felizmundo's website

月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

沖縄に目を向けよう!無料公開・三上智恵監督「沖縄、再び戦場へ!」(スピンオフ版)

2023-05-21 15:14:45 | 日記

  沖縄のこと、「標的の島」という三上智恵監督の映画を見て、真剣に考えるようになりました。その三上さんが、また沖縄が戦場になる懸念が現実となることに危機感を持ち、現在制作中で来年春完成の映画の一部を、無料貸し出しを始めたというのです。スピンオフ作品といういい方をするようですが、45分ほどの映像ですが、偶然にも機会を得て、見ることができました。

   映画を鑑賞後の感想で、沖縄の危機意識が本土に共有されていない。それには、本土のメディアが、沖縄の情報を流さないことを問題視する発言が多くありました。そして、1人でも多くの人に沖縄の現状を伝える努力をしないといけないということになり、私は、まずこのブログに掲載することにしました。

   沖縄では、勿論、本土より情報がしっかり流れています。どんな放送が流れているでしょうか。画像クリックで2月と最新の5月の集会の様子が見られます。

   

   

 2つともOTV沖縄テレビのyoutubeで無料公開しているものです。今回のスピンオフの映像の中にも、こうした抗議活動をする沖縄の人たちのことが流れます。

   *下記にスピンオフ作品の無料の申し込み方も掲載しますが、それにはハードルが高いという方は、OTV沖縄テレビに記名必要もなくワンクリックでできる登録をしておけば、こういう報道をyoutubeで気軽に見られるので、方は是非利用することをお勧めします。

 本土の人にも、この沖縄の人々の置かれている現状の情報と、「再び沖縄を戦場にするわけにいかない」という思いを、纏めてつたえてくれるのが、三上さんの今回のスピンオフ作品です。

 まずは、三上さん本人の言葉を転載をココからさせてもらいました。

三上智恵監督 ステートメント STATEMENT

新作『沖縄、再び戦場いくさば(仮)スピンオフ作品について

三上智恵

昨年末の安保三文書で明らかになったのは、日本が敵基地攻撃や先制攻撃も可能な軍事国家になったことだけではありません。日米政府の言う抑止力とは「南西諸島にミサイルを並べ、最悪の場合報復攻撃の戦場になるもやむなし」という南西諸島の犠牲を覚悟したものであるという本音も暴露されました。戦場になると名指しされたも同然の島々では、これから基地の地下化、シェルター設置、ミサイル避難訓練、弾薬庫大増設、小さな離島を含む空港と港湾の軍事化が急ピッチで進みます。いま制作中の新作映画は、平和を求めて戦う沖縄の最前線を描いた2017年の『標的の島 風かたか』の続編にあたります。2017年~2023年の戦争に向かって突き進む怒涛の日々が描かれることになりますが、しかし映画館での公開は早くても2024年春以降になり、その時、沖縄が予断を許さない状況になっていることすら考えねばならないと危惧しています。

映画の完成を待つこの期間にも、刻々と変わっていく状況を共有するため、この度45分程のスピンオフ映像を希望者に無償で提供し、危機感を共有していただきたいと思うに至りました。みんなで見ようよ!と声を掛けられる仲間と、5人でも10人でもいいので「見る会」を開催していただきたいのです。そして戦争に向かうこの国の流れを止める小さな単位が各地に生まれ、この動画を見たことで「見ざる・聞かざる・言わざるになるものか!」と決意した人たちが、既成の政党や運動にとらわれず、同じ危機感を持つ人たちと集まりなおすきっかけになれば、こんなにうれしいことはありません。映画が完成するまでの間に、全国に同時多発的に沖縄の現状を見てこの国を憂い動き出す人々がどんどん誕生していくと思うだけでもワクワクします。そして、ワンコインでもいいので新作の製作費カンパと共にDVDを返却していただければ、私たちもさらに励みになります。

野党や労働組合の弱体化、運動の高齢化など嘆いていても始まらない。私にとっては、過去の私の作品を見てくださり、沖縄を気にかけていてくれる方々だけがはっきりと目に見えている希望なんです。その方々は必ず南西諸島の現状をその目で見て受け止め、SOSに耳を傾け、そして発言・行動につなげる力のある人たちだと信じられるからです。

なので、今回はあえて素材を無造作に並べ、わかりやすくするための説明や演出は極力つけませんでした。あくまで撮影に走っている中からこぼれてくる「野菜の乱切り」の形で提供します。それを一足先にお渡しするので、皿もそちらで用意し、来ている方々が食べられるような盛り付けと味付けは映像を受け取った主催者のオリジナルでやってほしいのです。主催する方の多くは辺野古で座った経験があったり、深く沖縄問題に関心を持ってきた方々だと思いますので、一緒に見る人たちに添えるべき情報を判断し、来てくれた方々に必要な補足をしていただけると思います。実はそこがミソだと思っています。
観客として見るのではなく、私たちが必死に渡す情報を受け取って、皆さんも必死に地域に発信するサテライトになってほしい、平和を作る力のある人たちを揺り起こすツールにしてほしい、平和分子の核分裂が起きる時の核になる人たちにこの素材をお渡ししたいと思い、その願いを込めて、編集しました。どうぞ存分に活用してください。そして新作映画が完成した暁には、是非この動画を共有してくださった皆さんと共に劇場にお越しください。

 

下のが、スピンオフ作品への応援と上映会の案内となっています。クリックして、オリジナルに申し込みなどがあるので、ご覧下さい。

         

    太平洋戦争で、沖縄には米軍が実際に上陸し、戦場となった沖縄に膨大な被害を与えました。今回も、米軍が強化されていくだけでなく、自衛隊の施設や増員を進め、弾薬庫やミサイルなど、戦時には必ずや相手国が攻撃目標になるものが、沖縄の人たちの反対を踏みにじってどんどん建設や持ち込みが進められています。

    沖縄、特に今回の軍備増強が南西諸島が中心で本土から遠い場所で起こっていることだと思ったら大間違いです。米軍基地の大半がある沖縄に生きる人たちに、これ以上 苦渋を背負わせることは許されません。三上監督も本土の出身の人ですが、私たちもしっかり彼女に倣って沖縄と心をともに、平和のために、できるかぎりのことを行動に移していきましょう。非力でも、やることはいろいろあるはずです。

    たとえば、本土のメディアが沖縄の報道が少ないと思ったら、メディアに手紙やメールで「もっと、沖縄のこと報道してください!」と意見を出しましょう。視聴者がみたい番組を作らなければ、視聴者の受信料で成り立っているNHKも、視聴者がたくさんみて宣伝になるから企業からお金を得る民放も成り立たないのです。見たい番組や報道への意見は、どしどし伝えましょう。

    正直、良心的な人はどんな新聞、放送局にもいると思います。その方たちが力を得て頑張ってくれるはずです。もしくは、新聞や雑誌なら、そういう情報をしっかり掲載している新聞や雑誌をみつけて乗り換えましょう。そのためには、漫然と新聞や雑誌を購読を続けずに、大事な時には、図書館とかで他誌(紙)と比較してみて下さい。あなたのお金を払って読んでいるもの、大丈夫ですか???? 

    このブログで、私が高評価してお薦めしているのは、坂本龍一さんも応援していた「東京新聞」です。

追記)今、このブログを書いていたら、ニュースでは垂れ流し風に自画自賛の岸田首相のG7の言葉を流すものの、7時半のクローズアップ現代で、被爆者のサーロー節子さんなど、核兵器禁止条約などの推進活動をしている被爆者の人たちが口を揃えて、ヒロシマでやるというので期待したが、これでは酷すぎる内容。と嘆いている発言を取り上げて問題点を指摘していました。NHKにも良心のある人はいる。さっそく、そういう人への応援メッセージを書きましょう!!!見逃した方は、5月22日19:30クローズアップ現代をNHKプラスでご覧下さい。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

快晴の朝のお月見

2023-05-16 10:53:02 | 惑星・天体ニュース

  起きたら快晴だった。元気な太陽の光に月が溶けて見えなくなるのに間に合うだろうか。ま東の方向に月が出ているようなので、公園までいかないと確かめられない。歩いていくが、空には雲一つないが、月が見つからない。 もう太陽の光に溶けてしまったのだろうか。

  だんだん、明るさに目も慣れてきて、見回すが、検討がつかない。いるはずなのだけれど。方角を確かめて、落ち着いて探す。

  すると、私の予想より高い場所に「おはよう!」と月が待っていてくれた。

  

     大きめの画素数にしてみましたが、月がみつけられたかな? まるで、どこにいるか分からない?拡大して探してみてもダメかな?私のPC画面で拡大すると、どうにか見えるけれど・・・。

     では、場所を教えたらどうかな?

     

      トリミングして拡大。コントラストや、色合いを調整して、これなら分かるかも。飛んでいる鳥の右下に細い月をみつけ!さあ、もう1回最初の写真に戻って、見つかるかな? 至難?

      でも、場所さえ見付かればこちらのもの。ズームしてみると、きれいな月の弧が浮かび上がった。

       

      きれいなお月様に出会えて、今日はいい日になるかなぁ~。満足して公園を後にしました。

        

       帰り際に、公園の木陰から見えたお月様。今日は、沈むのは15:04。 もう太陽が眩しくてこれ以上は雲に溶けて見られなくなってしまいそう。明日は、もっと早く起きないと、月をみられないかも。

       月の出は5月20日の新月まで、あと何回 月にあえるでしょうか。太陽が昇る時間が5時前なので、暗い内に見つけようとなったら相当の早起きをしないといけなそう。明日は、今日のように5時ではさらに細くなる月をみつけられないかな。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意見広告・「今こそ停戦を!」

2023-05-13 17:35:41 | 日記

    「今こそ停戦を!」 という大きな意見広告が東京新聞に今日掲載されていた。

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

「Ceasefire  Now!今こそ停戦を」「No War in Our Region!私たちの地域の平和を」

2023年5月広島に集まるG7指導者におくる日本市民の宣言

 

 私たちは日本に生きる平和を望む市民です。

 ウクライナ戦争はすでに一年つづいています。この戦争はロシアのウクライナへの侵攻によってはじまりました。ウクライナは国民をあげて抵抗戦を戦ってきましたが、いまやNATO諸国が供与した兵器が戦場の趨勢を左右するにいたり、戦争は代理戦争の様相を呈しています。数知れぬウクライナの町や村は破壊され、おびただしい数のウクライナ人が死んでいます。同時にロシア軍の兵士もますます多く死んでいるのです。これ以上戦争がつづけばその影響は地球の別の地域にも広がります。ロシアを排除することによって、北極圏の国際権益を調整する機関は機能を停止し、北極の氷は解け、全世界の気候変動の引き金となる可能性がうまれています。世界の人々の生活と運命はますますあやうくなるのです。核兵器使用の恐れも原子力発電所を巡る戦闘の恐れもなお現実です。戦争はただちにやめなければなりません。

 朝鮮戦争は、参戦国米国が提案し、交戦支援国ソ連が同意したため、開戦一年と15日後に、正式な停戦会談がはじめられました。ウクライナ戦争では開戦5日目にウクライナ、ロシア二国間の協議がはじめられ、ほぼ一カ月後にウクライナから停戦の条件が提案されると、ロシア軍はキーウ方面から撤退しました。しかし、現実的な解決案を含むこの停戦協議は4月はじめに吹き飛ばされてしまい、戦争は本格化しました。以来残酷な戦争がつづいてきたのです。開戦一年が経過した今こそ、ロシアとウクライナは、朝鮮戦争の前例にしたがって、即時停戦のために協議を再開すべきです。Ceasefire Now!の声はいまや全世界にあふれています。

 幸いなことに、この戦争において、穀物輸出と原発については、国連やトルコなどが仲介した一部停戦がすでに実施されています。人道回廊も機能しています。こうした措置は、全面停戦の道筋となりうるのです。中国が停戦を提案したこともよい兆候です。ヨーロッパ諸国でも停戦を願う市民の運動が活発化しています。G7支援国はこれ以上武器を援助するのではなく、「交渉のテーブル」をつくるべきなのです。グローバル・サウスの中立国は中国、インドを中心に交渉仲裁国の役割を演じなければなりません。

 ウクライナ戦争をヨーロッパの外に拡大することは断固として防がなければなりません。私たちは東北アジア、東アジアの平和をあくまでも維持することを願います。この地域では、まず日本海(東海)を戦争の海にはしない、米朝戦争をおこさせない、さらに台湾をめぐり米中戦争をおこさせない、そう強く決意しています。No War in Our Region!―-私たちはこのことを強く願います。 

 日本は1945年8月に連合国(米英、中ソ)に降伏し、50年間つづけてきた戦争国家の歴史をすて、平和国家に生まれ変わりました。1946年に制定した新憲法には、国際紛争の解決に武力による威嚇、武力の行使をもちいることを永久に放棄するとの第9条が含まれました。日本は朝鮮の独立をみとめ、中国から奪った台湾、満州を返したのです。だから、日本は北朝鮮、韓国、中国、台湾と二度と戦わないと誓っています。日本に生きる市民は日本海(東海)における戦争に参加せず、台湾をめぐる戦争にも参加することはなく、戦わないのです。

 私たちは、日本政府がG7の意をうけて、ウクライナ戦争の停戦交渉をよびかけ、中国、インドとともに停戦交渉の仲裁国となることを願っています。

2023年4月5日    *一部を太線にしたのは、オリジナルではなく、筆者が強調。

伊勢崎賢治(東京外国語大学名誉教授・元アフガン武装解除日本政府特別代表)

市野川容孝(東京大学教授)

上野千鶴子(東京大学名誉教授)

内田樹(神戸女学院大学名誉教授、武道家)

内田雅敏(弁護士)

内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授、新時代アジアピースアカデミー共同代表)

梅林宏道(NPOピースデポ特別顧問)

岡本厚(元『世界』編集長・前岩波書店社長)

加藤登紀子(歌手)

金平茂紀(ジャーナリスト)

姜尚中(東京大学名誉教授)

古関彰一(獨協大学名誉教授)

小森陽一(東京大学名誉教授)

酒井啓子(千葉大学教授)

桜井国俊(沖縄大学名誉教授)

鈴木国夫(「市民と野党をつなぐ会@東京」共同代表)

高橋さきの(翻訳者)

高村薫(作家)

田中宏(一橋大学名誉教授)

田中優子(前法政大学総長)

田原総一朗(ジャーナリスト)

千葉真(国際基督教大学教授)

暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)

西谷修(東京外国語大学名誉教授)

羽場久美子(青山学院大学名誉教授)

藤本和貴夫(大阪経済法科大学元学長)

星野英一(琉球大学名誉教授)

マエキタミヤコ(サステナ代表)

水島朝穂(早稲田大学教授)

毛里和子〈早稲田大学名誉教授〉

吉岡忍(作家・元日本ペンクラブ代表)

和田春樹(東京大学名誉教授)

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 *この主張に関しては、2023.4.24 今こそ停戦を。ceasefire now ! 停戦の呼びかけ~その後~記者会見 ―登壇:伊勢崎賢治氏(元アフガン武装解除日本政府特別代表)ほか」 というタイトルで、youtubeのココで無料公開されているのを見ると、よりよく理解できます。

   正義としての話ではゼレンスキーがいうことも、ロシアが許せないことも確かだが、それで罪もない市民や子どもたちに犠牲が広がってしまっている状況を人間として看過して、武器をゼレンスキーに送ることだけが平和への道であるかのように考えるのは間違っている、と思う。  

   それぞれの国の国益で闘いあった時代の先に、やっと(だれもが取り残されず世界のすべての人々が幸せに共存し、平和に暮らし続ける世界の構築を人々が共に目指す、「SDGs」という再生可能な発展ゴールの考えが生まれてきたのに・・・)

   有限で貴重な原料やエネルギーを、もっとも愚かな、人が人を殺す残酷な兵器に使い、自然環境も破壊し、大切なインフラを敵の力を削ぐためにぶっ壊す。こんなSDGsに「ま反対な行為」を認め続ける訳にはいかない! と、私は思う。

   早く、一刻も早く、ただ<ロシアを責め立てて、武器をウクライナに供給することで悪を懲らしめる>という視点から、<どう和平をもたらすか>という視点に本気でシフトしていかなくてはいけないと思う。

   G7では、しっかり、今の事態をどのように収拾していくかを、いまも傷ついていく人々への強い痛みを感じながら、和平のテーブルにウクライナとロシアをつかせるための方法を共に模索し、実行していってほしいと願う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸先よし、月に会えた朝

2023-05-13 08:06:50 | 惑星・天体ニュース

   昨日は、月がいて見られたかも知れないのに雲があるし~、と諦めて起きたのに外に見にもでず諦め、何だかさんざんな1日だったので、今朝は是非とも月を見つけたいと思っていました。でも、早朝には雲がびっしり。隙間もほとんどなし。

   そして、朝食を食べたり、用事をすませていたら、だんだん外が明るくなってきたのに気づきました。降水確率40→90%と言われていたのに・・・

    

        しばらく明るさに目を慣らして眺めていると、雲の中に見慣れた月の弧が見つかりましたっ!

      

       きれいに姿を現してくれた瞬間に、ばっちり写真を撮らせてもらえました。

       「おはよう!お月様、今日1日をいい日にしてくださ~~~~い」

        

        晴れやかな青空でしばらく立ち止まってくれていたお月様は、この後、下に待ち構えていたふわふわの白い雲の塊に、静かに静かに降りていきました。

   

   そして、雲に入った後は・・・

           

       この間、たったの2分。お月様って、探していると見つかるけれど、探さないと見つからない理由がわかって頂けましたか?

       たぶん、幸せも幸運もいっしょです。探していれば、きっとあなたの幸せが見つけられます。信じてっ!!!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これからは、朝や未明にお月見します

2023-05-11 15:25:45 | 惑星・天体ニュース

   さあ、1日の内に1回沈むのを見届けた月が、また昇ってきてお月見をしちゃう「ダブルお月見」。実は、諦めるつもりだったのですが、一応はラストチャンスということで、しつこく昨日5月10日も夜11:59まで粘ったのですが、月が上ってくるのは観察できず・・・終わりました。これからは、早起きした人がお月見をしやすい時期に入りました。そして、さっそく、未明の内に起こす人がいたので・・・

   無事にお月見ができました。

    

      今は、ちょっと高度が低いところを通過しているお月さまですが、どうにか障害物の上に顔を見せてくれていました。

      くっきりと美しいお月様でした。

           

      天気が崩れてきそうですが、明朝も見られるでしょうか?だんだんこれから、細くなっていくお月様ですよ。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8回目の「ダブルお月見」に成功

2023-05-10 16:11:45 | 惑星・天体ニュース

   昨夜にアップして5月9日のお月様にまず再登場してもらいますね。

    

        5月9日に日付が変わって見えたこの月は、その前夜5月8日(月)の21:37に昇ってきた月ですが、沈んだのは9日の朝の7時でした。

        そして、再び姿を私たちの前に見せてくれる月の出の時刻は、22:42でした。昇って来る時間が遅いので、ほとんどの方は、こんな遅くに昇る月をみることはないかもしれません。

        でも、私は待ち構えていました。

       

       家の屋根のアンテナや電線がどうしても写り込んでしまうほど、まだ低い空に見え始めたお月様です。

       ちょっと残念な感じですが、工夫しても、次の電線が邪魔をして、うまくいきません。諦めて、帰宅途中に振り返ったら~

        

     公園の木の隙間に奇跡のように派に邪魔されずに月がこんな風にきれいな姿を見せてくれました。お月様も、電線が入っている姿では、きっといやだったのですね。

     振り返ったお陰で、いい月が撮れました。ただ、ちょっと手ぶれ気味だったので、撮る直そうとしたら電池切れでした~~~~っ。

     これで、今回の月の巡りで8回「ダブルお月見」ができたことになります。

     実は、この5月9日の月を撮ったあとに、今朝、この月が沈む前に、私はもう一度お月様を撮ることができました。それがこの写真です。

         

            

       ほぼ同じ時に撮ったのですが、実際の空は最初の明るい空の方です。でも、月の顔をしっかり撮るために、ズームして、もう1枚を撮りました。

       この月は、今朝の8:03まで頑張った後に沈んだのですが、再度また東の地平線から姿を現すのは、今夜の23:39です。  よほど、東空の地平線近くが見える開けた場所、もしくは、高いところから見下ろせる場所でないと昇って来た月を、今日の5月10日の日付の間にみることはできそうにありません。

       でも、最後にお月様を眺められて、「ダブルお月見」8回の新記録を樹立できました。連日の夜更かしで寝不足になったので、この記録はしばらく、そのままに。チャレンジはお預けにします。では、最後ににぎやかな大集合写真です。

      a は、沈む前の月。 bは、その日に、新たに昇ってきた月です。

   

     いかがですか?  月って、1日に1回姿を消してまた現われるなんてことを、28日ちょっとの間に、こんなにしているのですね。これで、4月30日、5月1日、7日、8日も見られていたら、12日も可能だったのですね。 見つけようとする心があれば、月って、こんなに楽しめる。ちょっと分かって頂けましたか? 

           

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日付が変わって見えた月

2023-05-09 22:35:14 | 惑星・天体ニュース

   月が昇る時間が遅くなり、どうかな?でているのかな?と思っていた昨夜。もう眠たいと思う私に、「もうちょっとだから~」と建物の上に光を放ちながら話しかけてきたお月様。外に出るほどには元気がなくなっていたので、ぼんやり、月待ちをすることに。

   すると・・・

      みえてきました。

      

        夜更かしをしてしまいましたが、こんなきれいな月が向こうから出てきてくれたのに感謝しない訳にはいきません。

        お月様、力をいつもくれてありがとう。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島「俺たちの伝承館」建設中!

2023-05-07 10:26:50 | 知ろう福島のこと

   チェルノブイリ&福島原発の写真を撮り続け、全国巡回写真展で巡りつづけている写真家中筋純さん。このブログでも「知ろう福島のこと」では、メイン登場しているので、もうお馴染みになっていますが、実は、福島でどでかいことを始めています。福島で、福島原発事故を伝え続けるための本拠地として「俺たちの伝承館」の建設を始めましたっ~~~!!!!!

   最初に、伝承館の胎動がはじまり、動き出したのはこの今、建設が始っている物件との出会いから?

   福島県小高の方の大きな協力から。 「おれたちの伝承館」 なんだか動きそうな気がしてきた  の言葉。

   (下記からは、みな中筋純さんのFaceBookからの転載なので、読める方は、直接ココでも、下の写真でもクリックして本人のサイトからみて下さいね。こちらは、そのFacebook

  から、抜粋してお届けしています)

    

        

「おれたちの伝承館_2」 2023-2-6
奇しくも原発事故を「核災」と名付けた、詩人、故・若松丈太郎さんゆかりの地、南相馬で新しいプロジェクトができることになった。
「核」といえば私たちも含め地球に生を授かった生き物にとって「太陽」という「核」エネルギーとは切ってもきれないのはご存知の通り。その核という存在が牙を剝いた二律背反を我々はどう受け止めるのか?
おれたちの伝承館の敷地は3月11日に写真のように太陽が姿を現わすだろう。
日の出は5時54分だ。
若松さんに見て欲しかった、、でも若松さんはきっと見に来てくれていると思っている。
    
  
     * グランドスペースもあるようで、上の地図の赤い直線のちょうど真ん中、黄緑の小さな矢印が、伝承館の場所のようです。それで、太陽が正面に来る感じ?
    そして、ちょっと途中省略ありますが、上の3月11日の太陽の朝日の昇るイメージが下のように、絵になっていました。
 
「おれたちの伝承館_12」          2023-3-1
東に広〜く抜ける敷地のイメージ図を作成。
木製パレットの廃棄物をもらってきて低めのステージを作ろう! それを囲むように東は海、南は原発をイメージした壁画。倉庫&工房シャッターやコンテナもラッピングしてしまおうか、、。バラスが敷かれた土地は、次々と現れるこの地の「更地」をイメージした作品になるかも、、
そして311には朝日が昇る、、。
妄想はレイヤーしてそれらを統合した時に現実になる。   
 
  
     
        実はこの土地については、この後で、こんな記事もありました。 

「久しぶりの おれたちの伝承館_15」   2023-3-16

箱をお借りしたのは、小高はもとより浪江、双葉でプロパンガス会社をやっていた浅野設備さん。

今は作業場兼倉庫がポツンと残っていて、まるでバクダットカフェのような雰囲気なのだが、2013年のストリートビューには手前にも建物がびっちり。奥の倉庫は屋根がちょっと見えるくらいなのだ。
箱そのものが被災地が歩んだ歴史とも言える。
まさに「更地のうた」だ。
 
    
 
   

  *復興、復興と言って、どんどん建物が増えているかと言って、逆に建物が今撤去するなら補助金が出るとか、いろいろな圧力あって?建物がなくなって、上の写真のように、スカスカになってしまっているところがあるのが復興だったりするようです。

    例えば、これは余談ですが、中筋さんの写真展や写真集の浪江町のストリートビュー写真で、震災後の変化を経年で同じ場所で記録されたものを比べてみせることが多いのですが・・・

    (続いている長い写真を2枚にして撮っているので、重なり部分が重複しています)

 

   普通の「復興」では、どんどん建物やひとの動きが活気づいて賑やかになるのに、この商店街では、反対に櫛の歯が欠けていくように、家がなくなっているのがわかります。

   「伝承館」も同じで、人の行き交う道にあって、トラックや家で見えなかった倉庫が、寂しくそびえ立つように見えるようになったのです。

   さて、その倉庫を「俺たちの伝承館」にする作業がどんどん進んでいます。まずは、チラシができあがっていました。(ちょっと順番が、本来ならもう少し前ですが・・・)

   

      この「おれたちの伝承館」の文字を書いたのは、福島出身の書家の方で、それについては、下記のような説明がありました。迫力ある素晴らしい字ですね。

「おれたちの伝承館_5」      2023-2-19
かつて写真展のタイトルバックの題字を書いていただいた、福島出身の書家・真藍女史におれたちの伝承館のロゴ題字を描いていただく。
文字を見ておれも喋りたくなったぁ!!な感じで!お願いしますという、抽象的な要望に見事応えていただきました。
筆文字はイラレで作れる時代なんだけど、書家が送り込んでくれる波動が滲み出る本物の筆文字はエネルギーをビシビシ感じます。
藍ちゃん、どうもありがとうね!

      ほんとうに、中筋さんの回りには、人がどんどん集まってきて、この上のチラシは「伝承館」への力添えをお願いしているチラシですが、募金先になっている「もやい展実行委員会」は・・・と、ここで説明を書こうと思ったら、こんな凄いサイトを立ち上げていました。

ココからみて下さい。こんどの「伝承館」についても、「もやい展」についても、すべて分かります。

      せっかく、ここまで書いてきたので、facebookからの抜粋も、上にそのままに残しておきますが、ここまで読んで頂いて、もっと「俺たちの伝承館」のことを知りたいという方、「もやい展」とは何と疑問に思った方は、是非「もやい展」→「おれたちの伝承館」と新たな展開を見せている中筋さんの活躍を追って、是非応援して下さい。

          <画像クリックでも「もやい実行委員会」サイトにいけます>

  

     

 オマケ) そして、うっかり中筋さんが「SDGsジャパンスカラシップ岩佐賞」(SDGs岩佐賞)を受賞したのはFacebookで知っていたのですが、受賞について、朝日新聞が下記のように大きく新聞紙上ではなくて「SDGs ACTION」というサイトでこの受賞者について紹介しているのにも、今気づきました。

      中筋さんが紹介されているのをみつけました!!!公的に、中筋さんの活動が評価されていること、ともてうれしいですね。  

 

【芸術の部】福島原発事故の災禍をアートで伝える、問いかける もやい展実行委員会

 

 

     ↑ かっこいい、中筋さんの写真もでているので、是非こちらもみてあげて下さい。

 

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7回目の「ダブルお月見」は満月後の月

2023-05-06 21:54:25 | 惑星・天体ニュース

   昨日も、日付が変わるまでは頑張って、こんなお月様を撮りました。

         

        5月6日に日付が変わってすぐ撮った2時34分にちょうど満月になる月です。透き通った水晶玉のような感じでした。太陽は燃えて見つめると目が潰れちゃいますが、透明で「物体」というより「空に浮かぶ宝石」のように私には思えます。

        そして、今日も快晴。風がめっぽう強くて、快晴とはいえ、のんびりお散歩には向いていない日でしたが、雲が来ても直ぐに吹き飛ばしてもらえそうな日でした。だから、夕方になって雲がいても、どうにかなるなと思っていたら・・・

        

         こんな具合に、同じ宝石でも水晶というより、まさにこちらは琥珀そのものという美しさでした。

         因みにネット検索してみると<琥珀の石言葉は、「活性」「繁栄」「長寿」です。 木々の葉が光によって水を分解して酸素を生み出すように、その木々の樹液からできている琥珀には負のエネルギーを排出し、プラスのエネルギーを取り込むパワーがあると言われています。 琥珀は気持ちや体力を活性させ、健やかで穏やかなパワーを充電させてくれます。>

         と出ていました。なんだか、これまで調べたことなかったですが、なぜ私がのぼりたての月の黄身色が好きなのとピッタリ一致した気がします。琥珀色!!!

         そして、これで、7回目の「ダブルお月見」達成です。

         このお月様、今も余裕で明朝5:22まで沈まないので、早起きの方は朝も見られると思います。

         先ほど、1回雲からでてきてくれて、きれいな姿も撮らせてもらえましたよ。

         

          満月パワーに元気をもらって、この世の中を歩んでいくしか仕方ありません。

          そうそう、ひとつ前の記事に書きましたが、今日はちょっと捜し物をしながら部屋を整理していて、福岡賢正さんの「小さき者たちの戦争」という本をみつけ、少し読み返して改めて味わい直しました。お月様が、また私に読み返したらと教えてくれたような気がしました。

          最後の「あとがき」に本書の後編として、「小さき者たちの平和」という本を出しているので読んでほしいとあったので、図書館で今日借りてきました。導かれるように、いい人や本に巡り会えることって、私にはけっこうあります。 本だけでなく、お茶を飲みに居間に言ったら、待っていたように点いていたテレビで ちょっど私の心を惹きつける番組が始まったり、ある人と話をしていて 大事な人を紹介してもらえたり、そんな幸運をきっとお月様がくれているように思います。これからもよろしくお願いしま~~~す。

           

 

 

 

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他者への痛みに無頓着な自己実現が「戦争」への道に繋がる #福岡賢正さんから学ぶ

2023-05-06 12:21:57 | 日記

 「小さき者たちの戦争」(南方新社。著:福岡賢正)の読後感が非常によかった。作者の思いが腑に落ち、心静かに受け止められ、清々しく感じた。しっかり読み返しながら、書き留めておきたいと思う。

1 1ページ目から凄い。昭和13年に兵役を拒否した北御門次郎さんの「暴力はどんな時でもふるってはいけない」という言葉からはじまる。著者は北御門さんに「暴漢が押し入ってきて子どもに襲いかかろうとしたら、どうするのですか?」問う。答えは明快で「暴漢と子どもの間に入って、子どもをかばいながら必死に命乞いするんです」

   でも、「平和」を守るためにこそ暴力が必要なのだという主張がある。また、戦死をめぐる英霊論と犬死に論もある。

   著者は、その間に橋はかけられないだろうか?と考えてこの本を書いたという。

 

2. 終戦後に戦死した著者の祖父 1944年8月20日に歳をくった2等兵という感じで36歳で召集され、置いていく6人の子どもと妻、両親、妹のために、自宅裏の竹藪を自分の土地と交換してもらい、藪を払い、黙々と池を掘った。そこにコイの稚魚を放ち、「太ったら食え」と子ども達に言い残して、出征していったという。

  翌年1945年8月9日ソ連参戦後、歩兵として絶望的な戦闘に放り込まれた。敗戦から14年以上たった1959年に戦死公報が届いた。終戦5日後1945年8月20日が戦死の日付。

 

3. 1942年宮崎静夫(表紙絵を描いた画家)さんの思いで。極寒の満州に送り込まれたあどけない第5次満蒙開拓青少年義勇軍の1少年が、ぜんざい1ぱいを炊事場から盗んだと裸で戸外に放り出され集団リンチを受け死去。そこに17歳だった宮崎さんもいたが、その事実を60年近く心に封印していたという。15~19歳の少年8万以上が志願して満蒙開拓青少年義勇軍に送り込まれ、2万人以上が命を落としたとされる。

  軍国少年だった宮崎さんはその後も関東軍に入隊したが、軍隊の上官達のひどさに逆にソ連侵攻に対戦車肉薄攻撃に志願するが、終戦になりシベリア送りに。帰国して画家になった。

  岸信介元首相(故・安倍晋三の祖父)は満州国の高官で、満州国を「民族協和、王道楽土の理想が輝き、近代的国作りだった。インドのガンジーも声援を送った。東亜のホープであった」と本の序文に書いたが、軍国少年として個人としてはそんなつもりではなかったが、「あれは紛れもなく侵略だった」と宮崎さんは言い切る。

        宮崎さんは、2005年ノモンハンでソ連の戦車の展示をみて、これに飛び込んだかもと思いながら、ふいに「自分も死ぬけれど、(戦車にのる)相手も故郷に家族を残している人間なんだ」と気づいたという。

  北御門さんの言うように、「ほんの少しでも暴力を正当化してしまえば、それが堤防にあいたアリの一穴となり、戦争まではあとひと息となる」 でも、北御門さんが兵隊に行かなくても、他の誰かが行く・・・「だからこそ、一個人の暴力忌避でなく、流れを跳ね返し押し戻す為のうねりを起こす努力が必要」と宮崎さんはいう。

4.特攻隊で大義に殉じた人が美しいとされたが、特攻隊が落ちて、1945年5月20日母と妹2人の命を奪われた家族がいる。

5.復員者や引揚げ者の船着き場のモニュメントはある。戦地へ送られ帰ってこなかった「出征軍馬の水飲み場」のモニュメントもある。しかし、勝ち目のない戦にほうり込まれた戦争の被害者とも言える出征していった港にモニュメントはない。彼らの犠牲を美化し愛国心を掻き立てるよすがにされてはと「左」は警戒し、出征先でおこなった日本軍の加害行為に光が当たると英霊の尊厳が傷つけられると両すくみの構図なのではないか。被害性が際立つ原爆や空襲の犠牲にばかり目を向け、加害性をまとった兵士の死は考えてこなかった戦後の日本人の精神がここに見られる。1997年加藤典洋は「敗戦後論」で。2000万人のアジアの死者に日本国民が真に頭を垂れるために、300万人の日本人戦没者の「汚れた死」を汚れたまま、まず悼まねばならないと主張。論争になった。

6.ヒロシマで、日本は被害者意識をもつことができた。画家・香月泰男さんは、「私のシベリア」の中で、満州の線路脇でみたリンチを受け全身の皮膚を剥がされた「赤い屍体」と原爆の「黒い屍体」を対比させて書いている。<戦争でしかたがないと思って兵隊に出て、たくさんの赤い屍体が生み出された。戦争の悲劇は,無辜の被害者の受難によりも、加害者にならなければならなかった者により大きいものがある。1945年、もし私があの赤い屍体をかかえて、日本人の一人一人に突きつけてあるくことができたなら、そして、一人としてそれに無関係ではないのだということを問い詰めて歩くことができたなら、もう戦争なんて馬鹿げたことの起こりようもあるまいと思う

  著者は、そこで、まずアジアの死者たちに深く頭を垂れねばなるまい。そして、加害をあがなわされる形で死んだ祖父達の死も悼みたい。そして、両方の死者たちに誓おうと思う。加害をあがなわされた死を再び悲しむことのないよう、日本人として考えつづけると。結んでいる。

7.隣人や家族として善良な人達が戦争に行くとどうして残虐な殺人ができてしまったのか(中国での殺戮に笑みを浮かべる日本兵の写真)

  軍隊内のいじめ。陰湿なしごき。それに耐えて見返してやろう。最初は躊躇があるが、慣れると日本民族は優秀で、東亜に君臨するのは当然だとおもっていた。人を殺しても痛痒を感じない「鬼」が巣くうまで3ヶ月だったという。鹿田さんの証言。

  その鹿田さんが、本当に自分のしたことを悪いと思ったのは、捕虜として全てを打ち明けて、なお周恩来の「今の戦犯は、20年後には我々のともだちになる」という遠謀によるといわれているが、無罪放免され日本にもどり、なお先のこと。結婚して、自分の娘が見合いをするという前に、元戦犯仲間と自分たちが中国でしてきたことをマスコミに証言することになり、娘のために証言は今回だけは~と断ろうかと悩み、自分が父親の前で娘を殺したことが蘇った。その父親は娘を失ったのに、ここで逃げたら、自分は人前で物をいう資格なんてない。苦しくなったが、話して・・・被害者の気持ちが分かった。加害者の立場で話すのだけれど、被害者の気持ちにならんと・・・加害者の責任もとれんという初歩的な認識をつかんだ」

  人はいとも簡単に醜くなる。でも、とことんまで醜くなりきってしまった人が、美しく生きなおせていると著者は思ったという。

8. 残忍さ

南京大虐殺の証言。1979年熊本の師団の中国での加害行為に焦点を絞った証言集を出版。創価学会青年部熊本県反戦出版委員会「揚子江がないている」松岡環さんは、加害の証言を集めていたが、老人達の話から「あれは侵略戦争だった」といいつつも、強姦の話を笑いながらするなど、心から悔いているひとばかりでなかったという。戦争が悲惨なだけなら、戦争は起こらないかも知れない。(戦争は面白い事ありましたか?)と問いかけると、「食料調達にいってクーニャンを追いかけるとか・・・」と含み笑いをする人も。下の兵隊へのいじめも・・・。

  詩集「野にかかる虹」を書いた井上俊夫さん。「日本が戦争をしていた頃は、内地におっても全然面白くなかった。満蒙開拓にしても、東北地方の貧困や農家の次・三男坊対策でもあった」という。

  戦争とは、権力が起こして民衆に協力を押しつけると考えられるが、民衆の中に、権力と共鳴しながら高揚したり、陶酔状態に陥る中で深みにはまっていったとも見える。だから、同じ事をもうしないとは言い切れない。前記の井上さんも、古参兵からいじめ抜かれる初年兵には、中国人集落の検閲は憂さ晴らしになったという。戦争に負けて、反対に向こうの兵隊に銃剣を突きつけられて、初めて怖さがわかった

  相手の人格を忘れて、自分の欲望を満たすようになると、人は力の感覚に酔う。

  他者の痛みや悲しみに無頓着なまま、ひたすら個々人がバラバラに自己実現を目指す。そんな「平和」では、阻害された人々が高揚感や生きがいや力の感覚を求めて、再び戦争へと導かれかねない。

  目指すべきは他者を踏み台にするのではなく、他者との感情の交流によってえられるしみじみとした幸福感を大切にする文化だ。

 

この本を読んで、平和の基本は非常に明快で単純なことと思った。それは、自分以外の立場に立てる人間なら戦争は起きないということだ。普段から、いろいろな国も立場も違う人達ともけんか腰でなく、しなやかに、謙虚に互いの理解を深め合う努力を怠らない。

今、ウクライナ侵攻でロシアは西側諸国では厄介者扱いだ。しかし、第2次大戦では日本が今のロシアのように、周辺国から取り残され、孤立し、資源もなく、活路を求めて戦争を始めてしまった。ロシアの民間施設攻撃や、そもそも話し合いもなく突然の侵攻は許しがたいが、このまま兵器を増やして戦争が泥沼化する前に、何かできないものか。このままでは、軍需産業だけが大喜び。ウクライナでも、ロシアでも人がどんどん命を失う事態をどうにか避ける手立てはないものか。非力過ぎて何もできないが、まず、ロシアを少しでも理解してみようと、「ロシア点描」(小泉悠:著)を読んだ。知ること、平和への道を模索することを諦めないこと。奇跡を待つより、何か探していく。その先にしか「平和」は訪れないだろう。平和のために、私は何ができるだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする