熊澤良尊の将棋駒三昧

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原発核燃料デブリ問題

2024-09-15 17:49:48 | 文章

9月15日(日)、曇り。
原発で発生した「核燃料デブリ」の処理についてのニュースが、テレビや新聞をにぎわせています。

発生したデブリは、数十トンとかですが、今回の取り出し作業での量は、僅か耳かきほどの3グラム。
その取り出しにさえ難航しているとのことで、政府や電力会社のやっていることには、あきれるばかりです。

私がかねがね思っていることですが、政府や電力会社がやってきたことは、とにかく一途に「原発を作る」ということだけに特化し、最終的な収集処理を全く考えない姿勢であり、東日本大震災によって、廃炉せざるを得なくなった原子炉を、今になって、どのように収拾するかにアタフタしているわけで、この調子では、何百年、何千年かかっても、収集はおぼつかない。そのように思えます。

では、どのようにすればよかったかですが、私が言いたいのは、建設計画を立てるときに、にはどのようにするかを十分に検討し、明確にしておく必要があったということ。
政府や電力会社は、収束のことは全く考えることなく、とにかく原子炉を作ることだけの一念で進めてきたことの結果が、今の状況を生み出しているのです。

で具体的に、私が以前から考えていたことを以下に述べることにします。

当初、建設計画を立てる時には撤退時のことを考えて、「稼働時に発生する燃料デブリと、炉そのものと設備の廃棄処理場所を、炉建設地の地下深くに埋没することを条件に、建設場所探しをしなければならなかったと思うのです。
即ち(金が欲しく?)建設候補として名乗り出る自治体があるとすれば、その条件のもとに地元に建設ことを申し出るわけで、そのようにしておくことで、あとになって今のように政府が(探すのが困難な)廃炉デブリの処分場所を探さなければならない事態にさらされることは無いわけです。

一方、金より安全を選ぶ健全な自治体ばかりで、名乗り出るところが皆無なら、政府の思惑に反して原発の建設自体が不可能になるわけで、正論を言えば、そのようにしておく必要があった。

しかしながら、建設一辺倒の政府と電力会社では、このような考えは全く無かったので、今のような事態になったわけで、慌てて今頃、アタフタしていることに、無力感と滑稽さ(馬鹿さ加減)を感じるわけで、加えて、マスコミはこのような根本的なことに全く触れないこと。
それにも強い憤りを覚えるのであります。

長い記述と、読みにくい文章になりましたこと、平に謝謝。

 

 

コメント (2)
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