がじゅまるの樹の下で。

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冊封使の棺

2018年10月08日 | ・琉球史散策/第二尚氏

中国皇帝の名代として
琉球に来る冊封使。

大変名誉なことに違いありませんが
その海路は命がけ。

冊封使に任命されたにも関わらず
何かと理由をつけ
なかなか琉球に出発しようとしなかった
冊封使(=呉時来)もいたほど。

(で、結局彼は罷免されるわけですが…。
代わりに冊封使になったのが郭汝

 

 

さて、その冊封使たちが琉球に行く時の船には
なんと、棺が載せてあったのだそう。

 

 

「使職要務」

船の中には船室が数区画あり、
棺を二つ保存してある(正使用と副使用)。

その棺の前には「天朝使臣之柩」と刻んであり
蓋には銀牌若干両が釘付けされている。

それはもし嵐に遭い、どうしようもなくなった時は
冊封使はその棺の中に仰臥して、
鉄の釘で蓋を閉じてもらう。

船が転覆し、棺が漂流してどこかに流れ着いた時、
誰かが棺を見つけ、その棺の中の人の正体を知ることができる。
銀牌は棺を拾った人が棺(遺体)を保管・保護するための必要経費、
また礼として用いてもらう。

そして次の使者が来た時に、
その使者の船で棺(遺体)を持って帰ってもらえるようにするのだ。

 

 

このエピソードは
昔、ネットだったか本だったかで読んで(両方かな?)
びっくりしたことを覚えています。

 

©いらすとや


でもね。


最古の(琉球)冊封使記録である「使琉球録(1500年代)」で
作者の陳侃はこの棺についてこんなことを書いています。

 

 

渡琉に際して参考にした過去の文献、
「使職要務」にはこのような(※上記↑)棺の記述がある。

しかし考察するに、
棺を準備し、銀牌を釘付けにするということは、

もともとそんなためしはない。

あったとしても、何の益もない。

それで、担当の官吏に言って
棺と銀牌は準備させなかった。

(経費削減だー!)

 

陳侃、棺の記述を真っ向否定!

また、
元々ない
なんて書いてる。

これってどういう事!?

 


棺の記述がある「使職要務」という文献には
冒頭に


洪武(1368-1398)、永楽(1403-1423)の時に、

 

とありました。

陳侃の時代よりも100年前です。

その昔はあったけど
陳侃の時代には廃れきってた風習…だったとか?

 

この間に冊封使が来琉してを冊封を受けた琉球王は

武寧(冊封使・時中)

のみ。

 

時中さんが乗ってきた船には棺があったんだろうか…。

 

とにかく三山時代や第一尚氏時代の
冊封使記録がないのが惜しいですね。

(このことに対しては陳侃さんも文句言ってます(笑))

 

 

参/『陳侃 使琉球録』『郭汝霖 重編使琉球録』(原田禹雄訳注)


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