同じく、GAZOOのニュースに歴代のランクルに関する記事が。
こういった記事だと割愛される事が一般的な「起源」について補足してみます。
最初は軍から「連合軍のジープと同等以上の車を作れ」との要望で戦時中に入手したJeepを手本に、当時のトヨタAK10トラックを改造して試作されました。
その苦労は並々ならなかったそうで、試作車のライトだけをとっても、一つ目(センターに一灯)や三つ目になったりと奇形も。
「トヨタが作った!」としたくも、性能を突き詰めるとジープと「瓜二つ」になってしまったという有名な話しが残っています。
これは「Jeepが一つの究極の形として完成されていた」という面と、後のランクルが民需として最高の車に進化する余地があった事を指すと考えています。
転機は警察予備隊(後の自衛隊)への入札試験で三菱Jeepが選ばれ、トヨタのランクルは民需に、日産のパトロール(サファリ)は海外需要中心へと方向を変える事で運命が分かれました。
因みに、初期のランクルで「BJ型」と呼ばれるものはガソリンですが、その後のBJは「ディーゼル車」、FJは「ガソリン車」を表す記号になっています。
40系については補足、必要無いですね。
55系はちょっと捉え方に違和感が。
「50系」、又は55型、56型がより的確ではないかな?
55型は3.9L、56型は4.2Lのエンジンです。
私はこの50系もかなり好きだったりします。
顔つきに妙な味があり、「おでこ」がカワイイ♪
実車を見ると、意外にコンパクトな事に驚きます。
特に車幅は今のランクルイメージからすると狭く、日本の悪路に適した形だった事が伺えます。
そして60系に時代が移るのあですが、この辺りからボディーが大柄になり、より海外を意識した車になって行ったと考えます。
ランクルの歴史は国産車として異例に長く、活躍の場が世界全大陸(南極を含む)に及んだ貴重な名車です。
思うに、海外に「トヨタ」の名、又は「日本車」のイメージを一気に広めたのはクラウンでもカローラでもなく、このランクル達だったのかも知れません。
今でも世界中で何十年も働き続けるランクルが居ると聞きます。
親戚は未だBJ41Vを新潟で使用、「譲って~」と頼んでも 「ダメダメ、これが無いと冬場の生活が怖い」と手放さないし(笑。
残念ながら今のランクルはグローバルサイズ(って言うのかな)となり、日本の道に合ったサイズでは無くなってしまいました。
日本は災害の多い国、豪雪、台風、豪雨、土砂崩れ、etc。
自然と共存し生活する足として活躍するランクル、働く車の代表挌。
今年は期間限定なれどランクル70系が販売されてます。
とはいえ大き過ぎるサイズ(これはちょっと…)、内需に見合わないエンジン(ディーゼルが無いのは…)と、私的には全く喜べない内容でした。
様々な課題があり仕方ないとはいえ、今後「ランクルの歴史を語れる「ランクル」」が登場する事を望まずにはいられません。
基本「魂はJeep’er」な私ですが、やっぱり日本のランクル好きですもん♪