ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

少年よ

2008-11-09 14:31:07 | 日記・エッセイ・コラム

日本ペンクラブ主催のO市文学サロンにて
浅田次郎と森詠両氏の講演があった。

テーマは「風、少年、ふるさと、ノスタルジア」
昭和26年東京生まれの浅田氏にとっての少年は
経済成長へ向かいつつある豊かな環境の中
その人柄にも育ちの良さが窺がわれる。
但し、テーマとは少し離れた教育論のような内容に
話が傾いてしまい
むしろ那須地方で少年時代を過ごした森氏の
内容の方がこのテーマには沿っていたようだ。

浅田氏は自らを晩成型と称し
『鉄道員
ぽっぽや』で第117回直木賞を受賞した。
森氏は『オサムの朝』で第10回坪田譲治文学賞を受賞し
現在公開されている映画「那須少年記」の原作者である。

ぼくの少年時代には学校給食なんてものは無く
それぞれ弁当持参であった。
アルミで造られた箱型の弁当
冬はダルマストーブの上で温めると
たくあんや納豆の臭いが教室中に充満したが
笑う者はだれひとりなかった。

栄養補給のため
脱脂粉乳をむりやり飲まされることには閉口し
サッカリンの気味悪い甘さに何度も吐いた。

体育の授業の後、昼食になることが多く
その間にときどきぼくの弁当が盗み食いされた。
父の商売も順調に進んでいたので
弁当のオカズにも、
当時としては贅沢過ぎる豚肉の生姜焼きがよく入っており
ぼくが歓ぶので祖母が作ってくれるのだ。

その豚肉だけが食べられ、ご飯には手をつけない。
犯人の見当はおおよそついていたが
悔しいという思いにはならないので
タレの滲みたところを黙って食べ
決してだれにも言わなかった。

子どもも大人も腹を空かし
みんな懸命に生きていた時代であった。

     綿虫の一分しかとてのひらに


あの世のことは

2008-11-07 11:28:08 | 日記・エッセイ・コラム

組内の葬儀がようやく終わった。
近所に独居世帯がまた一つ増える。

今はほとんどのことを葬祭場がやってくれるので
嘗てのようには組内に負担はかからないが
それでも三日は覚悟しなければならない。
中には勤めを休まなければいけない人もいて気の毒だが
これも亦、向う三軒両隣りのよしみ・・・・・
普段の無沙汰から親睦を深めるに絶好の機会でもある。

 (戒名は一文字最低でも5万円だって・・・)
帳場を預りながら、周りのお喋りが耳に入ってくる。
 (立派な戒名をつけてやれば仏さまもあの世でいい暮らしが・・・) と
俗界の生臭坊主たちは云々するが
はて? さて? それなら
アメリカ人やフランス人たちはどうだろう。
ジャックやベティやスザンヌたちは・・・
ドイツ人もオランダ人も戒名の無い彼らは
あの世で肩身の狭い思いをさせらているのだろうか?

あの世で大手を振っていられるのは
大姉や居士の戒名を持つ日本人だけというのだろうか。

ぼくは今、正直どうしようかと決めかねている。
俗名のままで行こうか、それとも俗世の慣例に合わせて・・・・・・・


本来、戒名なんてものは生きている者の見栄と
自己満足に過ぎない。
だれか一人でもいいから、あの世から帰還して
本当のことを教えてくれたらありがたいのだが・・・・・。

 
    銀杏散るひとひらごとの舞を舞ひ


冬のプレリュード

2008-11-03 12:41:10 | 日記・エッセイ・コラム

ギターのコンサートが友人宅で開かれた。
パリ・ノルマル音楽院演奏家クラスを首席で卒業した
岩永義信氏の十弦ギター。

一部はJ・S・バッハのリュート組曲、
二部はグリークのギターの為の組曲と
バルトークのルーマニアの民族舞曲など。
予定のピアソラの曲が変更になったのは残念だが
十弦ギターならではのボリュームを充分に楽しむことができた。

終了後、数人が残ってコーヒーを戴きながら演奏家と歓談する。
これが実はホームコンサートのおいしいところ。
力強い演奏に反して
細く女性のようにしなやかな指に魅了され
触らせてもらった。
なんと! 女性の手よりも女性的・・・・・
爪はギター演奏の命、日々手入れを怠らないという。

きょうは文化の日。
わが郷土出身の作曲家船村徹氏が文化功労賞に選ばれた。
町としてもたいへん名誉なこと。
 (海の日があるのに山の日がねえー)
と、氏は山の日を提唱している。
山が健全であってこそ海も亦健全になれる。
---------まったく 同感である。

     
人ら急ぐ冬三日月の蒼き道


猫に教えられて

2008-11-01 10:34:32 | 日記・エッセイ・コラム

ミミの避妊手術が遅れて
どこかで産んだような気がしていたが
なんとまあ! 
昨日、こどもを連れてきた。
---------よちよち歩きの四匹の仔猫たち
ぬいぐるみのようにあどけない。

カンナが出て行って
ちょっぴり寂しさを感じていたところへの闖入者。
ふしぎなことには
四匹ともカンナにそっくりの柄模様
( こういう現象が猫の世界では度々起きる )

去るものあれば来るものあり 
わが家の出入りは人も猫もにぎやか。
ゆうべは物置小屋のダンボールの中で
母子五匹がダルマのように一つの塊りになって寝た。
そこはジージの寝床だが
だれにでも優しい年長組ジージは
母子のために一番安全で温かな寝床を
譲ってやったのだろう。

よく観察していると、癒されること以上に
猫たちからは教えられることも多い。
特にこどもに対する母猫の強い情愛や
グループを守るリーダー(ボス)の優しさと勇気には
胸を打たれることがある。

  母猫はエライ!
  子育てを誰に教えられることもなく
  たった独りで産んで
  病気になっても駆け込む病院があるわけではなく
  着きっきりで高熱の子の体を舐めてやっている。
  ボス猫はエライ!
  傷だらけになりながらも
  グループを敵から避難させている。

蔵の隅と物置小屋に寝床を用意してもらって
肉屋さんが切り落としのくず肉を
魚屋さんが魚のアラを時々届けてくれて
猫たちはどれも丸々と
おおらかに暮らしている。
これもやはり、衣食足りて-----云々ということだろうか


     風強き日のむかし宿場のとろろ汁