昨年の記念日、
下北沢のビストロに行き、
とても良い店だったのだけれど、
食事中、家人(大)と、
「こんな時にholoholoがあったらなあ」
という話になったのだった。
我が家の何か特別な食事は、
ある時期からほぼholoholoだった。
だから、holoholo無き今、
特別な食事をしようとすると、
店を選ぶのに難儀する。
あの店のどこが良かったのか、
という話になった。
オーナーの淳子さんが知り合いである、
料理が美味しい、
という真っ先に思いつく他にも、
いろいろな理由が出てきた。
まず「表参道」という場所。
当時、家族での外食はほぼ地元だった。
だから、わざわざ表参道まで食事に行く、
そこからがすでに特別な食事の始まりだった。
「店の明るさがちょうどよかった」と家人(大)
たしかにそうだ。
仄暗い路地を通って、
目立たぬ入り口のドアを開けると、
明るすぎない、かといって暗すぎない、
この言い方でうまく伝わるとは思えないが、
家族や親しい人たちと食事をするのに、
ちょうどよい明るさだった。
そしてもう1つ家人(大)があげた理由は、
僕が思ってもいないことだった。それは、
「店員のみんなが仲良さそう」
そんなところを観ていたのか。
人間の死には、
肉体の死と忘却による2つの死があるとよくいうけど、
店の閉店も同じことだと思う。
これからも我が家では特別な食事をする時、
「あー、holoholoがあったらなあ」
と思うだろうし、
そこで過ごした時間を懐かしく思い出す。
下北沢のビストロに行き、
とても良い店だったのだけれど、
食事中、家人(大)と、
「こんな時にholoholoがあったらなあ」
という話になったのだった。
我が家の何か特別な食事は、
ある時期からほぼholoholoだった。
だから、holoholo無き今、
特別な食事をしようとすると、
店を選ぶのに難儀する。
あの店のどこが良かったのか、
という話になった。
オーナーの淳子さんが知り合いである、
料理が美味しい、
という真っ先に思いつく他にも、
いろいろな理由が出てきた。
まず「表参道」という場所。
当時、家族での外食はほぼ地元だった。
だから、わざわざ表参道まで食事に行く、
そこからがすでに特別な食事の始まりだった。
「店の明るさがちょうどよかった」と家人(大)
たしかにそうだ。
仄暗い路地を通って、
目立たぬ入り口のドアを開けると、
明るすぎない、かといって暗すぎない、
この言い方でうまく伝わるとは思えないが、
家族や親しい人たちと食事をするのに、
ちょうどよい明るさだった。
そしてもう1つ家人(大)があげた理由は、
僕が思ってもいないことだった。それは、
「店員のみんなが仲良さそう」
そんなところを観ていたのか。
人間の死には、
肉体の死と忘却による2つの死があるとよくいうけど、
店の閉店も同じことだと思う。
これからも我が家では特別な食事をする時、
「あー、holoholoがあったらなあ」
と思うだろうし、
そこで過ごした時間を懐かしく思い出す。