がじゅまるの樹の下で。

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クーデターと七日浜

2019年08月24日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

沖縄本島の東側、
国道329号線を北上して、
金武町に入ってすぐの所にある
案内板とモニュメント。

『ようこそ 海外雄飛の里 金武町へ』

というのは、
移民の父、當山久三にちなんだもの。

 

このモニュメントの、

裏手に、

 

 

こんな石碑がひっそりと建っています。

 

その名も

『七日浜の碑』

 

 

當山久三からずーっとずーーーっと時代をさかのぼって、

時は1469年。

第二尚氏のクーデターにまつわる碑です。

 

逆光で読めませんね

 

というわけで、
画像加工、えいやっ!

 

 

七日浜の碑

尚徳王が革命によって 尚円王の時代になったので
その一族が国頭に逃げる途中 人目を避けるため
昼は山の中にひそみ 夜な夜な歩き 歩行困難の場所で七日かかったので
七日浜の由来と言われている。
風光明媚であり 長い砂浜の美しい海岸である

昭和五十八年十月二十五日 竣工

 

他の口伝では、尚徳自身が久高島で革命を知り、
隠れ逃げつつ7日目にここに着いた、
…というのも見かけたりもします。

で、そのまま「北」へ…。

というね。

 

 

第二尚氏のクーデターも、
尚徳の死の直後に起こったのか、
それとも、
生きていて久高島にいる間に起こったのか。

尚徳は
病死か、毒殺か、自殺か、逃亡先で息絶えたのか。

色々あって謎に包まれています。

 

 

その七日浜。

尚徳の一族、または尚徳自身が
息も絶え絶え踏みしめた浜…かもしれない。

 

小雨がぱらついたりとが天気が良くなく、
景色がくすんでいますが
七日浜から南(石川、勝連半島)方面の見た風景。


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