顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

散歩道も春いっぱい

2016年04月18日 | 散歩

住宅地を一歩出ればまだ自然が残っており、新緑の芽吹きが眩しいようです。
田んぼにも水が張られて田植えの準備もそろそろ、誰が植えたか紅い桃の木が貴婦人のようにアクセントになり、山桜の白とよく似合っています。BGM担当の若鶯は、まだ覚えたての調子っぱずれで鳴いています。


道端にムスカリ…地中海沿岸-南西アジア原産の球根植物です。最近園芸植物の定番になりつつありますが、こぼれタネでも出てくるようであちこちで見かけます。英名のグレープヒヤシンスは花姿がブドウの房のように見えるところに因んでいます。
写真の奥に見えるのは、ハマエンドウ?この時期の野原の主役です。


竹やぶの脇にアケビの花…なんとも妖麗な紫色です。秋の実は、少年時代の山のおやつ、甘く白い果肉を口に含んで、タネをぷっと吐き出して食べたものです。毎年何個か実をつけているのを見つけますが、果実が裂ける頃にはどなたかの胃袋に納まってしまい最後までは観察できません。

負ふた子や通草の花に手をのべる  松瀬青々 
乱鶯に山藤が散る通草が散る  松本たかし 

折々の記

2016年04月15日 | 日記


しだれ桜を見に行った六地蔵寺の境内で見つけた小さな観音様、謂われは分かりませんが、どう見ても授乳しているようです。多分お乳が出るようにという願望で建てたのかと調べてみたら、日本唯一の「お乳のお寺」「おっぱい寺」として知られている「間々観音」が出てきました。愛知県小牧市にある浄土宗の寺院で、正式な寺号は「龍音寺」。写真を見ると境内にはいろんなおっぱいがいっぱい!授乳している観音蔵のおっぱいからは水が出ていました。
今でもそうですが、子育てには母乳がより必要な時代、乳が出るようにとの願いは切実なものだったのでしょう。素朴なこの観音像は、我が子を見つめて慈愛の微笑を浮かべているようです。


庭の片隅で「ヒトリシズカ(一人静)」が咲きました。
この清楚な姿を「源義経が寵愛した静御前が舞っている姿に見立てた」命名であると言われ、また、同じセンリョウ科チャラン属の「フタリシズカ(二人静)」は「義経を思う静御前の舞に幽霊がつきまとって二人の舞になった姿に例えた」というのが定説のようです。
フタリシズカは白い球形の花が二本(または数本)の茎に付きます。どちらもこの近在の山間部でよく見かける花です。
根茎が地中を横に走り、彼岸頃にそこから芽を出してたくさんの茎を直立させるので、地味な花ですが、名前に惹かれる方に株分けしてあげています。

一人静ここだく咲ける静かさよ     富安 風生
  ※ここだく(幾許く) ここだ(幾許)と同じ  数量の多いさまを表す。たくさん。多く。

村松虚空蔵尊と大神宮

2016年04月10日 | 歴史散歩
十三参りで有名な村松虚空蔵尊は、「村松山日高寺虚空蔵堂」という真言宗の寺で、かつては奥にある大神宮の神宮寺(神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂)であったとか、御本尊は虚空蔵菩薩で、伊勢浅熊嶽、会津柳津と並ぶ「日本三大虚空蔵」言われています。
近在の人には主に厄払いの寺として親しまれ、特に初めての厄年である十三歳に村松虚空蔵尊で厄払いをすると、知恵と福徳が授けられると伝えられ、今でも多くの参拝者が訪れています。

本堂屋根側面の拝み部分の破風飾りに桜がよく似合います。この破風金具は、唐草模様や三つ葉葵紋を銅に鏨(たがね)という道具で彫り描き、模様を彫った後、漆を塗り金箔が貼られています。

賑やかな虚空蔵尊に比べ、ひっそりとした佇まいの大神宮は、和同元年(708年)の創建と伝えられています。伊勢神宮の分霊が祀られており、水戸二代藩主水戸光圀や九代藩主斉昭の崇敬が厚かったことで知られています。神社のパンフレットでは茨城のお伊勢様と並んで茨城一の宮とされていますが、鹿島神宮も常陸一の宮、どういうことでしょうか。

大神宮の西側の高台、松林の奥に「水戸八景・村松の晴嵐」の徳川斉昭自筆の碑があります。書体は水戸八分(はっぷん)という独特の隷書体で、村の字は装飾的な古典文字が使われています。
「水戸八景」は、斉昭が近江八景とその元となった中国の瀟湘八景になぞらえて水戸藩の中の名勝を選んで、若い藩士の教育の為にここを歩かせて(全行程約100キロもありますが…)身体を鍛えると同時に藩の状況などを知らしめようとしたものです。

若緑天上天下皆独尊   阿部宗一郎
晴嵐の碑文烈しく緑立つ  顎髭仙人

なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。


千波湖の桜

2016年04月09日 | 季節の花

千波湖畔は平日にもかかわらずすごい渋滞、たまの晴天でどっと繰り出すのは誰も同じ行動パターン、特にいろんな介護施設のワゴン車が目立ちました。車内のお年寄りのいい笑顔、桜というものは誰も笑顔にしてくれる力があるのを再認識しました。
湖畔の半周道路で渋滞約25分、しかしイライラ顔など全く無いのは不思議です。仕方ないので車から望遠で偕楽園の左近の桜を撮りました。コンパクトデジカメ(CanonPowerShotS95)では、これが精一杯、好文亭まで直線で600m,解像度のボケが春霞のような効果を出している?と自己評価しました。
県内の桜を追い続けている常磐百景ブログの、茨城一本桜番付で東横綱に選定された左近の桜が偕楽園見晴らし広場に咲いているのが見えます。

偕楽園四季の広場付近も桜が満開でした。以下は、桜川上流部に山桜を植える活動をしている、桜川千本桜プロジェクトのブログからの抜粋です。
「千波湖の外周および少年の森広場に植えられた桜の木は、約750本を数え、その品種は30種もあり、さらに桜川の駅南部(駅南小橋~美登里橋)には250本が植えられており、こちらはソメイヨシノ中心、すでに両エリア合計で「千本桜」が存在しています。これに桜山の370本、偕楽園内の130本を合わせると、桜川下流部には1500本の桜があるのです。
さて水戸藩2代藩主徳川光圀公は元禄9年に、現在の見川町から河和田町の一帯に、桜の名所真壁郡の桜川の地から、ヤマザクラ数百本を移植し、川の名前を「佐久良川」と改めたのです。これが「桜川」の起源です。
ところが歳月を経て現在、光圀公が植樹した場所に由来の山桜は全くありません。それどころか、偕楽園直下までの美しく整備された姿とは違い、人が容易に立ち入ることもできない放置された空間になっています。
私たちは、この光圀公ゆかりの場所にヤマザクラを中心とした樹木を植樹し、歴史に基づいた景観形成に協力していきたい、そして面積世界第2位といわれる偕楽園公園のエリアの未整備地や上流部にも植樹を行って、水戸を梅同様、桜でも名をとどろかす日本一・世界一のガーデンシティにしたい!そんな願いのもとにこの桜川千本桜プロジェクトをはじめました。 」
この活動に大きなエールを送りたいと思います。

さまざまのこと思い出す桜かな 芭蕉
願わくば花のしたにて春死なむそのきさらぎのもちづきのころ 西行法師

ひたち海浜公園 NOW

2016年04月06日 | 季節の花


近くてもなかなか訪れることの少ないひたち海浜公園、松林の中のスイセンと桃の花の取り合わせが華麗な景を見せています。ホームページによると、550種100万本とか、種類の豊富さで早咲きから遅咲きへ、長い期間楽しめる設定になっているようです。
スイセンは、ヒガンバナ科の多年草で秋植え球根植物、地中海沿岸からアフリカ北部の原産で園芸品種として色や形の異なる多くの品種があります。
このスイセンは全草が毒素で、とくに鱗茎(りんけい)に毒成分が多いとのことです。よく、ニラやワケギと間違って食べて中毒してしまう話を聞きます。
またスイセンの花言葉は「ナルシスト」「自己愛」です。美少年ナルシスが水面に映る自分の姿に恋い焦がれて死んでしまうというギリシャ神話から、学名Narcissus(ナルシサス)も付いています。


春の目玉のネモフィラは、まだ咲き始め、ゴールデンウイークにピークを持っていく作戦でしょうか、今年は少し早まるかもしれません。春のネモフィラ、秋のコキアという、あまりメジャーではない植物で海を見下ろす小高い丘全体を埋めてしまうという発想の仕掛人に大きな拍手をおくりたいと思います。今では完全に集客の大きな2大エースとなってこの公園の存在を大きく高めています。


最近あちこちで見かけられるようになったスズランスイセン(鈴蘭水仙)、松の根元の群落が見事だったので、撮ってみました。正式な名前は、スノーフレークといい、ヨーロッパ中南部原産のヒガンバナ科の多年草です。スイセンのような細い葉と鈴蘭のような花から付いた名で、またスノーフレークは雪片とか小さな雪のかたまりとかいう意味です。
スイセンと同じ有毒で、ニラと間違いやすいので、近くには植えないようにと言われています。