中区基町の広島城跡の中に広島市に近代水道が引かれた記念として造られた「桜の池」でした。
東区牛田にある広島市水道資料館を見学した時、次のようなことを知りました。
『(旧広島市域では)太田川の水をそのまま飲用していたため、伝染病の流行の原因となっていました。
明治27年の日清戦争の勃発により、軍用水道の整備が急がれ、これに併せて市民水道も整備することになりました。
布設計画は、英国人技師W.K.バルトンが中心となって作成され、明治31年8月に、全国5番目の近代水道として完成しました。』
現在は遺構として整備され残されています(管理上の問題からか、現在水は溜められていません)。
(裕編集の)広島城跡桜の池跡
東区牛田にある広島市水道資料館を見学した時、次のようなことを知りました。
『(旧広島市域では)太田川の水をそのまま飲用していたため、伝染病の流行の原因となっていました。
明治27年の日清戦争の勃発により、軍用水道の整備が急がれ、これに併せて市民水道も整備することになりました。
布設計画は、英国人技師W.K.バルトンが中心となって作成され、明治31年8月に、全国5番目の近代水道として完成しました。』
現在は遺構として整備され残されています(管理上の問題からか、現在水は溜められていません)。
(裕編集の)広島城跡桜の池跡
10月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり