中国皇帝の名代として
琉球に来る冊封使。
大変名誉なことに違いありませんが
その海路は命がけ。
冊封使に任命されたにも関わらず
何かと理由をつけ
なかなか琉球に出発しようとしなかった
冊封使(=呉時来)もいたほど。
(で、結局彼は罷免されるわけですが…。
代わりに冊封使になったのが郭汝霖)
さて、その冊封使たちが琉球に行く時の船には
なんと、棺が載せてあったのだそう。
「使職要務」
船の中には船室が数区画あり、
棺を二つ保存してある(正使用と副使用)。
その棺の前には「天朝使臣之柩」と刻んであり
蓋には銀牌若干両が釘付けされている。
それはもし嵐に遭い、どうしようもなくなった時は
冊封使はその棺の中に仰臥して、
鉄の釘で蓋を閉じてもらう。
船が転覆し、棺が漂流してどこかに流れ着いた時、
誰かが棺を見つけ、その棺の中の人の正体を知ることができる。
銀牌は棺を拾った人が棺(遺体)を保管・保護するための必要経費、
また礼として用いてもらう。
そして次の使者が来た時に、
その使者の船で棺(遺体)を持って帰ってもらえるようにするのだ。
このエピソードは
昔、ネットだったか本だったかで読んで(両方かな?)
びっくりしたことを覚えています。
©いらすとや
でもね。
最古の(琉球)冊封使記録である「使琉球録(1500年代)」で
作者の陳侃はこの棺についてこんなことを書いています。
渡琉に際して参考にした過去の文献、
「使職要務」にはこのような(※上記↑)棺の記述がある。
しかし考察するに、
棺を準備し、銀牌を釘付けにするということは、
もともとそんなためしはない。
あったとしても、何の益もない。
それで、担当の官吏に言って
棺と銀牌は準備させなかった。
(経費削減だー!)
陳侃、棺の記述を真っ向否定!
また、
元々ない
なんて書いてる。
これってどういう事!?
棺の記述がある「使職要務」という文献には
冒頭に
洪武(1368-1398)、永楽(1403-1423)の時に、
とありました。
陳侃の時代よりも100年前です。
その昔はあったけど
陳侃の時代には廃れきってた風習…だったとか?
この間に冊封使が来琉してを冊封を受けた琉球王は
武寧(冊封使・時中)
のみ。
時中さんが乗ってきた船には棺があったんだろうか…。
とにかく三山時代や第一尚氏時代の
冊封使記録がないのが惜しいですね。
(このことに対しては陳侃さんも文句言ってます(笑))
参/『陳侃 使琉球録』『郭汝霖 重編使琉球録』(原田禹雄訳注)