相手にひとときでも楽しさを感じてもらうこと
「幸せ」と感じてもらえることでもいいし、
「笑ってもらう」ことだっていい。
形としては、限りなく曖昧で抽象的な表現といえるが、
自分の中にある「自分のやること」の原点である。
で、忘れちまっていた気持ち。
先日、メールのやり取りの中で思い出した。
文字だけのやり取りだから、完全にはわからない。
だけど「ごはんを吹き出しそうになるぐらいに笑った」と言ってくれた。
「あ、これだよな」と思った。
その時は、言葉を介してのことだったわけだが、
それが、言葉であれ、動きであれ、表現方法は選ばない。
それって、
相手があってのことなんだよな。
楽しさを感じてくれる相手があってのこと。
自分ひとりじゃ、まさに一人遊び。
そしてだ、
「関係性」も大きく関わる。
試しに、そのメールで笑ってくれたやり取りを、
見ず知らずのおじさんにしてみたとしよう。
お笑いグランプリでてっぺんを狙えるような大爆笑ネタであっても、
おじさんには怪訝な顔されることは間違いない。
関係性が土台としてあるから、笑ってもらえたことでもある。
ものすごく理屈っぽい話になっているような気もしないでもないが、
自分がこの世の中で生きていくうえでは、
「一人ではうまくいかないこと」
「関係性の中に生きているということ」
それを、自覚していく必要がある。
それを踏まえたうえで、どうやって生きていくかを選択する。
しかしながら、
手段を明確にしていない、ということにおいて、
方向性に揺らぎが生じていることも確かなことである。
「幸せ」と感じてもらえることでもいいし、
「笑ってもらう」ことだっていい。
形としては、限りなく曖昧で抽象的な表現といえるが、
自分の中にある「自分のやること」の原点である。
で、忘れちまっていた気持ち。
先日、メールのやり取りの中で思い出した。
文字だけのやり取りだから、完全にはわからない。
だけど「ごはんを吹き出しそうになるぐらいに笑った」と言ってくれた。
「あ、これだよな」と思った。
その時は、言葉を介してのことだったわけだが、
それが、言葉であれ、動きであれ、表現方法は選ばない。
それって、
相手があってのことなんだよな。
楽しさを感じてくれる相手があってのこと。
自分ひとりじゃ、まさに一人遊び。
そしてだ、
「関係性」も大きく関わる。
試しに、そのメールで笑ってくれたやり取りを、
見ず知らずのおじさんにしてみたとしよう。
お笑いグランプリでてっぺんを狙えるような大爆笑ネタであっても、
おじさんには怪訝な顔されることは間違いない。
関係性が土台としてあるから、笑ってもらえたことでもある。
ものすごく理屈っぽい話になっているような気もしないでもないが、
自分がこの世の中で生きていくうえでは、
「一人ではうまくいかないこと」
「関係性の中に生きているということ」
それを、自覚していく必要がある。
それを踏まえたうえで、どうやって生きていくかを選択する。
しかしながら、
手段を明確にしていない、ということにおいて、
方向性に揺らぎが生じていることも確かなことである。