日本ペンクラブ主催のO市文学サロンにて
浅田次郎と森詠両氏の講演があった。
テーマは「風、少年、ふるさと、ノスタルジア」
昭和26年東京生まれの浅田氏にとっての少年は
経済成長へ向かいつつある豊かな環境の中
その人柄にも育ちの良さが窺がわれる。
但し、テーマとは少し離れた教育論のような内容に
話が傾いてしまい
むしろ那須地方で少年時代を過ごした森氏の
内容の方がこのテーマには沿っていたようだ。
浅田氏は自らを晩成型と称し
『鉄道員ぽっぽや』で第117回直木賞を受賞した。
森氏は『オサムの朝』で第10回坪田譲治文学賞を受賞し
現在公開されている映画「那須少年記」の原作者である。
ぼくの少年時代には学校給食なんてものは無く
それぞれ弁当持参であった。
アルミで造られた箱型の弁当
冬はダルマストーブの上で温めると
たくあんや納豆の臭いが教室中に充満したが
笑う者はだれひとりなかった。
栄養補給のため
脱脂粉乳をむりやり飲まされることには閉口し
サッカリンの気味悪い甘さに何度も吐いた。
体育の授業の後、昼食になることが多く
その間にときどきぼくの弁当が盗み食いされた。
父の商売も順調に進んでいたので
弁当のオカズにも、
当時としては贅沢過ぎる豚肉の生姜焼きがよく入っており
ぼくが歓ぶので祖母が作ってくれるのだ。
その豚肉だけが食べられ、ご飯には手をつけない。
犯人の見当はおおよそついていたが
悔しいという思いにはならないので
タレの滲みたところを黙って食べ
決してだれにも言わなかった。
子どもも大人も腹を空かし
みんな懸命に生きていた時代であった。
綿虫の一分しかとてのひらに