yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

中原中也「古代土器の印象」

2008年02月05日 | アートイラスト

Kodaidoki_no_insyou おかげさまで、

エアコンの変な音はおさまりました。

とりあえずは一安心です。

給湯器の取替えも今日やってもらったんで

ひとまず難は立ち去りました。

んで、今日も中也の詩から

「古代土器の印象」

   認識以前に書かれた詩―――
   沙漠のただ中で
   私は土人に訊ねました
   「クリストの降誕した前日までに
   カラカネの
   歌を歌つて旅人が
   何人ここを通りましたか」
   土人は何にも答へないで
   遠い沙丘の上の
   足跡をみていました

   泣くも笑ふも此の時ぞ
   此の時ぞ
   泣くも笑ふも

この詩は未刊詩編に入ってるんで

中也的には未完成な詩だったんだろうけど

中也の、「詩」に対する認識がどんなものか

この詩で察することが出来るよね。

つまるところ、

一番最初に自分は何を感じたかってことが

すごく大事なんだって伝えたいんだと思う。

土器がどんな形をしてるとか

どんな色合いだったとか

そんなものは全く関係がなくて

自分が感じ取った印象が表現できてればそれでいいんだっていう、ね。

その印象をしっかりと認識し

どれだけ深く掘り下げることが出来るか

その一点に尽きるんだと思う。

例えば、

晴れた青空を見ても

ある人は、そこに「清々しさ」を感じたり、

またある人は「深遠な宇宙」を感じたり、

またある人は「深い孤独感」を感じたり、

ホントに、ヒトそれぞれだと思う。

そこには、他の人の感じ方は意味を成さないはずだから、

本当はいろんな表現の仕方があってしかるべきだと思うんだ。

でも、やっぱり型にはまった形が多くて

中也自身も見失うことが多かったんじゃないかなあ。

だから、この詩は

中也自身の、自分を取り戻すための詩でもあるんだと思う。

詩を作るうえでの「心得」みたいなかんじで

書いたんじゃないかな。

だから、「未刊詩篇」なんだとおもうよ。

「心得」っていう意味じゃ、

この詩は「完成品」なんだけどね。

ちなみに、中也は「古代土器」に

「悠久の時間の流れ」を感じとったみたいだな。

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コメント
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