前稿では、古い出土駒が作られた時代(例えば平安時代)、駒は針葉樹ばかりで作られていたのかどうかです。
現今のように、ツゲ(広葉樹)駒は無かったのでしょうか。そのことについて考えてみます、と述べました。その続きです。
古い時代の出土駒には、ツゲで作られた駒は皆目見当たらず、すべてが針葉樹ばかりで、そのほかの広葉樹で作られたモノもなく、それはなぜなのかです。
この時代、遺跡から発掘されているモノの中に木簡があります。特に平城京あたりからは大量に出ていて、木簡は当時、後の紙に代わる書付の材料として使われていた素材として、その多くは杉などの針葉樹を薄く平たく削った木片(ヘギ)で、役所やお寺などでは、ここに墨書して記録あるいは標識として用いられていたわけで、部屋の隅には、そのためのヘギが、うず高くストックされていたことでしょう。
現在は、駒は専ら職人が作るものとされていますが、当時は将棋遊びをする人が自給自足で作っていたわけで、ヘギは程よい大きさに刻まれて、それへ駒の文字を墨書した。奈良・興福寺の井戸から出土した駒はそのようなモノであります。
中には、木簡そのものの形を残したまま墨書きしたものもあって、それは文字書きの練習跡でありましょう。
ところで、出土駒に見るこの時代の駒は、薄っぺらい素材をはじめ、その形と文字は、決して端正とは言い難く、むしろ粗雑なモノであり、それは自給自足で作った駒であるゆえに、当然なことではあります。
では、この時代、現今のような端正な形でツゲで作られた駒は作られていなかったと言いきって良いかどうかです。
次回は、これを考えてみたい。
2月16日(木)、曇り。
今日は、今泉さんの本を見ていての関連事項です。
本の中に「駒型」について、述べられています。
先人の意見として「あの5角形の駒形は、墓などで見られる先がとがった板碑や絵馬などから形作られた」とする見解が紹介されているのですが、別の見方もあると思います。
そして、古い出土駒に見られる「駒の形」に関してですが、前提として触れておきたいこともありますので、以下、私なりの見解を述べさせていただきます。
古い出土駒には、同じ5角形でも縦に長いものが多いですね。これはどういう理由であるか、少し考えてみます。
それは、素材の種類と物性が直接的に関係しています。
即ち、それらの出土駒は、杉材などの針葉樹で作られたものだからで、針葉樹は縦に濃い木目が通っていて強く、横方向には脆弱で割れやすいという物性があります。
ですので駒の形で幅を広くすると、使っていて小さな力でも割れやすい問題が生じます。逆の言い方をすれば、幅が狭いと割れにくいということで、それが第1の理由でありましょう。
一方、そのような古い出土駒が作られた時代(例えば平安時代)、駒は針葉樹ばかりで作られていたのかどうかです。今の駒のように、ツゲ(広葉樹)駒は、無かったのでしょうか。そのことについて考えてみます。
少し、長くなりました。
もう少し続けたいのですが、この続きは、また夜にでも。