がじゅまるの樹の下で。

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尚家三つ巴の意味

2014年04月24日 | ・琉球歴史/文化風景


↑ワタシの愛読書の1つ「平安紋鑑」☆ 

 

このブログにはなぜか人気の過去記事というものがありまして、
それが三つ巴関連の記事なんです。

ex)「右か左か!?三つ巴の謎」「尚家家紋、左三つ巴を考える【1】」「尚家家紋、左三つ巴を考える【2】

なぜなのかは分かりませんが、
3年半前の記事にもかかわらず、
毎日いずれかがトップ10に入ってます。
(ここ最近の話ではなく、ずーっと前から)

三つ巴好きの人が多いということでしょうか。

それとも家紋好き?(←それはワタシ)

 

    

というわけで、
なぜ尚家の家紋が左三つ巴なのか!?
その由来や時期は!?
という疑問は相変わらず諸説あるままなのですが、
今日はこんな説をご紹介。

 

三つ巴を構成している「巴」は
そのものズバリ尚志の名前に由来し、
三つの巴が一つになっていることは
尚巴志が三山を統一したことを表しているのではないか。

よって尚家紋章としての三つ巴は
尚巴志の頃(または第一尚氏の早い時期)に

確立されたのではないか。

護佐丸・阿麻和利の乱(1458年)の時、
護佐丸は旗を見て攻めてきたのが王軍だとすぐに悟った。

それは、その時すでに王家(尚家)の紋が
確立されていたということだ。

 

参/「系図は生きている」(當間荘平著/H2)

 

三つの巴がそれぞれ中山・北山・南山なのだとしたら
なかなか面白いな―と思いました。
(ちょっと深読みできる設定だよね)

 

尚家三つ巴の説、逸話についての過去記事↓
百十踏揚行脚~安里八幡宮~」「聖人君子な「尚円王物語」「三つ巴を尚家家紋に定めた由来

 


個人的にはやっぱり尚徳の八幡つながりが1番信憑性あるかな~。
今日もご訪問ありがとうございます。
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*おまけ*

今回のモモトもステキスギ!
表紙もステキスギ!
chojiさんの写真、ステキスギ!
歴史連載も始まったよ☆


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