2月7日(火)、晴れ。
本日のテーマは、神奈川県川崎市、カリタス小学校での総合学習「駒づくり」。
平成5年当時のことですから、もう、30年以上が経過します。
そもそもの始まりは、4年3組担任の先生からの電話でした。
「生徒たちが、本格的な駒づくりをしたいと言っている。どのようにしたらよいか」とのことで、話しを聴いていると、これはほっておけないなと思い、東京出張の合間を利用して、学校を訪ねました。
本日、仕事場の棚を整理していて、その時の本が出てきて、ひも解いているとその時の情景が蘇ってきました。
経緯は、4年3組担任の萩原千加子先生(後に校長)が詳しく書いておられるので、それをご覧いただくとしますが、学校を訪ねたとき「ホオーっ」と驚いたことが、二つありましたので、そのことに触れておきます。
驚きの一つは、応接室で少し緊張気味にしていると、「モニック」さんとおっしゃるフランス人女性が校長先生だったのでした。
そしてもうひとつの驚きは、4年3組教室の前まで行って見渡すと女の子ばかり、これにも「エッ。全員が女の子」。それも予期せぬことでした。
以下は、その様子です。
以下、本来は大量のページが続くのですが、かなり見にくかったので、図柄(活字)を大きくしてみたところ、一部が欠けるなど、昨夜は5時間かけてもアップに難航。
何時もなら19時に寝るところを、日にちが変わっていました。
頭を冷やして、今晩にでも再チャレンジします。
2月6日(月)、晴れ。
暦どうり春を思わせる太陽。
ですが。朝晩は氷点下でした。
朝から某所へ。そこにかかっていた「標語訓」。
「今のやり方が最善だと考えて、それを繰り返ししているのは後退である。
まだまだ工夫改善できることがあるはず。常に工夫が大切で、それが進歩につながる」。
そのような内容であった。
これを言っているのは「ホンダ」の創業者、本田宗一郎さん。
なるほど。これを読みながら、そうだと思いました。
常に何かを考えている。そのうちの出来そうなことはやってみる。
考えているだけでは進歩はないし、やってみなければ、結果が分からない。
やれそうなことはする。そう思っています。
2月4日(土)、晴れ。
今日のニュースは、官僚のフトした言葉での禍。
好き嫌いを含め、今回の事案は、官僚は、日ごろ思っていることでも、偽りの発言をしなければならない。ということを世間に知らしめたのです。
すなわち、正直でなく、嘘をつける人がその地位にとどまっていられる。そういう世界なんですね。
なんとも、寂しい限りです。
2月3日(水)、曇り。
今日は節分。いよいよ明日から春となります。
期待しましょう。
ところで、本日の映像は、私の作業机の上。
向こう側に整列しているのは、盛り上げを待っている「雛駒」たち。
手前が盛り上げを済ませた駒たち。
少し余分に作業しています。
今回は早々と「玉将・王将」を済ませ、「玲」の駒も終えています。
2月2日(木)、曇り雨。
明日は節分。本日の映像は「玲」の駒。
「玲」の駒は先般もアップしましたが、字形を変えて書き直しました。その映像です。
2月1日(水)、雨。
冷たいこぬか雨。
午前中から昼過ぎにかけて、所用で隣町へ。
その他の時間は「雛駒づくり」。
裏の文字は終わって、表文字の盛り上げに取り掛かったところです。
ところで、雛駒。もう少し大きい雛駒も、作りたくなってきました。
雛駒はこれまで、盤の大きさで30✕27センチのモノや、20x18センチ程度のモノを作って、今回は22x20センチの盤に合う駒を作っているのですが、これより少し大きいサイズの雛駒を作ってみようかと思うようになりました。
その理由は、卓上でパソコンの横に置いて邪魔にならない大きさで、かつ、対局にも使って違和感を感じさせない大きさ。そんなのを作ってみても、面白いのではないか。そう思ったわけです。
それには小さすぎず、駒さばきもレギュラーサイズの駒さばきに近い感覚で扱える大きさの雛駒。それを追求してみたい。そんな思いです。
実は、過去に同じ思いで拵えたのが30x27センチ盤の雛駒でした。これはこれなりに気にいっているのですが、今回は、もう少しコンパクトなものをということです。
ということで、少々先走ってはいるのですが、中間的な26✕23.5センチの盤ならどうだろうかと、紙に描いてみました。
左が現在リクエストで作成中の駒用の22✕20センチの盤サイズ。右が、今日描いた盤サイズ。26x23.5センチ。
盤としては4センチ程度の違いですが、駒としては数ミリの差となり、この違いは使い勝手として、違ってくるのではないでしょうか。
そんなことをいつも考えていて、家内などは、私には「仕事以外は上の空」だと突っ込まれているのですが、大昔、ジャイアンツの長嶋さんが選手時代。幼い一茂さんを球場に連れて行って、息子を球場に置いたまま連れて帰るのを忘れて一人で帰宅したというエピソードを聞いたことがあります。
おそらく頭の中には「野球」のことが一杯で、息子のことは「上の空」の如く、消えていたのでしょうね。
私も、よく似た状況なのかもしれません。