「ふと」畳の間にて
コロナ感染対策下の出控える生活が続いている。私が仏壇に手を合わせる機会は、新しくご飯を炊いてお鉢を供える時が多い。仏壇の電灯をともし、ロウソクに火を点け、線香を焚く。そして手を合わせて「自分達家族と子供達二人の家族、それぞれ皆の元気」を報告し、「見守り」をお願いする。
その日はその後、ふと仏間に飾ってある私の父母の写真に目を遣った。ともに60才前後のもの。膝を崩し楽な姿勢でそれらを眺める。父は私が34才、母は36才の時に他界している。戦後5年目に生まれた私は兄弟3人の2番目の子。親が戦中に働いたお金は、戦後には物価がインフレして役割を果たさなくなっていた。私は小学校の給食費工面の、母の困り様をおぼろに記憶している。時は経過するが、父は定年後乳牛を世話しながら田んぼではレンコンを作った。レンコン掘りをしながら、近くに来ている私の方を振り向き、言葉を交わす。その情景が記憶に残っている。
現在の私も定年後、休耕田にしていた田んぼにレンコンを植えそれを掘る。70才ではあるが今の生活を楽しんでいる。35年の年月は経過して、あのときレンコン掘りを並んでしていれば楽しそうだ、と想像する。
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