先ほど、大石さんから「18時のNHKテレビで、鳥取県の遺跡からから古い将棋盤と駒が出土したニュースが・・」と、資料のfaxを戴きました。
「へーっ」と思って、確かめると次の通りでしたので、チョッと触れさせていただきます。
資料によれば、出土したのは「将棋盤の1面分の破片2個」と「駒」2枚。
遺跡は鳥取県出雲市の高浜Ⅰ遺跡。
時代は、15世紀から16世紀初頭とのこと。それが正しければ、室町時代中頃のものである。
「駒」は写真のみで詳しく触れられておりませんが、如何にもあり合わせの木片を自給自足で加工した物だということが分かります。
2枚は何の駒かは分かりませんが、縮尺から駒の高さはおよそ3.2ミリ。
現代の平均的な駒に比べてやや大きいようです。
「盤」は、9間に刻まれた升目(升目が書いてあるのか、彫ってあるのかは説明ナシ)が分かる写真が寸法とともに示されています。
厚み約1センチ~0.85ミリとごく薄い板盤であり、何かの拍子で割れて破棄された物だと考えられます。
2つの破片は、盤の一間目と9間目あたりの両端部分であり、中央部の7間分は見つかっていないが、どのような盤であったかは容易に推論出来、資料を参考に、小生なりの考察を交え、解説を試みます。
1、材種は杉とのこと。(この部分、修正)
形状から見ると、元々は家具類、例えば器局や箱などの蓋のようなものを「盤」に再利用した物であること。
(写真上部にある突起部分。これは盤には不要だが、原型をそのまま残して使っている)
従って、本来の将棋盤でなく、誰かが自給自足で工作したものと言える。
2、 写真で見ると、升目はほぼ正方形の、およそ38センチx38センチ。
その理由は良く分からないが、たまたまこの板が正方形であったから、ではないか。
3、9x9升を盤面いっぱいに描いてあるのは、現在のやや長方形な盤に慣れ親しんでいる者として少し違和感を感じるが、
ゲームをする上で問題が無く、わざわざ長方形にする手間の必要性を感じなかったからであろう。
4、当時は盤の決まった寸法(定寸)は無かったし、格式ばったものではない。
この盤(駒もそうだが)は庶民の手作りであり、駒の大きさに合わせて作った実用品である。
5、盤の出土例としては、2例目だそうである。
駒と比べて出土例が少ないのは、本格的な盤は駒と違って、消耗品では無いから、伝世品でこれより古いものがある可能性は
捨てきれないし、そのあたりは良く研究されていないから、「最古」というのは、更なる検証が必要ではあろう。
以上。
皆さんのご意見はいかがですか。