『琉球王国衰亡記』
(嶋津与志/岩波書店/1992)
肝高の阿麻和利の脚本を手掛けた
嶋津与志さんの小説です。
時代は19世紀の王朝末期。
主人公は板良敷(牧志)朝忠。
先の空手小説2冊とも時代がかぶったりと、
最近は何かと古琉球よりは王朝末期から近代初期です。
そして『テンペスト』と同時代。
(祝☆再放送!)
孫寧温は部分的に朝忠をモデルにしてもいますしね。
時代背景や出来事は知っていたので
読みやすかったです。
この小説で特に興味深かった点は大きく2つ。
一点目は、
来琉する欧米諸国の人々や薩摩の斉彬などとのあれこれが、
人と人との関わりとしてちゃんと書かれていたこと。
(ペリーとのあれこれは思ってたより少なかったけど)
…小説なら当たり前じゃん?
って思う人もいるかもしれないけど、
琉球史系の小説はそれが弱いものも結構あって…
「出来事」だけが淡々と述べられているとか。
何度か書いてるけど、
やはり「セリフ」(心の声含む)があると
その人物がより人間らしく捉えられる。
その人が何をどう語るかで
その人となりが表現できるからかもしれない。
対話だと、関係性の表現にもなるし。
2点目は、そんな登場人物たちに
あまり「美化」を感じなかったこと。
朝忠もベッテルハイムもペリーも斉彬も
…そして琉球王国そのものも。
美化というか、その人の良さをPRするような表現というのかな、
印象付けるような文章構成というのかな。
もちろん、歴史的にもすごい人たちなのは変わりないのだけど、
それがスーパーヒーローのようなものではなく、
良きも悪きも人間というか。
業績はすごい。
でも人となりまで過大評価はしない、
という感じ。
主人公の朝忠も結構とがっていて、
「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」
…って、これは竜馬の句ですが、
こんな感じの人でした。
家庭もあまり顧みないとかね。
琉球王国そのものにいたっても
タイトルの「衰亡記」からも分かるように
滅びゆく王国の悲哀のような、
旧体制の皮肉のようなものも込められていました。
例えば『青い目が見た大琉球』(ニライ社)など
当時の琉球についての欧米人の記述を読むと、
ほめたたえている記述と、
これはひどいものだとしている記述と、
両方見れるんだけど、
「これはひどいもんだ」という側の記述を
結構表に出してきているような感じかな?
あくまで私個人の印象ですが。
でも、それがかえってリアルに感じられます。
琉球エクセレント!
琉球バンザイ\(^o^)/
一辺倒のはずないし、ね。
そういう意味でも、
同時代の『テンペスト』と比べると
読了感はだいぶ変わります。
『テンペスト』はいわばファンタジーだし、
美化描写がすごいからね。
でもその描写の鮮やかさが池上小説の魅力であり、
文章から豊かなイメージを引き出すという小説の醍醐味があり、
琉球に興味や誇りがわいてくるような熱い読了感を与えてくれるのです。
両方読むとより楽しめると思います。