ショクバの書庫に眠っていた伊波普猷(いはふゆう)選集から、
「阿麻和利考」を読みました。
埃をかぶって紙も赤茶けて立派なヴィンテージブックに(笑)
約半世紀前の出版。
ですが、実際に阿麻和利考が書かれのは明治34年。
正史や組踊にある逆賊・阿麻和利ではなく、
英雄・阿麻和利像を打ち出したのはこの伊波普猷の「阿麻和利考」が初めとされています。
まぁ、今では研究も進み、その「阿麻和利考」自体への共感はもちろん、
反論や疑問もあったりするのですが、
この論文が発表されたことは阿麻和利を見ていくうえで
重要なターニングポイントでもあったんですね。
なーんて。
小難しいことは本文の歴史的仮名づかいだけにしておい、て。
(↑ここらへん、女子感覚(笑))
肝高の阿麻和利にある
「首里で聞いていたお噂では、阿麻和利様は自分の田は耕さず、人様の田ばかり耕す愚か者という、悪口でした」
の元ネタ発見♪
大城賢雄の夏氏由来記にあるんだー。とか。
賢雄が「(口碑では)淫乱の人だった」とか(ぐはぁっ)。
(でも小説「百十踏揚」にもなかなかの女好きってあるけどね(笑))
モヽトフミアガリが尚泰久王の妹とか(笑)。
↑これって単純なミスよね?ああ、あの人物相関図の謎はここから来たのか。
とりあえず、そんな感じで意外と面白かったです。
あっ、大城賢雄の子孫の系譜、2代目の夏承基。
百十踏揚ではない、前妻との間にできた子っていう詳しい記述が小説「百十踏揚」に…。
もちろん、小説での記述なんですが、
でもこういうところだいぶ調べて書かれているようなんで
「阿麻和利考」にある
「賢雄と踏揚の間にできた子の後裔の摩文仁…」
というのもどうかな?というトコロです
ま、どっちも分からないんですけどね。
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