琉球の王様と言えば、この冠をすぐに思い浮かべる人も多いでしょう。
写真↑は首里城正殿で常時展示されている冠。
現物(国宝)のレプリカです。
(現物は那覇市歴史博物館蔵で毎年定期的に展示されます)
この冠は皮弁冠(ひべんかん)と言い、
冊封の際、琉球王の証として中国皇帝から与えられました。
こちら、お仕事依頼ページ用に書いたイラスト。
現代版組踊御後絵:尚巴志のちびキャラバージョンです。
琉球王の正装である、皮弁冠に皮弁服。
実は…この皮弁冠、
現在見ることのできる皮弁冠と
ちょっと変えていることにお気づきでしょうか。
明が清になると色々と事情が変わり、
皮弁服も琉球側で自作(反物は下賜)、皮弁冠も自作…となっていきます。
なので、現在見ることのできる皮弁冠は、
近世に琉球国側で自作したもの、ということになります。
(首里城南殿に並べられている御後絵を、時代に沿って見ていくと、
ある時期から冠が変わり、衣装もどんどん派手になっていってるのが分かりますよ)
しかし、古琉球の時代は
冠も服も出来上がっているものを直接下賜されており、
もちろんメイド イン ミン(明)。
その当時の物が沖縄に一切残っていないのが残念なのですが、
皮弁冠自体はなにも琉球国王だけが使っていたわけではなく、
他の朝貢国、それから製造元の中国にもその姿を見ることができます。
それらを調べてみると、
結構細かい所で違うんですよね。
それがこちら。
冠の筋列が7列、というのは結構知られていますが、
他にも簪の形、額部分の装飾の形、側面部など。
玉の配置も、今の見ることのできる皮弁冠はバラバラですが、
明代のものは揃っています。
資料によって全体のフォルムなども微妙に違ったりするのですが
(簪が逆差しのものも)
大きく分けると、以上のような違いが見受けられます。
明から清への時代の移り変わり、
そして古琉球から近世琉球への移り変わり。
その時代の違いを出す(表現する)ためにも、
私は、古琉球(特に御後絵が残っていない三山~第一尚氏期)の皮弁冠は
このような違いを意識して描くようにしています。