熊澤良尊の将棋駒三昧

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三度四度、出土駒について

2023-02-25 18:23:37 | 文章

2月25日(土)、曇り。

繰り返し、出土駒の話です。

先に、「奈良の遺跡から出土した興福寺駒が、出土駒としては一番古いモノだと語られて、それを信じ込んでいる人が多い」と述べました。
それは本当なのかどうかですが、私は間違いだと思っています。
それより古い時代の出土駒は、昭和54年だったか、山形県酒田市にある城ノ輪柵(きのわさく)遺跡から出土した「兵の駒」、これが最古のモノであろうと思います。
と言いますのも、城ノ輪柵は、奈良時代後期(8世紀)から平安時代中期(11世紀)にかけて、当時の朝廷の出先機関で、「兵の駒」は、その遺跡から発掘されており、その時期は、少なくとも「興福寺駒」の年代より古いと考えるのが至極順当であります。

その姿形は次のように表が「兵」、裏が簡易体で「金」と墨書されたものです。(今泉さんの本の表紙から抜粋させていただきます)

残念ながら、この遺跡で発掘された駒はこの一枚だけであり、10数枚(後に数枚、追加発見)されている「興福寺駒」に比べて、やや強みに欠けるところはあるのですが、それをもって最古とは言えないという理由にはならないのは当然なのですが、なぜか声が小さいせいか「最古」から追いやられています。
学術の世界でも、声の大きいのが強いのでありましょうか。
新聞とかテレビなどのマスコミも、独自の検証もなしに声の大きさに惑わされているかの如く
の報道も散見されているのは不可解と言わねばなりません。

ところでこの「兵の駒」。
現在の「歩兵」ながら、2文字でなく「兵」のみの1字表記であることに注目しなければなりません。
「兵」に関しては、二つの考え方ができます。
一つは、「兵」がこの時期、正当な駒の名称であったとする考え方で、もう一つは「歩兵」の略称として「歩」ではなく、たまたま「兵」と書かれたという考え方であります。
前者の可能性として、大陸からの影響が考えられます。
即ち、中国将棋、朝鮮将棋には「兵」の駒があり、伝来初期の頃は、わが国でもそのまま使われていたとの考え方で、その可能性は強いものの、それを証す古文献は見つかっておりません

後者は、省略形として単に後ろ一文字を墨書したモノであるとの解釈で、簡略した駒の呼び名も「ヘイ」であったのかもしれません。

と言いますのも、現代でも関西では「歩兵」の駒を「ヒョコ」(遊び・ヒョコ廻り)と言ったり、プロ棋士の中には「ヒョウ」と呼んでいる人もいて、いずれにしても「兵」の駒には、より古い時代の匂いが発散しているのです。

コメント (1)
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