台風24号の復旧がまだ完全ではない中、
続けての25号
ただ今その真っ最中です。
何事もなく過ぎ去ってくれますように…。
さて、今日は台風つながりで
冊封使の台風体験談
をお送ります。
琉球に来る冊封使は季節風の関係で
4・5月頃に来琉し、9・10月頃に中国に帰ります。
その滞在期間中、
彼らはおそらく大陸ではなかったであろう台風を経験し、
めっちゃビビっています。
そりゃ、ビビるよね。
最も古い(琉球)冊封使記録である陳侃の『使琉球録』(16世紀)には
こんな記録があります。
+
夕刻、台風と大雨が突然やってきて
茅葺の家は全て吹き飛ばされて、
扉も窓も四方とも跡かたもなくなってしまった。
もちろん安心して寝ることもできない。
港に停泊中の封舟が心配になって使いをやったが、
「牛か馬かもわからないほど真っ暗で、道すらわかりません。
今は嵐が過ぎるのを待つしかありません」
とのことで、強行させることもできなかった。
未明になって(嵐のピークが過ぎて)港に行ってみると
すでに王(※尚清)が法司官を使わし
琉球人数百人を指揮して船を守らせていた。
船員に尋ねると
彼らは(嵐の最中の)夜半にはやってきたとのこと。
法司といえば琉球の高官ではないか。
役人らの住む首里と(私たちがいる)那覇は遠いのに
避けようともしないで来てくれたというのか!
中国の人だったら、風雨が激しくて真っ暗な夜は
窓をふさぎ、戸を閉めて、風雨を避け、
雨風にぬれて行く人がいても
それがたとえ肉親であっても
うろたえて家に入れないだろう。
なのに、危険を顧みず
他人のことをまるで自分の事のように行動できるなんて、
そんな人々が中国にいるであろうか。
琉球の君臣のことを、肝に命ずるべきだ。
と感嘆した
参/「陳侃 使琉球録」(原田禹雄訳注)※一部意訳
+
台風の中、港に大集合して冊封使の船を守る琉球の人々。
そーがさい。
台風慣れしてたぶん、
まだアクティブに動けたのでしょうか。
陳侃の次の冊封使・郭汝霖も
滞在中の台風について記録していて、
王(※尚元)は法使官に数百人を指揮させて
封舟を守らせ、少しの間も離れることはなかった。
その後も、暴風のたびに王はただちに官員を使わして巡視させた。
その気配りは(先代の陳侃が述べているように)まことで、
かりそめのものではない
と書いています。
参/「郭汝霖 重編使琉球録」(原田禹雄訳注)※一部意訳
そういえば、台風(暴風)の時に
危険を顧みずに船を助けにいくという琉球人のエピソードは
尚真の叔父(伝)にもありますね。
さて、
陳侃は帰りの海上でも台風に遭ってしまいます。
(実は行きの航海でも風に流され揺られて恐れおののいていますが、この時は「台風」という記述はありません)
その様子については
写真は過去記事の使いまわし。