「平成」最後の日に何を紹介するかと思ったとき、
“令和”の御代が幾年続くかはわかりませんが、(“平成”と同じくらい続くとすれば)令和が終わるころには、被爆者がいない時が来るのではと思いましたので「被爆者が描いた絵・碑など」編にしました。
『被爆者が描いた絵をひとりでも多くの人に見てほしい。
そのために風雨に耐えうる陶板画にして、描かれたその街角に返そう、それが「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の取り組みで、
街角に設置した陶板画の碑は、かつて原爆を身をもって体験した人たちも、それを知らない若い世代の人たちも原爆の真の恐ろしさを知り、平和の尊さを実感できるものになるはずです。』
と原爆の絵を街角に返す会は云っています。
碑の設置は、10箇所にとどまっています。
費用的な問題もなくはないのでしょうが、乗り越えなければならない一番の障害は設置場所がなかなか見つからないという事を聞いたことがあります。
それは設置の陶版画が目をそむけたくなるような原爆の悲惨な実相が描かれた絵だからと聞きます。
そして、最大の問題は、碑の設置を推し進めていた、随筆家・早坂暁さんが2017年12月に亡くなったことです。
原爆関連の慰霊碑と違い10箇所ですので、よければ見てください。
(裕編集の)「被爆者が描いた絵・碑など」編
“令和”の御代が幾年続くかはわかりませんが、(“平成”と同じくらい続くとすれば)令和が終わるころには、被爆者がいない時が来るのではと思いましたので「被爆者が描いた絵・碑など」編にしました。
『被爆者が描いた絵をひとりでも多くの人に見てほしい。
そのために風雨に耐えうる陶板画にして、描かれたその街角に返そう、それが「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の取り組みで、
街角に設置した陶板画の碑は、かつて原爆を身をもって体験した人たちも、それを知らない若い世代の人たちも原爆の真の恐ろしさを知り、平和の尊さを実感できるものになるはずです。』
と原爆の絵を街角に返す会は云っています。
碑の設置は、10箇所にとどまっています。
費用的な問題もなくはないのでしょうが、乗り越えなければならない一番の障害は設置場所がなかなか見つからないという事を聞いたことがあります。
それは設置の陶版画が目をそむけたくなるような原爆の悲惨な実相が描かれた絵だからと聞きます。
そして、最大の問題は、碑の設置を推し進めていた、随筆家・早坂暁さんが2017年12月に亡くなったことです。
原爆関連の慰霊碑と違い10箇所ですので、よければ見てください。
(裕編集の)「被爆者が描いた絵・碑など」編
平成31年4月30日
(安芸区のわが家付近)天候:曇り(雨模様)