之子という、
読谷村にあるこれらの歴史的人物のお墓。
…の墓前に書かれている文字。
(コンクリート板に引っかくように文字が書かれている)
…同じ人が書いてるっぽいよなぁ…。
スマンがお世辞にもキレイな字とは言えない
いくらなんでも手作り感溢れすぎだ
まあ、そんな所にも注目してみると
面白いかもしれない。
という話。
2人のお墓のすぐ麓には、
サシジャー(別名、イーヌカー)がある。
この湧き水は水量・水質ともに良好で
主に飲料水として利用していたのだそう。
今でも定期的に地区で清掃を行い、利用され続けているのだそう。
実際、ワタシが佐敷森に行くたびに、
このサシジャーの前には人がいて、
水を汲んでいたりする風景(業者か?くらい)が見られました。
サシジャーについては、
また別記事でUPするかも(!?)。
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