がじゅまるの樹の下で。

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冊封使たちの台風体験談

2018年10月04日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

台風24号の復旧がまだ完全ではない中、
続けての25号

ただ今その真っ最中です。

何事もなく過ぎ去ってくれますように…。

 

 

さて、今日は台風つながりで

冊封使の台風体験談

をお送ります。

 

 

琉球に来る冊封使は季節風の関係で
4・5月頃に来琉し、9・10月頃に中国に帰ります。

 

その滞在期間中、
彼らはおそらく大陸ではなかったであろう台風を経験し、
めっちゃビビっています。

そりゃ、ビビるよね。

最も古い(琉球)冊封使記録である陳侃の『使琉球録』(16世紀)には
こんな記録があります。

 

 

 


夕刻、台風と大雨が突然やってきて
茅葺の家は全て吹き飛ばされて、
扉も窓も四方とも跡かたもなくなってしまった。

もちろん安心して寝ることもできない。

港に停泊中の封舟が心配になって使いをやったが、
「牛か馬かもわからないほど真っ暗で、道すらわかりません。
今は嵐が過ぎるのを待つしかありません」
とのことで、強行させることもできなかった。

未明になって(嵐のピークが過ぎて)港に行ってみると
すでに王(※尚清)が法司官を使わし
琉球人数百人を指揮して船を守らせていた。

船員に尋ねると
彼らは(嵐の最中の)夜半にはやってきたとのこと。


法司といえば琉球の高官ではないか。

役人らの住む首里と(私たちがいる)那覇は遠いのに
避けようともしないで来てくれたというのか!

中国の人だったら、風雨が激しくて真っ暗な夜は
窓をふさぎ、戸を閉めて、風雨を避け、

雨風にぬれて行く人がいても
それがたとえ肉親であっても
うろたえて家に入れないだろう。

なのに、危険を顧みず
他人のことをまるで自分の事のように行動できるなんて、
そんな人々が中国にいるであろうか。

琉球の君臣のことを、肝に命ずるべきだ。

と感嘆した

 

参/「陳侃 使琉球録」(原田禹雄訳注)※一部意訳

 

 

 

 

台風の中、港に大集合して冊封使の船を守る琉球の人々。

そーがさい。

台風慣れしてたぶん、
まだアクティブに動けたのでしょうか。

 

陳侃の次の冊封使・郭汝霖も
滞在中の台風について記録していて、

 

王(※尚元)は法使官に数百人を指揮させて
封舟を守らせ、少しの間も離れることはなかった。

その後も、暴風のたびに王はただちに官員を使わして巡視させた。
その気配りは(先代の陳侃が述べているように)まことで、
かりそめのものではない


と書いています。 

 

参/「郭汝霖 重編使琉球録」(原田禹雄訳注)※一部意訳

 

 

そういえば、台風(暴風)の時に
危険を顧みずに船を助けにいくという琉球人のエピソードは
尚真の叔父(伝)にもありますね。

尚宣威じゃない金丸の弟

 

 

さて、

陳侃は帰りの海上でも台風に遭ってしまいます。
(実は行きの航海でも風に流され揺られて恐れおののいていますが、この時は「台風」という記述はありません)

その様子については

陳侃 使琉球録と創作琉球短編小説第3弾!?

 

写真は過去記事の使いまわし。


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