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十三参りで有名な村松虚空蔵尊は、「村松山日高寺虚空蔵堂」という真言宗の寺で、かつては奥にある大神宮の神宮寺(神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂)であったとか、御本尊は虚空蔵菩薩で、伊勢浅熊嶽、会津柳津と並ぶ「日本三大虚空蔵」言われています。
近在の人には主に厄払いの寺として親しまれ、特に初めての厄年である十三歳に村松虚空蔵尊で厄払いをすると、知恵と福徳が授けられると伝えられ、今でも多くの参拝者が訪れています。
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本堂屋根側面の拝み部分の破風飾りに桜がよく似合います。この破風金具は、唐草模様や三つ葉葵紋を銅に鏨(たがね)という道具で彫り描き、模様を彫った後、漆を塗り金箔が貼られています。
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賑やかな虚空蔵尊に比べ、ひっそりとした佇まいの大神宮は、和同元年(708年)の創建と伝えられています。伊勢神宮の分霊が祀られており、水戸二代藩主水戸光圀や九代藩主斉昭の崇敬が厚かったことで知られています。神社のパンフレットでは茨城のお伊勢様と並んで茨城一の宮とされていますが、鹿島神宮も常陸一の宮、どういうことでしょうか。
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大神宮の西側の高台、松林の奥に「水戸八景・村松の晴嵐」の徳川斉昭自筆の碑があります。書体は水戸八分(はっぷん)という独特の隷書体で、村の字は装飾的な古典文字が使われています。
「水戸八景」は、斉昭が近江八景とその元となった中国の瀟湘八景になぞらえて水戸藩の中の名勝を選んで、若い藩士の教育の為にここを歩かせて(全行程約100キロもありますが…)身体を鍛えると同時に藩の状況などを知らしめようとしたものです。
若緑天上天下皆独尊 阿部宗一郎
晴嵐の碑文烈しく緑立つ 顎髭仙人
なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。