五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

町内の道祖神(4)

2016年04月12日 | 市川三郷百景
市川三郷町内の道祖神巡りも今回で4回目です。
町の南側にある3つの道祖神を回ります。

まずは保泉(ほずみ)の道祖神。
三丁目の南側、今の南線通りの宝寿院山門への入り口にあります。


周りが駐車場になってしまっているので、かどに道祖神がポツリと残された形になってしまっています。


保泉の道祖神も双体神で、割とカタチも残っていますが、建立時期は不明とのことです。


他の時期不明の道祖神と同じく、江戸後期あたりの建立らしいのですが。


次は、御陣屋(ごじんや)の道祖神。
御陣屋というのは、江戸時代の代官所のこと、それが地名になりました。
そして明治時代になると郡役所が置かれ、その後市川小学校が立てられました。

昭和38年に長屋門だけが今の場所に移されました。


今は道祖神の石碑が門の中に残っているだけです。
他の道祖神と比べると、ただ四角い石碑だけなので、ちょっとありがたみが...。


何となく、割と新しく建てられたのかもしれませんね。
ちなみに「道祖大神」と彫られています。




最後は、町の南側の平塩の丘にある、平塩の道祖神。
ここは「河内路(かわちじ)」別名駿州往還という山梨と静岡を結ぶ古い街道のあったところだそうです。

日本三大急流の一つである富士川(今はその面影はありませんが)の川沿いの道は、ずっと後世にできた道。
昔は草深いこんなところを通って、静岡に行っていたんですね。


道祖神が置かれているのは、正の木社という場所。
ここは先日同級生でお花見をしたところですが、この入り口にぽつんと石碑が立っています。


ここの道祖神も双体神ではなく、「道祖大神宮」と彫られた石碑が立っているだけです。

※「甲州・市川のまちづくり読本」より
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町内の道祖神(3)

2016年03月13日 | 市川三郷百景
市川大門地区(市川三郷町)の道祖神巡りの三回目は、芦川橋の近くにある二体です。

まずは、「一丁目の道祖神」。
芦川橋から下って本通りに至る途中の御崎(みさき)神社の鳥居の灯篭の脇にひっそりと立っていますので、見過ごしてしまいそう。


御崎神社は、4月の第一日曜日、旧隣町(三珠町)の表門(うわと)神社から神輿が担ぎ出され、芦川の中を渡る、いわゆる御幸(みゆき)さんを行う神社として有名です。

ここの道祖神も双体道祖神。
建立は文政八年(1825年)、町内の道祖神の中では三番目に古いものだそうです。




もう一つの道祖神も一丁目にありますが、こちらは古い地名を取って「大北(おおきた)の道祖神」と呼ばれています。


今は延寿院(跡地)の観音堂の横にあり、ちょっと探しにくい場所にありました。
古い道沿いに立っていたものでしょうか。

火伏の神として知られる秋葉様の石祠の右隣に立っている双体道祖神です。


町内の道祖神は、秋葉社の祠と並んで祀られていることが多いですが、元々そうだったのか、それともいつかの時代に移設されて並んだものなのかはよくわかりません。


こちらの道祖神の建立年はわかっていません。
ご覧のように、永年そこら辺にころがっていたかのように摩耗しており、かろうじて道祖神とわかるような状態なのですから、無理はないかな。
一見、かなり古そうに見えますが。

※「甲州・市川のまちづくり読本」より
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ミツマタの花

2016年03月08日 | 市川三郷百景
紙と花火の町、市川三郷町役場本庁舎前の植え込みにミツマタの花が咲いています。
ご存知のように、ミツマタは和紙の原料、花火の玉を作る際にも和紙が使われるのです。

本当は確定申告に行かなければならない時期ですが、季節柄花粉症を我慢しての撮影を優先です。
実は役場庁舎内で確定申告の相談会が開かれています。
気になってちょっと覗いたら、6名ほどの方が順番を待っていました。


名前の通り3本に枝分かれした先に黄色い丸い花が付いています。
これだけたくさん咲いていると、けっこう壮観です。

中にはまだ咲いておらず、ちょっぴりつぼみが出ただけ、というような株もあります。
この差は何なのでしょうね?
あまり、日当たりの差は見えないのですが。



もう一枚、近接撮影を。
身近に鮮やかな色が目立つようになってきました。
春ですねぇ。


あ、確定申告は明日行くことにします。
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町内の道祖神(2)

2016年03月01日 | 市川三郷百景
市川三郷町内、市川大門地区の道祖神の紹介二回目です。

前回、「出口の道祖神」という五丁目の道祖神をご紹介しましたが、今回は同じ道の並びにある三体の道祖神をご紹介します。

 → 町内の道祖神(1)

五丁目の道祖神から、狭い道を東に百メートルほど行くと、「秋葉ノ辻」という空き地があり、そこに四丁目の道祖神が祀られています。
ここは昔、真言宗の成蔵院というお寺のあった場所で、防火のためと昔の水の流れを再現する取り組みの中で整備されたところです。


この道祖神も双体道祖神で、明治維新直前の慶応二年(1866年)に建立されたことがわかっています。


四丁目の道祖神から70メートルほど東側に、三丁目の道祖神があります。


ここは「中北の井戸端」と呼ばれる場所で、古いくみ上げ式の井戸が設置されているところです。


三丁目の道祖神の建立年はわかっていません。


さらに数十メートル東に行ったところに、二丁目の道祖神があります。


間口の狭い祠の前に東を向いて祀られています。


二丁目の道祖神は、安政五年(1858年)の建立だそうです。


今回ご紹介した道祖神は、普段はあまり目立たないながらも、それぞれの地区で大切に守られています。

※「甲州・市川のまちづくり読本」より

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町内の道祖神(1)

2016年01月15日 | 市川三郷百景
市川三郷町内には道祖神がたくさんあります。
何回かに分けて、それらをご紹介します。

道祖神というのは、いわゆる道ばたの神様で、古くは村々のあちらこちらに建てられ、外からの厄災が入ってくるのを防ぐと信じられていました。
今では子孫繁盛や交通安全の神様としても信仰されています。

道祖神の形はいろいろあるようですが、町内にある道祖神の多くは双体道祖神といって、一対の男女の形をしているもので、今回ご紹介するものはすべて双体道祖神です。

まずは、「落合の道祖神」。
このあたりは昔、芦川と笛吹川、鳴沢川が合流したことから起きた地名で、正式には「おちあい」と呼ぶのでしょうが、町民は「おちゃあ」と呼んでいます。

落合の道祖神は、地蔵尊のかたわらにひっそりと祀られています。



落合の地蔵尊・道祖神のある場所は、本通りと新道と呼ばれる南線通りの間の古い細い道です。
町の整備事業で整備されたため、ご覧のような真新しい石碑が立てられています。




次は、同じ道を少し上ったところにある「春日町の道祖神」。
やはり単独ではなく秋葉様(防火の神様ですね)の社(やしろ)の隣に祀られています。



表面がほとんど擦り切れてしまったような道祖神で、作られた年代はわかっていません。
道祖神と秋葉社は、今でこそ同じ場所にありますが、ずうっと以前は別々の場所に祀られていたのかもしれません。




最後は、「出口の道祖神」と呼ばれる五丁目にある道祖神。
本通りの北側、通称「中北の通り」と呼ばれる道の十字路にあります。



「出口の道祖神」は、文化五年(1808年)に作られたことがわかっているそうです[※]。

14日は小正月。
道祖神の前には、繭玉が飾られていました。




※「甲州・市川のまちづくり読本」より
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小御崎神社

2015年11月11日 | 市川三郷百景
河原(芦川)に向かう途中にある小さな神社に立ち寄りました。

実はこの辺りに「小御崎(こみさき)神社」という神社があることは知っていましたが、正確な場所は知らなかったのです。
もっと有体に言うと、思っていた場所とは全然違ったところにありました。

用水路のほとり、細い道をたどっていくと神社の入り口に出ます。
ここしか道が無いようなところ、参道らしきものも見えません。


神社の中には、鳥居の他は小さな社が一つあるだけ。
杉の巨木が目印なんでしょうが、何とも寂しい感じの神社です。

鳥居にかかっているはずの扁額が、足元に落ちていました。


改めてみると、この神社、正確には「小御崎稲荷神社」というようです。
しかし、どこにもおキツネさんの姿は見えませんでした。

せっかくなので、社の中を覗いてみると、ちいさな神輿が飾ってありました。


しめ飾りなどは割と新しいので、どなたかが手入れはしているようです。
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市川 "桜" 十景

2015年04月02日 | 市川三郷百景
わが町市川三郷町、そのうちの旧市川大門および旧三珠地区を歩いてみました。
最初に向かったのは、先日もしだれ桜を見に行った宝寿院(冒頭の写真)。

しだれ桜はもう散り初めてしまいましたが、境内には今が満開の桜がたくさん咲いています。

特に鐘楼の周りの桜がきれいです。

次に向かったのは、平塩の丘。
甲斐源氏発祥の地で、昔のお寺の後です。

昔はここで老人会などがお花見をしたものですが、最近はどうなんでしょうね。
市川大門地区では一番本数が多い場所かもしれません。

そこから数十メートル歩いたところにある市川中学校のグラウンド。
ここも校舎や校庭の周りにぐるっと桜が植えられています。

入学式まで保つかどうか微妙なところです。

市川中学校の校庭の南側にある碑林公園。
中国の書の見本が石碑に刻まれています。

桜と石碑の対比はどうなんでしょうか。
校庭の桜を借景にした感じは悪くありません。

碑林公園でのスナップ。
今回は中に入らなかったので、桜をちょっぴり入れたショットです。


旧三珠地区へ行く途中の農道から眺めた風景。
農道沿いの通称「桜の園」と呼ばれる地域の桜です。

地元の人たちが長い年月をかけて少しずつ植樹をした成果が如実に表れていますね。
五月になると、桜の樹の下でボタンが咲きほころびます。

歌舞伎文化公園から見たお城の形をしている「ふるさと会館」。
道路向かいの農村広場とともに、桜の名所です。

天気も良かったせいか、家族連れが公園で遊んだりお弁当を開いたりしていました。

旧三珠町の大塚地区。
菜の花の向こうにスモモと桃の花が見えます。

桜ではありませんが、色のコントラストが鮮やかだったのでつい。
(このあたりでだいぶ桜は食傷気味になってきました)

甲府盆地を見下ろす場所にある伊勢塚古墳。
小さな古墳ですが、大きな桜が二本、ちょうど見ごろでしょうか。

何人かのアマチュア・カメラマンが撮影に来ていました。

伊勢塚古墳の近くから南アルプスの白根山を望んで一枚。

日本で第二位の北岳を背景に。

このあたりは桃もたくさん植えられています。
八ヶ岳も今日はくっきりと見えました。


帰りに立ち寄ったJR身延線の甲斐上野駅。

ここも隠れた桜のスポットです。

今回は、三本のズームレンズ(8-16mm、18-200mm、70-300mm)を使って撮影してみました。
明日からは少し天気も下り坂のようで、こうした風景ももう見えなくなるかもしれません。

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高田の秋

2014年10月09日 | 市川三郷百景
午後から、カメラとレンズを背負って市川三郷町高田(たかた)方面に散歩に出かけました。

秋晴れの下、さわやかな風が吹いていて散歩には最適、ただし中には花粉症の方もいて、マスクをして散歩している方も見かけました。
まだ稲刈りが終わった田は半分以下、今週末の連休にやろうと計画している農家の方が多いんじゃないでしょうか。

農家といっても、平日はお勤め、という方が多く、農作業は休日に集中するのです。
その意味からも、週末の台風襲来は気になるところでしょう。

刈り取りが終わった田んぼにはけっこう野鳥がいました。
早速レンズを付け換えて鳥の姿を追います。

まずは鳩、いわゆるノバトですね。
野鳥といえば野鳥。

鳩は人の姿を見慣れているせいか、私の姿を見ても平気な様子。
田んぼの中でエサをついばんでいる様子でしたが、顔を上げた瞬間を撮りました。

お次は二羽でさかんに歩き回っていたハクセキレイ。
田んぼのあぜ道(今はコンクリート製)をこちらに向かって歩いている姿を撮りました。

ハクセキレイは目の横にある黒い線が特徴です。
焦点距離200mmまでのズーム・レンズでしたが、トリミングにしっかり耐えてくれました。

最後は、突然私の目の前に降り立ったカラス。

何やらくわえているらしく、撮影した時はわかりませんでしたが、どうやらクルミのようです。
仲間に獲物を盗られまいと思っているのか、見るからにコソコソとした様子で、このあと麦わらの陰にかくれて食べていたようでした。

この時期になると、ここを散歩しながらいつも気になるお宅の写真。
壁のように見えるのは一面のマキの束なのです。

煙突が見えますから、家の中の暖炉(か、マキ・ストーブ)で使うのでしょうね。
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みつまた

2014年08月29日 | 市川三郷百景
国道140号線から新田橋を通って市川三郷町の市外に入る道沿い。
JA西八代の建物の前にある植え込みは、今もやもやとした植物が生えています。

実はこれ、「みつまた」という植物です。

「こうぞ」と並んで和紙の原料になることでご存知の方も多いのではないでしょうか。

市川三郷町は和紙と花火の町。
それで、和紙の原料となる「みつまた」を町役場近くの植え込みに使っているのです。

「こうぞ」や「みつまた」の茎(くき)を煮て柔らかくし、たたいて潰し、繊維分を取り出して漉(す)くと和紙が出来上がります。
市川三郷町に住む手漉き職人の豊川さんの指導で、地元の小学生は自分の卒業証書を自分で漉くのです。

「みつまた」の名前の語源は、この植物が常に3つに枝分かれしているところからきたもの。

「みつまた」は春先に薄い黄色の花を付けます。
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摩利支天社

2014年06月01日 | 市川三郷百景
市川三郷町市川大門の上地区というところに摩利支天社があります。
毎年8月の最終土曜日に通称「摩利支天さん」と呼ぶお祭りがあって賑わいます。

お祭りに行くことはあっても、肝腎の社を見ることはめったにないので、日曜日の朝早起きをして出かけて行きました。

南線通りの東の端から細い道を数十メートル上がったところに摩利支天社はひっそりと建っていました。
近所の方にうかがうと、社を守っている人がいないので、周りの組(自治会)で修繕をしたり整備をしたりしているのだとか。

摩利支天はインドの戦いの神様ですが、全国に数多(あまた)ある摩利支天社の多くは明治から大正にかけての神社合祀令や戦後のマッカーサーの神道指令などにより取り壊されるか、他の神を合祀して形が変わってしまいましたが、ここ市川大門の摩利支天社は摩利支天だけをまつった数少ない純粋な社なのだそうです。

社の中に祀られている摩利支天の像は馬ではなくイノシシの上にまたがっているということで(私は確認できませんでしたが)、ずいぶん古いものなのは確かなようですね。
きれいに整備された社からは、地元の方々が大事に守ってきた様子がうかがえました。

摩利支天社のあるあたりは市川大門地区でも一番東側にあたり、ちょっと歩くと芦川のほとりに出ます。

せっかくなので、そこでも何枚か写真を撮ってきました(ただいま鋭意、カメラの練習中)。

芦川にかかる芦川橋を走る身延線の車両。

芦川のせせらぎに遊ぶ鳥、セグロセキレイでしょうか(ピントはイマイチ)。
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サッカーの神社

2014年04月02日 | 市川三郷百景
市川三郷町の歌舞伎文化公園に隣接して「蹴裂神社(けさきじんじゃ)」という神社があります。

元々は、戦国時代に武田信虎の八男(武田信玄の異母弟にあたる)一条信龍(いちじょうのぶたつ)の城地でした。信龍は、騎馬百騎(二百騎ともいわれる)を預かる侍大将として活躍したと言われていますが、織田信長の甲州攻めの際に城を守って戦い討たれたといわれています。

蹴裂神社はその跡地に建てられた拝殿と本殿だけの小さな神社です。
神社の裏手からは甲府盆地が一望のもとに見ることができ、さすがにかつての城があった場所だと納得できるものです。

本殿の後ろには根元に石が食い込んでいる大きな木があります。
まあ、石が自ら食い込んだのではなく、木が成長するにつれて近くの石を取り込んでしまったのでしょうが。

それにしても、この神社の「ケサキ」という名前はどこからきたのでしょうか?
いつから呼ばれるようになったのかというヒントは、拝殿横に「討ち捨てられた」碑の中に書かれています。

が、残念なことに私の読解力ではよくわかりませんでした。
どなたか自信のある方は調べてみていただけないでしょうか。

それはそうと、タイトルのサッカーの神社ですが、「蹴る」「裂く(あるいはサッカー)」という語呂合わせか、ヴァンフォーレ甲府のサポーターの方が、ホームで試合があるときに寄ってから応援に行くと勝利を得られるということで、拝みに行くのだとか聞いたことがあります。
本当かどうかは定かではありませんが。

この蹴裂神社、詳しい場所はこちらをご覧ください。
 → 蹴裂神社[市川三郷なび]
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手榴弾消火器

2014年01月25日 | 市川三郷百景
手榴(りゅう)弾消火器。

ありましたねえ、昔防災訓練で投げているのを見たような記憶があります。
家にあるのを誤って落として割ってしまい、ずいぶん怒られたこともありましたっけ。

そんな手りゅう弾消火器がまだ飾ってあるという話を聞いて、市川三郷町・六郷地区にある春港堂酒店を訪れました。


「春の港」って、およそ山梨の片田舎の酒屋さんにはふさわしくないような名前です。
どなたかの雅号なんでしょうかね?
いずれにしても、風情のあるお店のたたずまい...。

応対してくれたご主人は気さくな方で、お店の中を親切に見せてくださいました。

件の消火器は、店内の梁に取り付けられていました。
こんな場所にあったからこそ、これまでに片付けられることもなく残っていたんだろうなあと思いました。


消火器は、ご主人が子供のころからあったそうですが、中の説明書(使用方法が書いてあったかと思われます)はすっかり字がかすれてしまって、いつごろのものかもわかりませんでした。


他にもレトロなポスターが目を引きました。
収集家には垂涎のものかもしれませんが、いつまでもこの場所に飾っておいてほしいと思いました。

ちなみにご主人に勧められて八海山の貴醸酒というのを購入しました。
リキュールっぽいボトルに入ったお酒ですが、ロックで飲むと美味しそうです。
醸造の途中過程で「水」の代わりに「清酒」で仕込んだお酒だそうで、飲んだらまたブログに書こうと思います。
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七面堂

2013年11月29日 | 市川三郷百景
七面倒(しちめんどう)ではなく七面堂です。
山梨県市川三郷町八之尻地区の仲村という場所にあります。

細い坂道を延々と歩いて頂上に着くと、そこに小さな社があります。
坂の途中から見る景色はこんな感じ。

轍(わだち)が残っているので軽自動車で登れないところではないような気もしますが、お勧めはできません。
私なら面倒でも(七面倒?)でも徒歩で登ります。

七面堂のいわれはよくわかりません(今回は調査不足)。
ただ、そこからの眺望は素晴らしいの一言です。
下記の写真は、南アルプス方面を望む場所。

眼下には富士川の流れと富士川町、南アルプス市。
晴れていれば八ヶ岳も正面に見ることができます。

10日前くらいの写真なのですが、今は紅葉真っ盛りなのでしょうね。
明日は仕事で仲村までは行きますが七面堂は...。

まあ、今回はパスしておきます。
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秋葉ノ辻

2013年10月04日 | 市川三郷百景
市川三郷町では表通りから細い道が何本も走っていて、地元ではこれを「ひや」と呼んでいます。
「ひや」というのはこんな感じ。今は下水が整備されていますが、昔は水路と細い道が家々の軒下を走るようなところでした。



で、そういう道の途中に「秋葉ノ辻」といわれる小さな公園があります。
「秋葉ノ辻」はもともと真言宗の「応神山成蔵院」というお寺のあった場所らしいのですが、2008年に地域の住民などの手によってミニ公園として整備されたものです。



公園の設計にあたっては山梨大学地域社会貢献活動支援を受け、大学の学生さんたちの手で設計されたと聞いています。



元々クランク状に曲がっていた細い路地で住宅が密集しており、防火用水などもないため付近の住民から不安の出ていた場所であったようです。
そこを整備して公園を作り、細い水路が公園の中流れるようにして昔のクランクを形どっています。
また、付近にある道祖神を移して公園のモニュメントとしています。



「秋葉ノ辻」の名前は、火よけの神様「秋葉」にちなみ、地域住民が命名したものです。
公園の隅に防火水槽が埋め込まれています。



昔ながらの「ひや」の趣きを残し、新しい街づくりを行うモデルのような公園ですね。
写真で見るとずいぶん広々として見えるものです。
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八ヶ岳夕景

2013年09月28日 | 市川三郷百景
今日は今年一番の(もちろん夏以降ですが)冷え込みだったとか。
風があったせいか日中の暑い時は除いて、半袖で外に出ると肌寒く感じられる一日でした。

どこのお店に行っても、夏もの一掃のバーゲンが行われていたりします。
まことに季節の移ろいは早いものだと感じざるを得ません。

夕方少し時間ができたので、家の裏手にある笛吹川の土手まで歩いてみました。
日が落ちてしまったせいか、空も田んぼもすっかり冷え込んでしまったような感じ。

土手の上から見る八ヶ岳の夕景色も、物寂しい雰囲気でした。
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