↑ワタシの愛読書の1つ「平安紋鑑」☆
このブログにはなぜか人気の過去記事というものがありまして、
それが三つ巴関連の記事なんです。
ex)「右か左か!?三つ巴の謎」「尚家家紋、左三つ巴を考える【1】」「尚家家紋、左三つ巴を考える【2】」
なぜなのかは分かりませんが、
3年半前の記事にもかかわらず、
毎日いずれかがトップ10に入ってます。
(ここ最近の話ではなく、ずーっと前から)
三つ巴好きの人が多いということでしょうか。
それとも家紋好き?(←それはワタシ)
というわけで、
なぜ尚家の家紋が左三つ巴なのか!?
その由来や時期は!?
という疑問は相変わらず諸説あるままなのですが、
今日はこんな説をご紹介。
三つ巴を構成している「巴」は
そのものズバリ尚巴志の名前に由来し、
三つの巴が一つになっていることは
尚巴志が三山を統一したことを表しているのではないか。
よって尚家紋章としての三つ巴は
尚巴志の頃(または第一尚氏の早い時期)に
確立されたのではないか。
護佐丸・阿麻和利の乱(1458年)の時、
護佐丸は旗を見て攻めてきたのが王軍だとすぐに悟った。
それは、その時すでに王家(尚家)の紋が
確立されていたということだ。
参/「系図は生きている」(當間荘平著/H2)
三つの巴がそれぞれ中山・北山・南山なのだとしたら
なかなか面白いな―と思いました。
(ちょっと深読みできる設定だよね)
尚家三つ巴の説、逸話についての過去記事↓
「百十踏揚行脚~安里八幡宮~」「聖人君子な「尚円王物語」」「三つ巴を尚家家紋に定めた由来」
個人的にはやっぱり尚徳の八幡つながりが1番信憑性あるかな~。
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*おまけ*
今回のモモトもステキスギ!
表紙もステキスギ!
chojiさんの写真、ステキスギ!
歴史連載も始まったよ☆