闇夜の烏の変な世界

とりあえず、何にでも興味持ちますw
日々、気になった事を日記感覚でアップしてみようかと。

下は20℃超、ゴールは10℃台!!

2010-06-26 13:45:17 | マウンテンバイク


スタート地点まで会場からリエゾン。でも周りは速い。料金所からスタートで延々と麓から五合目のゴールを目指す。酸素濃度と傾斜がJ54型三菱ジープに3人乗りで登りきれなかった坂にブロックタイヤのMTBで挑む。登りっぱなし、途中で少し緩やかになると平坦に感じるほどの傾斜。延々と続く人の背中が川の流れのように。ひたすら漕いだっけ。コンパクトドライブが普及始めた頃で、平坦地(上級者用)のフロントチェーンリングは後半遅れだしたり降りて押したりしてた。プライドは強いのか、バラケ出して前のロードやクロスバイクを抜かせてもらうと大概は抜き返してくる。でも自分のペースを守らないという事は...当然勝手に落ちていく(笑。ずーっとブロックタイヤのブーンという低い音を聞きながら3合目辺りから明らかな気温の低下を感じる。最後の区間、プッツンして(酸欠?)猛チャージして次々と前のバイクをゴボウ抜きに、今でも信じられないスピードでゴールに飛び込んだっけ。記録写真を見るとゴールで前にいるのはロード一人とクロスバイクがスプリントしてる。でも記憶だとこの二人はもう切れてて、あと少し直線が長かったら多分抜けてたと思う(汗。2時間22分48秒、1.95のブロックタイヤで駆け上がった私の記録。種目別順位は409名中270位。総合では全2981人中2595位だった。記録なんて意味持たないけどゴール地点はともかく寒くて凍えるような状態で大急ぎで重ね着したのだけはハッキリ覚えてる。先に出たハズ(女子のクロスバイク)の絹代さんとバッタリ五合目で。ご存知の方も多いかと思いますが絹代さんはとっても目が悪い。スピードの出るバイクで視力が悪いのは致命傷なんだけど頑張ってる。さて今度はスタート地点まで下りねばなりません。漕ぐ事はほとんど無いですが傾斜で速度がのります。いざ下ってみるとその距離に驚いたっけ。安全な麓まで自分が先導し(道路左には深い側溝があり危険だし)、寒さと疲労に懸命な絹代さんをブレーキの甘いクロスバイクに合わせて(こっちは油圧ディスクで制動力は余裕だが)速度とラインに注意し、極力話しかけるように下りた。あれからもう6年も経つんですね。二度と出ないイベントだけど、良くも悪くも大切な思い出です。

自転車専科に元気そうな絹代さんと栗村さんの姿♪

2010-06-26 13:17:01 | マウンテンバイク


録画してたCSを見てたらMt.富士ヒルクライムのバラエティー番組が。大概は内容がロードだと即削除してHDDを空けるのだけど懐かしくて見てたら絹代さんがMCで元気な姿で!懐かしいなぁ。このレースは自分の中でロードバイクは無法かつ危険なものと決定付けた因縁の場でした。国立公園内でも道路ワキにポイポイとゴミを捨てるしセンターラインの外は出ない「ルール」にも関わらずロードばかりが右端まではみ出して「ルール違反当たり前」。なるほど、ロードの場合は大半がミーティングで規定されるルールを守っていないから記録は「無意味」なんだなと理解した。速ければ何をしてもいいという発想もロードのモラル低下をイヤというほど実感させた。
このレースに出たのは第二回、2005年です。実施3日前に絹代さん等と「当日枠」で一緒に走ろうという事でブロックタイヤのままクロカンセットのMTBで富士の五合目を目指す事に(汗。当時はミヤタスバルレーシングチーム関係で絹代さんや栗村さん等と交流が少しあったので現地では知った顔も少しいて楽しかったぁ。まだ今ほど身体ができてなかったひ弱な女の子(かつ体調不良でボロボロだった)な絹代さん等と忍野八海に宿を取り、翌朝スタートしたっけ。超頑張り屋の絹代さんは全ての休息所で止まりながら見事ゴールしてたな。確かあの時は栗村さんも走ったはず。もう二度と参加しないイベントの一つだな。ロードの目や耳を覆うイヤな思いはしたくないから。
コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

やみがらす [2010年6月26日 13:18]
自己RES。左端が栗村監督(当時)です。元マウンテンバイクのライダーとして活躍してた人は少ないんじゃないかな?シャッターが絹代さんなので写ってないのが残念。

成瀬弘氏の訃報に考えさせられる...謹んでお悔やみ申し上げます

2010-06-26 06:06:01 | インポート

驚いた。朦朧とネットのニュースを見ていたところ、成瀬氏が「一般道」でBMW(こちらも死者あり、テストドライバー)とLFAのサーキットスペシャルで正面衝突に遭い死亡したという!成瀬氏といえばかつて浮谷のための2000GT開発からトヨタの歴代レースカーの開発に尽力してきた一部では有名な方と記憶してます。ニュルブルリンク郊外の「一般道」で「サーキット用車」を走らせていた事自体に今のレース界やトヨタの体制に怒りを覚えると同時に、亡くなった方には言葉が出ない。数少ない事故現場の画像を見る限り相当のスピードで激突してると見える。法定速度内で走っていたとは考え難い。両車とも競技用車両である事から公道を無許可(対向車線ですから)暴走していたのは容易に想像がつく。亡くなった方には酷な話ですが「自業自得」という見方もできるのではないかと複雑な心境です。かつて「トヨタ7」で会社の方針で何人ものテストドライバーを事故死させてレース界から撤退したトヨタ。その経験が生かされていれば、こんな事故は起こらなかったのではと考えさせられる。レース=スピードを追求する世界であり、「レースからフィードバックされる技術が一般車を良くする」というのは後付けの理屈。スピード=現世との離別率を高めるいう「事実」を少なくとも今回のトヨタとBMWは軽視した結果がコレなのは間違い無い。大きな人が日本のレース史から去ることになった。今後のトヨタ、その他のチームやメーカーの動向に注目したい。レース自体が「スポーツ」なのか「暴走行為」なのかの結論がソコから見えてくるハズだから。成瀬氏のご冥福をお祈りします。もう誰も自動車事故で他界して欲しくない。