琉球王家、尚家の家紋、「左三つ巴」の話。
この間、市立図書館で古い本を調べてたら、
左三つ巴を尚家の家紋に定めたというこんな逸話が紹介されていました。
話は1609年のこと。
忘れてはならない、薩摩侵攻の年。
時の琉球国王、尚寧は降伏し、
重臣たちと共に本土へ連行されていきます。
さて、そこで薩摩は琉球に島津氏への忠誠を誓うための
「起請文」に署名をさせられます。
その起請文は薩摩からの一方的な文面で屈辱的とも取れる内容でした。
その起請文への連判を唯一拒否したのが謝名(じゃな)親方利山でした。
そのことで謝名親方は処刑されることになります。
いざ釜茹での刑、となったとき、
謝名親方は自分を押さえている両脇の役人(死刑執行人)を道連れに、
釜に飛び込みます。
釜の中で、その3人の頭がぐるぐると廻り、髪の毛がゆらぎ、
その様がちょうど三つ巴の形になった。
尚寧王は忠臣・謝名親方の死を哀れんで三つ巴を尚家の家紋に定めた…
こわーーーーっ!!!
…って、
そんなわけあるかーーーーーいっっ!!!!(´Д`;)
ちなみに、謝名親方の処刑は釜茹での刑ではないそうです。
(なんだったかな、斬首?)
この逸話、昔は結構有名だったらしい??
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古琉球の偉人を描いてみるシリーズの
フォトブックが完成しました~
題して
『古琉球偉人草紙 三山時代~第一尚氏編』
フォトブックは前回と同じ、キタムラに発注。
121mm×188mmサイズの
プレミアムフォトブックスタイルを縦長に使用。
18ページで2480円でした。
(もちろんフルカラー)
もうちょい安いと嬉しいのですが…
でも仕上がりの色味や紙の質感なんかは上等だったので
満足のいく仕上がりになっております
1ページに1人物。
時代背景の解説や人物相関図、
人物年表も加えました。
あっ、それから、尚思紹。
入れる予定でしたが止めにして、
最後に落書きをちょろっと載せました(笑)
この時のヤツ(笑)
尚徳も着物が無地だったので柄を加えました。
王様だし。
大城賢雄は「鬼大城」表記をメインにして、
「賢勇」から「賢雄」に改めました。
さて、特に問題はなかったので、これから追加発注を入れます。
(量産予定の場合もまずは1冊だけ注文して仕上がり具合をチェックするのです)
絵的には古琉球時代の装いとしてはだいぶフィクションですが、
(片耳おだんごとか、ターバンとか、和式鎧甲冑とか…が本当なんですけどね…)
まあ、これを手にとってくれた人が、
ちょっとでも琉球史や古琉球の人物に興味を持ってくれる人がいるといいな
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