五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

完成間近の青洲高校

2020年02月22日 | 市川三郷百景
朝の散歩。
近くのスーパーまで家内に頼まれてプリペイドカードのチャージがてら、ですが。

役場の向かいに建設中の青洲(せいしゅう)高校があります。
青洲高校は、市川高校、増穂商業、峡南高校の三校が統合された県立高校で、この4月から開校になります。

青洲という名前は、明治時代にこの地に紡績工場を設立した実業家、渡辺青洲(以下青洲)に由来しています。
青洲の本名は信(市川の豪商・渡辺寿の婿養子となって改名)、山梨の殖産に貢献したほか、岳父・本人・息子の三人で2万5千冊ほどの蔵書を持った図書館(青洲文庫)をつくり公開したことで知られています。

青洲文庫の蔵書は後に東京帝国大学に売却・寄贈されています。
実際には青洲文庫の名前が、高校名の由来になっているのでしょう。

青洲文庫は、山梨日日銀行市川支店のある場所に立っていました。
子供の頃は、立派な蔵のような建物を見た記憶があります。

高校の名前に個人の名前(号)を付けるのは珍しいのかな?

「市川高校の名前を存続させて」という地域住民(特に市川大門地区)の強い要望に対して、「旧高校名は使わない」「町の名前(市川三郷町、富士川町、下部町)は使わない」という条件の元に校名募集して決めたそうですが。

私は、近くを流れる三つの川(釜無川、笛吹川、芦川)が合流して富士川となることから「富士川高校」の名前で応募したのですが、上記の理由でボツになりました(多分)。
ちなみに、我が家では、長女だけが市川高校の出身です。



建物本体は(少なくても外からは)完成し、現在周辺の整備を行っています。
正面玄関前にはまだ重機が。
古い校舎(市川高校)や体育館、文化創造館(りんどう館)などを取り壊し、全体が完成するのはまだまだ先のことになります。
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公民館の歩け歩け大会

2018年10月08日 | 市川三郷百景
八乙女自治公民館の歩け歩け大会。
雨に降られることも無く、無事に開催することができました。

写真は、三時間コースの最初の見学地。
旧町民体育館跡地に見つかった新町前遺跡を見ているところ。

新しい高校の建設予定地から見つかったもので中世の竪穴住居跡や河川跡、稲田の跡が見つかっています。


遺跡は何層かに分かれているそうで、調べた後は掘り返し、最終的には全て埋め戻して、この上に新しい校舎を立ててしまうので、遺跡が見られるのは今だけ、かな。
今回は県の埋蔵文化センターの方に、説明していただきながら見学しました。


写真は田んぼの跡から見つかった多くの足形。

これまで遺跡は無い、とされてきた場所に平安・中世の遺跡が見つかったのは大変珍しいのだそうです。


この後、町内に新しく建てられた保育所や児童館などを見学し、また市川陣屋跡や町内の至る所に残る道祖神をながめながら約三時間のコースを無事に歩き終えることができました。
最後は八乙女自治公民館の会議室でお弁当を食べて解散しました。
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高校グランドから遺跡

2018年06月14日 | 市川三郷百景
現在市川高校近くの町民会館の解体工事が進められています。

アスベストの外皮(!)をはぎ取られて丸裸になった建物を多数の重機が壊しています。
まあ、これはこれである種の感慨深いものがありますが。


問題は、解体工事が行われている手前の市川高校のグランド。

ここに新町前遺跡(しんまちまえいせき)と言われる遺跡があることがわかりました。
新しい峡南北部新設高校が建てられる場所なのです。


話によると平安時代から室町時代にかけての集落の後で、水田跡には多くの足跡が残っているのが珍しいのだとか。

現在、県の埋蔵文化センターの方々が暑い中、発掘調査をしています。
この後、見学会や発掘体験会なども予定されているそうなのですが、あくまでも高校の建設予定地。

調査・記録を終えた後は埋めてしまうのだそうで、そうなれば二度と陽の目を見ないであろう遺跡になりそうです。
ちょっと寂しい。

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公民館の建設工事

2018年05月06日 | 市川三郷百景
八乙女自治公民館の建設工事がいよいよ始まります。

場所は市川三郷町役場本庁舎前の町有地、すでに建設施工業者も決まり敷地にフェンスが掛けられました。
今月から本格的な工事が始まって、早ければ8月中にも完成するのだそうです。

実は9月に町会議員選挙があり、その投票所に使いたいという町の思惑があるようで、9月中に引き渡していただけるとのこと。



建設予定地の内部を見たところ、木造平屋の公民館は右手奥に建てられます。
手前の駐車場スペースは、平日には町職員の駐車場としても使われることになっています。


正面の建物は市川幼稚園(ひかりの家学園)、右側の向こうには解体中の町民会館が見えます。
ついでなので、町民会館と、隣接する町民体育館も撮ってきました。


どちらもアスベスト対策が終わって解体撤去中。
後には新しい峡南北部新設高校(名称未定)が建てられます。
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どんど焼き

2018年01月13日 | 市川三郷百景
小正月恒例の行事、どんど焼きが芦川河川敷で行われました。

地元育成会の役員さんたちが朝から総出で整地をし、町内から正月飾りなどを回収して積み上げ、夜七時に火を点けます。

昨年は、行事に合わせて打ちあげた花火が枯草に燃え移って騒ぎになりました。
そのせいか、今回は積み上げる高さが制限されたみたい。


原因はちがうのにね。

燃え上がっている火でわかりにくいですが、火のそばに繭玉(米粉で作ったお団子)をつけた木が立っています。
この繭玉を火であぶって食べると一年間風邪を引かないと言われています。
私が風邪を引かなかったのはきっとそのおかげでしょう(笑)。

火の勢いが静まったあと、ご婦人方や子供たちが繭玉の付いた枝を折りとってました。


この地域の小正月は一月の第二土曜日。
本来は一月の14日に行うのが正しいのです(現にその日にやっている地域もあります)が、役員さんたちも勤め人が多いので、土曜日ということになっています。
この他、子供たちが獅子頭と笹の枝を持って近所を回る「悪魔っ祓い(あくまっぱらい)」も行われました。
子供たちにとっては、ちょっとしたお小遣い稼ぎになる行事でもあります。


この日、私はあいにく仕事で横浜に行っていて、点火式に間に合うように急いで帰ってきました。
昼間の写真の方は、従弟が撮影して送ってくれました。

どちらの写真も昨年のブログに載せたものとほぼ同じような写真ですが、まあそこがいわゆる「伝統」ってやつでしょうか。
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解体工事始まる

2018年01月07日 | 市川三郷百景
市川三郷町の町民会館と町民体育館の解体工事が始まりました。
今日は土曜日でしたが、現場に行ってみました。

建物の周りにはロープが張ってあって、中には入れないようになっています(一応)。


町民会館外壁のアスベストを除去するために建物外周に足場をかけるので、まずは周辺整備を行っています。
駐車場のアスファルトもこれから掘り起こしていくようです。


長年皆に木陰を提供してきた周囲の木々もすべて倒されてしまうのは少し寂しい気がします。
重機の向こうに見えるのは、市川高校の校舎です。


町民体育館側も同様です。
解体工事期間はこれから約半年間の予定です。
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新しい場所へ

2017年12月07日 | 市川三郷百景
「町民会館、町民体育館がその役目を終えて11月末で閉鎖、数年後には新たな場所に移転することになりました。永年慣れ親しんだ今の建物が無くなると思うと寂しい思いでいっぱいです。」

家内が、愛育会の会報に投稿した原稿の一節です。

古い建物を実際に取り壊すのは年明けからのようですが、新しい場所はすでに少しずつ準備が進められているようです。
夕方近く、郵便局に行った帰り、少し回り道をして新しい町民会館(名称は変わるみたいですが)の建設予定地を見てきました。


昔の紙工場の跡地です。


余裕があれば、二枚の写真を継ぎ足してパノラマ仕立てにしようかとも思いましたが、やめました。
いいや、このままで(笑)。

広さは十分に伺えるでしょうか。

問題は広さよりも、ここへのアクセスかもしれません。
道の幅が狭すぎます。
何とかしていただかないと、けっこう問題になるかもしれませんよ。

ついでに、近くの保育園建設予定地にも足を延ばしてみました。
撮影は、近くの土手の上から。


こちらは早めに着工した分、建設が進んでいます。
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芦川渓谷の紅葉

2017年11月25日 | 市川三郷百景
火災共済の掛け金集金のために、芦川渓谷を走りました。
春の賦課金集めと合わせ、年に二回のお仕事。

芦川渓谷沿いに市川三郷町に至る道は、現在道路の拡幅工事中。
28日からは全面通行止めになるとのことで、ぎりぎり間に合いました。

渓谷はすでに紅葉が進み、撮影スポットには事欠きません。

冒頭の写真は、集金先の方の庭先からのもの。
高台から、反対側の山を撮影した風景です。


民家の庭先には大根がいっぱい干してありました。
漬物を作るんでしょうね。


帰り道の路上から。
もちろん、クルマを停めてからの撮影です、念のため。


芦川の水量はけっこう多め。
歩きながらだと、良い撮影ポイントがありますが、クルマを停められるところだと限られてしまいます。


もうすぐ農道という場所にあるモミジ。
赤のグラデーションが素晴らしく、芦川渓谷で一番美しいかもしれません。
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三郡東橋

2017年06月10日 | 市川三郷百景
私の散歩コースのうちの一つ、笛吹川の土手の上を歩くコースです。

土曜日の9時過ぎ。
いつもならジョギングやウォーキングをしている人たちの姿が見えません。

今日は地元の名産、トウモロコシの甘々娘(かんかんむすめ)の収穫祭の日。
皆、そちらに行っているのでしょうか?


前方には、三郡東橋(さんぐんひがしばし)の鉄橋が見えます。
毎年8月7日に開催される「神明の花火大会」を見物するのもこのあたりでしょうか。


こんな感じですね(昨年の大会から)。

また、橋のたもとにはこんなものが描かれていました。


誰に読まさせるためのものか、イマイチわかりません。

今回はデジイチではなく、散歩に持ち出したコンデジでの撮影です(花火の写真を除く)。
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代官所のフジ

2017年05月07日 | 市川三郷百景
町役場の職員用駐車場にあるフジの老木です。

この場所は、私がかつて通った市川小学校の跡地なのです。

江戸時代に代官所があった場所は「御陣屋」と呼ばれており、明治以降、代官所の跡地に小学校が建てられ、そこにあったフジがあったそうです。


そのフジを小学校を移転する際に一緒にこの地に移したとされていて、今は「代官所のフジ」として町の天然記念物に指定されています。


小学校時代はもっと元気が良かったように記憶していますが、果たしてそうだったか。
今は確かめるすべもありません。


今は小学校も移転してしまい、フジの樹の横に昔の正門跡が残っているだけです。
ちなみにこの場所は、私たちの区域の避難場所になっています。

昔小学校があった証拠に、二宮金次郎の像が今でも藤棚の横に立っています。
像の向こうに見えるのは県立市川高校。


市川高校は平成32年にリニューアルされ、新しい総合学科高校となりますが、それにともなってこの職員駐車場敷地も高校側に提供されることが決まっています。

代官所のフジと二宮金次郎像は、この先どうなってしまうのか?
すごく気になっています。
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市川三郷町・高田地区の道祖神

2017年04月10日 | 市川三郷百景
以前、何回かに分けて市川大門地区の道祖神をご紹介しましたが、今回は隣の高田(たかた)地区の道祖神を紹介します。
といっても、これで全てではないはずなので、他の道祖神はそのうちに、ということにします。

日中ずいぶんと暖かかったので、デジイチを持って散歩に出かけました。
七軒町(しちけんちょう、古い地域名なのでわかる人にしかわからないのはご勘弁を)を山の方に上がり、印川沿いに桜を見て回りました。
それが冒頭の写真。
友人の話では割と新しく植えられた桜であるとのこと。
若いだけあって花に勢いがありますね。

ちなみに「印川」と書いて「おしでがわ」と読みます。
まあ、地元でも「いんがわ」と呼ぶ人もおり、その読みで通じますが。

何年か前にこのあたりを調べて回った時に、「おしで」の由来を聞きました。
面白い話があるのですが、それはまたいつかの時に。

印川の土手を下りたところに、地元の人が「印沢の道祖神」と呼ぶ道祖神が立っています。
この辺りは「印沢(いんざわ)」という地区です。


正面から見たところ。
少々アンバランスな感じもしますが。


向かって左に祠、真ん中が道祖神と彫られた碑、そして右側が...、


何とこれが道祖神でした。
可愛い!

台の石にしっかりと固定されているのは、以前もうひとつあった道祖神が何者かに持ち去られてしまったからなのだとか。
悪いことをする奴がいるものです。

桜の時期なので、高田公民館に立ち寄ってみました。
学校と言えば桜、そして二宮金次郎の立像。


金次郎像にはやはり桜が似合います。

昔校舎が建っていたところは運動場というか広場になっています。


夏にはここで盆踊り大会が開催されます。
ちなみに、ここの主事は私の中学校の時の同級生、無尽仲間でもあります。
今年の秋にはみんなで旅行に行くのですが、それはさておき。


県道(甲府市川大門線)を横切ってしばらく歩くと二つ目の道祖神があります。
場所は上中浦自治公民館の敷地内。


実はここには道祖神という碑が無いので、確証はないのですがね。

真ん中の碑には「蠶影大神」と書かれていますが、これは「こかげおおかみ」と読むようです。

「蠶」は蚕(かいこ、山梨ではおかいこさんと呼びます)の旧字でしょうか。
いずれにしても養蚕の神様ですね。

隣の新しい石碑には「猿田彦命」と「猿田姫命」が並んで彫られています。
台の古さから見て、壊れたかして新しく付け換えたのでしょう。

猿田彦は天孫降臨の際に道案内をした導きの神として知られており、道祖神のモデルとも言われていますので、ここが道祖神といっても間違いはないでしょう。
養蚕が盛んであった山梨では、民間信仰であった道祖神とセットにして崇めていたものと思われます。

近くに教えてくれる人が見当たらなかったので、仮に「上中浦の道祖神」と呼んでおきましょう。
本当の名前をご存知の方は、ぜひご一報を。


この道をさらに西に進むと、また道祖神が現れます。


こちらはシンプルな碑で道祖神と彫られています。
年代は結構新しそうです。


碑の横に「高田邑二丁目」と彫られているので、そのままこの道祖神の名前としたいと思います。
(いいのかな、勝手に名付けてしまって)


久しぶりに6千歩以上の散歩になりました。
写真もいっぱいです。
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高田山長生寺

2016年09月26日 | 市川三郷百景
今日は昨日とは町の反対側の方向へ行ってみました。

市川三郷町高田地区にある、その名も「高田山長生寺(ちょうしょうじ)」。
私にとっては縁もゆかりもない無い寺ですが、散歩の途中に立ち寄ってみました。


境内に入ると、銀杏の巨木と日蓮上人の銅像が迎えてくれます。
ここは日蓮宗。
由緒あるお寺なのだそうです(別のお寺に行った時に伺いました)。

ちなみに我が家は日蓮宗ではありません。


本堂はひっそりとしています。
本堂の前で一応合掌。

ちなみに我が家は日蓮宗ではありません。


日蓮上人銅像と本堂の間にある鐘楼。
毎日高田地区の家庭に時を告げているのでしょうか。

ちなみに我が家は日蓮宗ではありません(ちょっとしつこいですね)。


すぐそばの土手に上がって、寺の全景を写します。
本堂は木立の中に隠れてちょっと見えません。


ちなみにこの土手は印沢川という天井川のもの。
写真ではわかりませんが、この川の下をJRや県道が通っています。
昔は大水を出したこの川も、今は治水対策が行われて大人しくなったとか。

今日も約7,000歩の散歩でした。
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稲刈りの頃

2016年09月25日 | 市川三郷百景
久しぶりの太陽を拝みついでに、芦川を越えて旧三珠町の田んぼを見に行きました。

日曜日なので、稲刈りをやった所が多いのですが、もう少ししたらというところもまだあります。
昔はもう少し遅かったような気もしますが、最近はコシヒカリなど早生の種類が一般的になっているらしく九月中に刈ってしまうところがほとんどです。


刈り取った稲は稲木(いなき、と読むのでしょうか)にかけて天日で干します。
機械で乾燥させるより天日で干す方がはるかにおいしいコメになるそうです。


青いシートは雨除けでしょうか。
ここのところずっと雨続きでしたから、乾燥させているのか雨に晒しているのかわからないような状態だったかもしれませんね。
田んぼにはまだ雨水が残っています。


こちらは稲穂の重みで倒れてしまっています。
昨今は機械で刈るのに支障は無いようですが、「早く刈って!」と言っているような気がします。
まだ稲刈りを終えてないところも、来週にはほとんど終えるかもしれません。


帰りは新田橋を渡って家に戻りました。
新田橋の上から青洲橋を眺めたところ。


マスのつかみどりを行った橋の下は、ここのところの増水で一本の流れに戻ってしまっていました。

合計7,000歩の散歩でした。
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無窓国師の母の墓

2016年09月14日 | 市川三郷百景
市川三郷町・平塩の丘に「無窓国師の母の墓」があります。
数年前に訪れた時に、彼岸花が咲いていたのを思い出し、雨が上がるのを待って出かけました。

広域農道の一本下、地元の人しか通らないだろう細い道の途中にその墓はあります。
その道から眺めるとこんな感じ。


無窓国師(法諱は疎石)は鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧です。
小さいころ、この近くの寺(今はありません)で修業したそうで、お母さんがやはりこの平塩の村の出だったと言われています。
一般的には、世界遺産である京都の西芳寺や天龍寺の庭を設計したお坊さんというイメージですが、時の政権にも深くかかわった方のようですね。

それはともかく、

墓所は雑草に覆われていて、注意深く歩いていないと見過ごしてしまいそうな感じです。


墓所の中には、正面に大きな石碑があって、これがお墓かと一瞬思ってしまいます。
が、これは大正13年に建てられた記念碑のようで、額字を書いたのは、日本海海戦の東郷平八郎元帥だそうです。
どういう関係か知りませんが...。

お墓はこちらのようです。
といっても、こちらも疎石の死後五百年近く経ってから建てられた自然石の石塔です。



墓所の内外にはたくさんの彼岸花が咲いていました。
満開までにはもう少し日時が必要でしょうか。



墓の後ろ側には、これから咲きそうな彼岸花の茎がたくさん生えていました。
ちょっと見、アスパラガスのようでもあります。



せっかくデジイチ持参なので、近寄って彼岸花の写真を撮りました。
曇天の方が赤い色がきれいに出るのかも。



やはり墓所には彼岸花が似合っているな、とも思ってしまいます。



墓所をぐるっと回って家に戻ったら、5,200歩くらい歩いた計算になりました。
約一時間の散歩です。
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町内の道祖神(5)

2016年04月26日 | 市川三郷百景
市川三郷町内の道祖神巡りは今回で最後です。
最後は、我が家の近くにある道祖神を三体ご紹介します。

まず、「新町道祖神」。
新町というのは、役場前から新田橋にかけて、比較的新しくできた集落の呼び名です。
改修された道路に沿って社(祠かな?)が建てられ、その中に祀られています。


他の道祖神に比べると、恵まれた環境にあると言えるでしょうか。

残念ながら白い布に巻かれたままになっているので、どのようなものなのかはうかがい知ることができません。


祭礼などの時にしか御開帳しないのでしょうか?

中に入って近くで撮影してみても同じです。


座布団の上に鎮座ましましているという...。


二番目は地元六丁目にある福寿院というお寺の境内にある道祖神です。


福寿院はしだれ桜で有名なお寺ですが、この撮影時期は三月の半ば。
開花には二週間ほど早かったのが残念です。

写真の真ん中にある小さな祠のような形をしているのが道祖神です。


よく見ないと見落としてしまいそうな道祖神。

六丁目の道祖神は、嘉永六年(1852年)の建立だそうです。


台座に「六丁目」と彫ってあります。


さて、最後は七丁目にある道祖神です。
こちらの道祖神も、福寿院からさほど離れていない円立寺(えんりゅうじ)というお寺の入り口脇にあります。



ちょっと見ると「何でこんなところに?」というような場所に、ポツンと置かれています。



この双体道祖神は、町内では最も古く、天明七年(1787年)の建立と言われています。


最も古いという割には、掘りの深い双体神ですね。
六丁目と七丁目の道祖神は、どちらも中央通り沿いにあります。

※「甲州・市川のまちづくり読本」より
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