顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

甲斐武田氏発祥の地…武田氏館(ひたちなか市)

2021年06月12日 | 歴史散歩
武田信玄で知られる戦国時代の名族、甲斐武田氏の発祥の地は常陸の国那賀郡武田郷という、昭和43年(1968))の志田諄一氏の説が定説とされています。

前九年の役で鎮守府将軍として安倍氏を討った源頼義の三男義光は、近江国の新羅明神で元服したことから新羅三郎と称されました。(長男義家は、山城国の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称されました)
義光は後三年の役(1083~1089)で兄義家を助けるため官職を棄てて参戦し武名を高め、常陸介に任ぜられ常陸国への進出を図ります。まず長男の義業に常陸大掾吉田清幹の娘を娶らせて久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に配し、義業の長男昌義は「佐竹冠者」と呼ばれ、これが以後800年の歴史を刻む佐竹氏の祖となりました。

義光の三男義清は、那賀郡武田郷に配され地名にちなみ武田氏を名乗り「武田冠者」と呼ばれて、ここに武田氏が誕生します。しかし武田義清とその子清光は、土着の豪族との勢力争いで朝廷に訴えられて、甲斐国に配流になりますが、今度はその新天地で甲斐源氏の礎を築きあげ、17代後には武田信玄が出現します。

義清父子が居住した館跡は那珂川左岸の河岸段丘、武田台地の突端部、舌状に伸びた要害の地で東西に深い谷津の地形を利用した平山城です。館跡は湫尾(ぬまお)神社境内に続く標高20mくらいの丘陵で、摺鉢山とよばれていましたが、常磐線敷設や土砂採掘により崩されてしまいました。

遺蹟や発掘資料などが乏しいので、当時の絵巻物などを参考に中世の武士の館を再現した武田氏館が「ふるさと創生事業」の一環として平成3年に建てられました。門には板塀がめぐらされています。

厩には、なんと造られた馬がいます。小学生の校外学習では喜ばれるかもしれません。

主屋の造りは、主屋と玄関をつなぐ中門の張り出しが特徴の主殿造りと呼ばれる建築様式です。甲斐武田氏発祥に関係する資料や,甲冑、刀、武田遺跡出土資料などを展示しています。

この一帯は旧石器時代から平安時代にかけての集落跡が存在した武田遺跡群で、出土した石器や土器なども展示されています。

展示されていた「武田三代軍記」(享保5年(1720)刊行)の家系図、14代信縄の孫が晴信(信玄)になります。

義清、義光の人形が飾ってあります。規模の小さな復元でなく復興模擬の館なので、当時に思いを馳せることは難しい気がしますが、ここが戦国時代に名を馳せた武家の発祥の地という視覚的な役目は果たしていると思います。

館の東側にある湫尾(ぬまお)神社は、創建は不明ですが慶安元年(1648)に再建されたという記録が残っているそうです。ご祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。
平成25年に不審火で焼失しましたが平成30年に再建され、まだ木の香が匂うような色合いでした。

武田郷の鎮守武田大明神とも称されており、元禄年間には水戸藩2代藩主徳川光圀公が神鏡を納めたと伝わります。

館跡の東側は常磐線が走っています。比高約20mの台地から見た南側には、那珂川のもたらす豊かな米作地帯が広がっています。

一帯の南崖付近には鬱蒼として樹木が茂り、テイカカズラ(定家葛)がいっぱい垂れ下がっていました。
式子内親王に思いを寄せた藤原定家が、内親王の逝去後も忘れられず葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説から命名されました。葉や茎を切ると有毒の白い乳液が出ます。

虫コブ…樹木の葉などの変形

2021年06月05日 | 季節の花
庭や公園の樹木の葉が変形しているのを調べてみました。あまり気持ちのいい画像ではありませんので、どうぞご容赦ください。

虫コブ(虫瘤)は虫えい(虫癭)ともいい、植物に寄生する虫によって植物組織が異常に成長してできる瘤状の突起のことで、英語ではゴール(gall)とよばれています。種類によって没食子(モッショクシ)、五倍子(ゴバイシ)とよばれて、薬用や染料、インクの材料などに使われます。
特にブナ科の虫コブから抽出した没食子インクは「古典インク」ともよばれ、ヨーロッパでは9世紀頃より使われてきた歴史を持ちます。

これはエノキハトガリタマフシです。
名前の付け方はいたって理論的で分解すると、「にできたった状のフシ(虫コブ)」となります。エノキトガリタマバエの幼虫が、広い個室を一人で使っているそうです。

コナラメリンゴフシも分解すると、「コナラ(小楢)のにできたリンゴ(林檎)のようなフシ(虫コブ)」です。ナラメリンゴタマバチが寄生して越冬芽に作り出しました。

気持ちが悪いですが、これはサクラハトサカフシ(桜葉鶏冠付子)、鶏のトサカ(鶏冠)に似ています。サクラフシアブラムシが作るマイホームです。

紅い小さな袋がいっぱいついているハルニレハフクロフシ(春楡葉袋付子)です。オカボノクロアブラムシが、ハルニレの葉表に住宅団地をつくってしまいました。



一方こちらは、ツバキ類(ツバキ、サザンカなど)とツツジ類(ツツジ、サツキなど)だけに発生するもち病という病気ですが、これも広い意味での虫コブとされているようです。

ツバキ(椿)やサザンカ(山茶花)の葉が、もち病菌で肉厚に肥大しています。

ツツジ(躑躅)やサツキ(皐月)では葉や枝に、焼いたもちのような異常なふくらみが出てきます。
我が家でもサザンカとサツキに毎年このモチ病が発症しますが、早めに病害の葉を摘み取り、ダコニールという薬剤散布で対応しています。

調べてみると、虫こぶはいろんな樹木に発生するようですが、身近で撮ったものだけ紹介させていただきました。

虫瘤ももみづる頃となりにけり  高澤良一  
中山は材木のまち五倍子を干し  富安風生
採るべくもなき崖五倍子に目を止む  松藤夏山
                             ※「もみづる(紅葉づる)」とは秋になって草木が色付くこと
※「五倍子」は秋の季語です

水戸市植物公園…大温室改装オープン

2021年06月01日 | 水戸の観光

大温室リニューアルの目玉は、英国庭園に多い「トピアリー」とよばれる立体的な花壇の設置です。温室内のこのトピアリーは、色とりどりの花が壷から流れ出すように仕上げられています。

羽を拡げた孔雀を表現した花壇には、ペチュニアやロベリアなど4種の花約2500株が使われました。

1987年(昭和62年)に小吹清掃工場のごみ焼却余熱利用施設として開園した水戸市植物公園は、2020年の清掃工場移転に伴い温室等の熱源確保と老朽化の補修、再整備を進めてきましたが、大温室の改修が終了し4月29日より展示が再開されました。

正面入ってすぐの小池の畔はカツラ(桂)並木が続き、その先の建物が観賞大温室です。

温室に入ると花の回廊、ブーゲンビレアが迎えてくれます。

そういえばBougainvillea の日本語名はブーゲンビレア、ブーゲンビリアの2通りありますが、発音の仕方なのでどちらでもいいみたいですね。

多肉植物、サボテン、蘭などの各コーナーは、それぞれ展示に趣向を凝らしています。

砂漠を思わせるサボテンコーナーでは、大きなキンシャチ(金鯱)が目を惹きます。

蘭コーナーの壁面に植えられた一角は、立体的な視覚でより艶やかに見えました。

滝のあるテラスガーデンに咲く巨大なネギ坊主のような花は、アリアム・グロ-ブマスターというそうです。

この季節の屋上通路は、緑に包まれて、背の高いユリの木の花も手に取るように見えました。

ラクウショウ(落羽松)に囲まれたひょうたん池、奥にはコウホネ(河骨)の黄色い花が見えます。

日本最大規模の水戸藩の藩校弘道館には、医学館に付属する薬草園がありました。その所縁の薬草園には、天保12年開設当時の弘道館の屋根瓦が敷かれています。

広い芝生広場はお弁当をひろげるのにぴったりです。

中池にはハンノキ(榛の木)が水中から立ち上がり、並木をつくっています。葉から吸収した酸素を根に送る、皮層通気組織という機能を持つため水中でも生育できるそうです。

総面積80,000㎡、規模は小さくても自然をたっぷり残した園内は癒しのスポットで、何と言っても密を避けられることがいちばんのおすすめです。