「オレをクロンボって呼ぶな
シロンボ。」
「オレをシロンボって呼ぶな
クロンボ」
スライがこの曲を発表した
60年代は
黒人が白人社会に対抗して
自分たちの地位を認めさせる戦いをしてる時期だったから
ホントにこんなののしりあいをしてたんだろうね。
でも、たしかに、こんな言い争いをしてても
先に進めないだろうから
スライは敢えてこういう歌を作って
「こんな調子じゃあお互いいい方向に転がっていかないでしょ?」って
伝えたかったんだろうなあ。
結局、周りの足を引っ張って
引き摺り下ろしたとしても
相対的に自分は上に上がった気にはなるけど
ホントは、立ち位置には変化がないんだよね。
そのことに気づけば
こんな無益な争いはなくなるんだろうけど・・・。
でも、
ボクラの身近なところでも
他人の足の引っ張り合いは日常茶飯事で
お互いの欠点をののしりあってる姿をよく見かける。
人間、どんなに立派なヒトでも
欠点はあるもんだし、
そんなことをあげつらってもねえ・・・。
お互い、首の絞め合いになっちゃうだけなんだよね。
だいたい、そのヒトの長所っていわれてる部分が欠点になるわけだし、
個性っていうのもそういった違いが現れ出てるんじゃないのかな。
例えば、
「やさしいヒト」があるところでは「優柔不断なヒト」にもなるし、
「気の短いヒト」が「決断力のあるヒト」にもなる。
「リーダーシップを持ってるヒト」が「他人の意見を聞かない人」だし、
「自分の世界を持ってるヒト」が「周りと交流できないヒト」にもなる。
その性質を発揮するとまずいときに出しちゃうと「欠点」になっちゃうし
発揮すべきときに出すと「長所」になるんだよね。
表裏一体なわけだから
発揮する場所さえわきまえられればイイと思うんだけど。
まあ、こればっかりは
すべて、結果が出てからしか評価できないんで
「結果論」でしか言えなくなっちゃうんだけどね。
これは、こうやって少しづづ経験を積んでいくしかないんだと思うんだ。