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パッション120%

さあさあさあ!!
今日も全開で・・・
パッショネイトにイカねーと♪♪

ヘルプマークとタバコとジーンズのポケット

2017-06-23 00:28:53 | カウンセリング
後ろポケットだけ別の生地が縫い付けられているジーンズ
お洒落ジーンズ
どんな人か気になった♪

ジーンズのすそにはほころびが見られる
そして
内側だけ極端に磨り減ったスニーカー
着崩しファッションかと思ってみたが
どうやら、そうでもないようだ

彼が横を向くと
右手の指にはタバコが挟まれている
それを、おもむろに口に持っていく

ここは駅のホームだ

私は電車を待っている
たぶん、タバコを吸っている彼も電車を待っているのだろう
ここは駅のホームなのだから

声をかけようかと考え、その人物を観察する
黒いバックを肩にたすきにかけている
そのバックには、ピンクのものがぶら下がっていた
ピンクの中には、白で十字とハートマーク

どこかで見たことがある
障害者サインだっただろうか
だが、サインの意味することは思い出せない

電車をに乗り込み、彼は私の斜め前に座っていた
そして、川口駅で彼は降りた
声をかけることはなかった
動きにぎこちなさはあったようにかんじるが
意識して見ていなければ
気になるようなかんじでもなかった




調べてみると、それはヘルプマークだった

<ヘルプマークの説明>
義足や人工関節を使用している方、
内部障害や難病の方、
または妊娠初期の方など、
外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、
周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、
援助を得やすくなるよう、
作成したマークです。


直接聞いていないので
どんな状況なのかはわからない
ヘルプマークの存在を見ていなければ
普通(?)の人のようだった


説明にあるようにヘルプマークは援助や配慮を促すサインだ
その意思表示を彼はしている
しかしだ
駅でタバコがNGなことは
たぶん誰だってわかっていることだろう
助けを必要とすることがあるサインを見せていて
周りから人を遠ざけようとしているようにも見えた
実際に
駅のホームでタバコを吸っている彼のまわりには
見事に人は寄り付いていなかった

残念ながら、どう見たって厄介者にしか見えない


怒りを向ける、とか
罰してやりたり、とか
そんな感情は全くないのだが

彼の心模様はすごく気になった

ラッパの音色と色メガネ

2017-02-18 23:26:34 | カウンセリング
毎日のように
金管楽器の音色が
どこからか聞こえる

楽器名に特別詳しくないので
トランペットという形容しかできない。
音としては、なんとなくだが
トランペットよりも少し低い音のように聞こえている。

心穏やかなときには
その音が平和の象徴のようになる。
何気ない日常に
数軒離れた家から流れてくる音色。
ラッパを吹くことが
初老の男性の日常になっているのかもしれない。
仕事をリタイヤして
楽器を演奏する楽しみを見つけたのかもしれない。
余裕のある生活から流れてくる音色。
白髪の少し長い髪を
左右に流すように分けてまとめられたヘアスタイル。

そんな人物像を、勝手にイメージする。

しかし、だ。
私の心が乱れているときには、
騒音被害で訴えてやろうか思う。
窓から見える屋根の数は
それほどに多くない。
一軒一軒しらみつぶしに探せば
ラッパを吹いている家は見つかるだろう。
怒鳴り込んでやろうかと
怒りの感情がむき出しになる。
まさに突撃ラッパである。


勝手なもんだ。
私の心模様で
音色が180度変わってしまう。

演奏している側は
もちろんのこと
そんなことは知らずに吹いている。


主観的で身勝手で、
自分のフィルターという
超強力な色メガネをかけている。

それが悪いことだとは思わない。

ただし、
それを常に自覚的でいることが大切だと思う。
自分自身には、数多の側面が存在することを知っておく。

ワガママに生きる

2016-08-09 22:45:43 | カウンセリング
「彼氏にワガママ言っちゃうんだよね」
そんな相談事を聞いた。
そして、
「あなたはワガママ言う人いる?」
と質問される。

まさに、
「相手の内側を見ている時は、
自分の内側も相手に見れている」
その通りの出来事だ。


そして、自分を振り返り答えを探す。
「生き方がワガママだから、
特にワガママを言う人はいないね」

そして考える。


「わがまま」とはなんだろうか?

・自分勝手
・自分の都合しか考えていない
・他人への迷惑を省みない
・好き勝手に振る舞う

そんなところだろうか。


私は、自分のやりたいことをして生きている(自分勝手)
自分の都合はすごく大事。(他者への迷惑はある程度、考えます)
日々、好き勝手に振る舞っています。

好きな事して生きていって、何が悪いのか。

見る人が見れば
「ワガママな生き方」に見えるのかもしれない。

我慢しないからね。
我慢キライですからね。
我慢すること、遠ざけますからね。
正直でありたいからね。

だって、その方が生きるのラクだから♪


「ワガママを言う人」
・振り向いてほしい、かまってほしい
・許容範囲が狭い

そんなことが挙げられる。


「私はわがままに生きているけど、あなたはダメ。」
これじゃ、あまりに野暮なもんです。
無関心ではなく、許容すること。

「まあ、いいんじゃない」
これ、私の口癖かもしれません♪

取材記事からの自己分析

2016-02-24 12:40:55 | カウンセリング

散歩の達人 3月号

「ザ・東京ジプシー」
店舗を持たずに仕事している人の連載。
捕らわれず、縛られず、生き抜く人達への取材(誇張表現)

有り難いご縁が重なり「みどり出張整体・田中渉」として取材を受けた。

仕事に対することは、ほとんど書かれていない(苦笑)
私の半生が赤裸々に書かれている。

一般的な目線で見ると、
マイナスイメージのつくような経歴がギッシリ詰まっている。
「離婚」「度重なる転職」「現実逃避での帰省」
「うつになって死ぬことまで考えたこと」
はっきり言って、仕事の宣伝になんてなってやしない(かもしれない…)

でもね、
それが私だし、ウソも言ってないし、脚色もしていないし、
自分の中で、よくない部分も認めてしまっているから、納得できる。
「宣伝にはならないかもしれないけど、まあウソ言ってないしな・・・」
(正直、もっと格好つけたこと言ってればよかったかな、なんて思うけど)
たぶん、できないんだろうな。

改めて過去を振り返る貴重な機会にもなった。


さらに、
記事を読むと、そこかしこに家族のことが出てきている。
家族にもたくさん助けられていたのだと、改めて実感する。

帰る場所(逃げる場所にもなったが…)があるのは、
牧場を続けている父のおかげであり、
そこに携わった兄やいろいろな人たちのおかげである。
みどりの名前になったのは、母のおかげである。
東京の夜の街に放り出されて、身を寄せた場所は姉のところである。

まだまだまだまだ、語っていけばキリがない。
助けてもらってばかりだと思い知る。

家族のことを振り返る機会にもなった。



記事の最後は、やさしさのある言葉でしめくくられている。
たぶんこれって、
インタビュアーのさくらいよしえさんの、
人柄が垣間見れている部分なのかもしれないな、とかんじた。

「かわいくないね」からみえる、考え方

2016-01-16 23:46:13 | カウンセリング
お世話になっている年上の人から言われました。
いつもかわいがってくれていた人。
わたしも甘えていた。
相手もそうすることで、
もしかしたら満足していたのかもね。

いつの間にか、その関係性は終焉を迎えていた。
いえ、私がその関係性にピリオドを打ったの。
「あ、もうこの人に甘えるのは終わりだわ」
って、ある瞬間思ったわけ。

「自分の分は、自分で持ちます」
そうやって言ったら・・・
「かわいくないね」と、言葉を返された。

たぶん、相手は私がかわいい存在であってほしかったのね。
甘える存在、甘えられる存在。
そんな関係性が心地よかったのかもね。

明らかに、不快な態度になったもの。


関係性なんて、ずっと同じなわけないのにね。
ずっと同じ関係性でいる方が、
不自然なぐらいじゃない?

変化を受け入れる器。
変化に対応する柔軟性。

どっちが上で、どっちが下で。
そんなちっぽけな考え方じゃなくて。
どちらも同じ高さね。
でも、時と場合によってお互いの高さも変わる。



変化に対応できない固執した考え方
ひょんな言葉からかんじられる時もある。

伝え方と受け取り方

2015-08-24 22:34:07 | カウンセリング
なかなかに難しく、なかなかに楽しく、とてもとても面白い。

会話をしているつもりだったのが、
指摘をして、指摘を受け、いつの間にかディベートのようになる。

議論になったとしても、伝え方には細心の注意が必要だ。
と、簡単に言うことはできるのだが、
加熱すると、感情的なものが入り込んでしまう。

相手の言葉を受け入れた上で言葉を返す。
相手を否定してしまうと、そこで議論が止まってしまう。
感情的になってしまえば、うまくいかない可能性は格段に上がる。

「うまくいかない?」
そう、私はうまくいくようにしたいわけである。
私の望むようなかたちに話を運びたいのである。
だが、そう簡単にいくわけはない。
私は饒舌な説得者のようなスキルは持ち合わせていない。

だからこそ考える。
やり取りの本質を考える。
どこに話を持っていけば、納得して受け入れてもらえるのかを。
相手に不快感を極力与えないようにしながら。


だけどね。
相手に受け入れる余地がない場合は、何を言おうが無意味になる。
受け入れる余地→器の大きさ、と言ってもいいのかもしれない。
頑な人には、けっこう無意味なときもある。

そして、
「思い通りにうまくいかせよう」
などどいう気持ちも、思い上がりだといえる。


「気付けよ」「理解しろよ」
そう思っているのは、私の勝手。
相手はぜんぜん別の生きものだもの、
私の考えが通じないのは当たり前。
そう思った方が、手放せることが多い。


でも、私は考えるけどね!

自己と他者

2015-03-27 18:31:53 | カウンセリング
あなたがいるからこそ、私自身を意識できる。
そんなことって多々ある。

競争するにしても、他者があるからこそ競争になる。
(競争することがいいかわるいかは別にして)
比較され優劣が付く。
この社会の中では避けて通れないこと。
これも他者があって成り立つ。

他者の存在があることによって、私が浮き彫りになる。
他者と比較することによって、私の存在を認識できる。

「人間」
よくできた言葉だな、とつくづく感じる。
人の間、人と人との間。
それがあることによって成り立つ存在なのかもしれない。
一人じゃどうにもならんってこと。
それが「人間」という言葉だな、と思う。

他者と関わり合うことによって、いろいろなものがうまれる。
言葉での関わり合い、体での関わり合い。
数多の関わり合い方があるのだろう。
それによって、
新しい気持ちが芽生えたり、
新しい考えがうまれたり、
新しい関係性が出来上がったり、
新しい発見があったり。

自分一人でできることなんて、たかが知れているのかもしれない。
自分一人でやったこと、なんて本当は無いのかもしれない。
どこかで誰かの手が差し伸べられている。
直接でなく、見えなくて間接的なものでも。



「私が私が」とはなかなか言えないのかもしれない。


最近、そうやって感じることに何度も出くわすんだよね♪
有り難いことです。

執着

2015-03-05 22:48:16 | カウンセリング
誰かにプレゼントをしたとする。
実用的なもの、食べ物。
なんだっていい。

相手の手に渡った時点で、私のものではなくなる。
それがどうなろうとも、意見するのは如何なものかとかんじる。

食べ物を渡す。
一人で食べてくれても、
仲間と食べてくれても、
隣のお家に横流ししても、
それは相手の勝手である。

実用的なものをわたす。
そのままゴミ箱に投げ捨てられても、
大事に引き出しの奥にしまわれても、
日常でフル活用してもらっても、
それは相手の勝手である。

プレゼントしたのも私の勝手だ。
「こうやって使えてもらえたらいいなぁ」と、
考えながら選ぶことはするだろう。
だけど、それを押し付けるようなことは野暮だわな。

プレゼントしたものに対して、
「あれ、使ってくれてる?」と聞いてきた人がいた。
言われた瞬間、私は固まってしまった。
「あぁ、そんなこと聞く人いるんだ…」と後になって思う。
プレゼントしたものに対して、その後はどうなっているのか気になる。
手放したものじゃない?
それにまだ執着するの?
うすら寒い気持ちにすらなってしまった・・・
たぶんその人は、いろんな場面でそう考える人なのだろう。
そういう人の言葉って
「あれをしてあげた」「あの人のために」とかって恩着せがましいことが多い。
そして、
本人の意図したかたちにならないと気分を悪くする。
「せっかくやってあげたのに」と言う。


「執着心」
全くいらないとは言い切れないけど、
持っていても、ろくなことにならない場合が多いのかも。
ただ、
諦めない信念として必要だとは思う。
必要な場合もある。

マニュアルという名のバイブル

2014-09-18 08:30:09 | カウンセリング
昨今のファミレスには聖書のようなものが置いてある。

そこに書かれた言葉に従え
さすれば間違いを犯すことなく進めるであろう
正しい行いは全てそこに記されている

ナンセンスである。


「トマトの位置が違います」

先日サラダの盛り付けをして、
ホールスタッフに手渡すとそんな言葉が返ってきた。
「???」という反応を示したところ、
「写真の盛り付けの位置と違いますよ」と、ご丁寧に説明してくれた。

絶句である。

はっきり言って、そんなに大きな違いはない。
こだわることはわるいことではないが、
こだわりの観点が違うくないか・・・
トマトの位置が少し変わって、ものすごく美味しそうにみえる。
もしくは、ものすごく美味しくなる。
そうであれば、喜んで盛り付けなおす。
しかしだ、はっきり言ってほぼほぼ変わりはしない。

「写真の位置」
マニュアルの写真である。
その通りに作れということだ。
そんなのぜんぜん面白くない。
決められた通りに作るだけ。
あんまり考える必要なくなってしまう。
そのマニュアル通りに作ればOKなのだから。
下手な思考は邪魔にさえなってしまう。
それはある意味らくなのかもしれない。
決まったものを決まったかたちで作る。

マニュアルに従えば、下手に考え悩むことはない。
それを仕事がしやすい、と捉えるか。
そんなの面白くない、と捉えるか。
その人の生き方が垣間見れる部分だと思う。



まあ、パッションはそんなちんけなバイブル、踏みつけますけどね

ひげと事なかれ主義とハロー効果

2014-08-22 09:58:43 | カウンセリング
ファミレスの店員も、
学校の先生も、
ひげはNGなんだってな。

それらしくない風貌。
「それらしくない」の「それ」ってどれだよ?

ファミレスの店員がひげ面だと清潔感がない?
以前働いてたイタリアンレストランのシェフはばっちりひげ面だったぞ!
先生なのにひげがのびていたら信用できないか?
ひげ面でもすてきな先生知ってるぞ!

ひげ面だから、と、どちらの場合もハロー効果が発生している。
ハロー効果とは、目立ちやすい特徴に引っ張られて、その本来のものの評価を歪めてしまう効果だ。

ひげ面だからといって、清潔感が本当にないのか?
仕事もきれいにこなすし、コックコートだって汚れていないよ。
ひげ面だからといって、ダメな先生と本当に言えるのか??
生徒のことを大切にして、信頼もある先生だよ。


ここにはハロー効果にプラスされ、事なかれ主義も隠れているようにかんじる。

ひげ面で調理をしていたら、お客になんか言われる恐れがあるかもしれない。
ひげ面の先生なんて、先生らしく見えない。

できるだけ問題が起こらないように波風立てないようにしようとしているわけだろ。
もし、お客さんの対応するときにひげ面の店員じゃ事を荒立てかねない。
もし、保護者と話すときにひげ面の担任じゃ信用されにくいかもしれない。



なんかさぁ
そんなのって、ぜんぜん面白くもなんともない。


ただ言えることは、
本当にすべて自分のやりたいようにしたいのなら、
独立して自分で事業を興すしかないわけだな。
会社や集団に属するのであれば、そこの規則を守らなければ爪弾きに合うだけだ。