がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

阿麻和利考

2010年11月30日 | ・和心な本、琉球な本

ショクバの書庫に眠っていた伊波普猷(いはふゆう)選集から、
「阿麻和利考」を読みました。

埃をかぶって紙も赤茶けて立派なヴィンテージブックに(笑)

約半世紀前の出版。
ですが、実際に阿麻和利考が書かれのは明治34年。

正史や組踊にある逆賊・阿麻和利ではなく、
英雄・阿麻和利像を打ち出したのはこの伊波普猷の「阿麻和利考」が初めとされています。


まぁ、今では研究も進み、その「阿麻和利考」自体への共感はもちろん、
反論や疑問もあったりするのですが、
この論文が発表されたことは阿麻和利を見ていくうえで
重要なターニングポイントでもあったんですね。


なーんて。
小難しいことは本文の歴史的仮名づかいだけにしておい、て。
(↑ここらへん、女子感覚(笑))

肝高の阿麻和利にある

「首里で聞いていたお噂では、阿麻和利様は自分の田は耕さず、人様の田ばかり耕す愚か者という、悪口でした」

の元ネタ発見♪
大城賢雄の夏氏由来記にあるんだー。とか。

賢雄が「(口碑では)淫乱の人だった」とか(ぐはぁっ)。
(でも小説「百十踏揚」にもなかなかの女好きってあるけどね(笑))

モヽトフミアガリが尚泰久王の妹とか(笑)。
↑これって単純なミスよね?ああ、あの人物相関図の謎はここから来たのか。

とりあえず、そんな感じで意外と面白かったです。


あっ、大城賢雄の子孫の系譜、2代目の夏承基。
百十踏揚ではない、前妻との間にできた子っていう詳しい記述が小説「百十踏揚」に…。

もちろん、小説での記述なんですが、
でもこういうところだいぶ調べて書かれているようなんで
「阿麻和利考」にある
「賢雄と踏揚の間にできた子の後裔の摩文仁…」
というのもどうかな?というトコロです

ま、どっちも分からないんですけどね。

 

 にほんブログ村 歴史ブログ 琉球・沖縄史へ 歴史ブログ 琉球・沖縄史  
今日もご訪問ありがとうございます。ぽちっと応援お願いします♪


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首里城の穴

2010年11月30日 | ・琉球歴史/文化風景

グスクに残る、謎の穴の話。

中城グスク、安慶名グスク

そして先日の勝連グスクと、首里城!

首里城の穴はどこにあるのか未確認だったけど、
先日首里城に行った時
待ち合わせ時間よりも早くついたので散策して見つけました☆

観光コースの首里城から言えば、
裏に当たる、継世門近くの壁に穴が1つ。

もちろん、当時のものではなく、
復元したものではありますが…。

よし。

では、とりあえず、アレを調べてみよう。


↑広角レンズ撮影なのでオーバーパースで写ってます。

 

穴の方角。

 

 

 

う~ん…微妙…

 

ピッタリ北南!といいたいところですが、
若干ずれてます?

とりあえず、

やっぱりこれは「銃眼」じゃないよねぇ…。

 

 にほんブログ村 歴史ブログ 琉球・沖縄史へ 歴史ブログ 琉球・沖縄史 
記事や写真がお気に召しましたらぽちっと応援お願いします♪  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする