住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

四国遍路行記7

2005年07月25日 13時59分02秒 | 四国歩き遍路行記
焼山寺からの山道を降りきると、国道を東に向かう。途中工事現場の横を何度か通る。近年大型バスで四国を廻る人たちが増え、札所へ向かう道はどこも拡幅工事が急ピッチで行われている。昔は土の踏みならした道だったろうにと思いながらも、焼山寺の帰りなのでアスファルトの道も苦にならず歩く。

大日寺へあと15キロばかりという辺りで暗くなる。この日はまだ3日目というのに初めての遍路のせいか少し疲れを感じ、宿へ入ることにした。遍路道沿いの小さな宿。3日ぶりに風呂に入りさっぱりする。

大日寺までの道は途中山に入ると番外の札所や奥の院があったりするようだった。余裕があれば覗いてみたいと思いながら、先の長い道のりを思い躊躇した。国道は大型トラックが頻繁に往来する。網代傘が吹き飛ばされそうになりながら歩く。

13番大日寺は、国道向かいにある一の宮の神宮寺である。明治まで寺と神社一体で経営されてきたのであろう。おそらく今お寺のあるところが僧坊で、社殿に出向き読経によるお勤めが長く行われてきたのである。地域のお祭りといえば、住職が社殿に入り仏式の作法によって神様に御輿にお移りいただいたはずである。

明治初年の神仏分離令によって社殿から仏像のようなご神体を廃し、土地の境界を定めた。その境界がここでは国道によって明確に分離された。痛々しいばかりである。国道から境内に上がると、合掌した掌の中に仏様がおられた。新たな試みの中に辛い歴史を背負っているが故の優しさが垣間見れるようであった。

14番常楽寺へは、国道を少し住宅街に入り、大きな池の先にあった。境内が流水岩と言われる水が流れた後のようなゴツゴツした岩盤で覆われた珍しいお寺だ。本尊は弥勒菩薩。釈迦滅後56億7千万年後に現れるとされる弥勒仏が仏に成らんが為に修行されているお姿を弥勒菩薩という。四国の八十八カ所の中では唯一の弥勒さん。

15番國分寺へは、住宅街を抜けて歩く。本堂の重層屋根の背の高さが目を引く。入ると下は土間であった。本堂右手に諸尊を配した小さなお堂が続いている。大師堂前の光明真言一切三宝供養の為の大きな石塔婆が立派であった。珍しく曹洞宗のお寺。

16番観音寺は住宅街から商店街へ抜けたところに位置していた。お堂の偉容に比べ境内が極端に小さい。17番井戸寺へは商店街をひたすら歩く。本堂は鉄筋コンクリート造り。本尊は七仏薬師。東方浄瑠璃世界の教主である七仏のことで、薬師瑠璃光如来を主体とする吉祥王如来、宝月智厳光音自在如来などの七仏を言う。息災と安産を特に祈る仏たちのようだ。ここには霊水の井戸があり、持ち帰れるようになっている。

ここから先は徳島の市街に入る。国道に出て徳島駅の前を通る道に差し掛かった頃暗くなってしまった。住宅街の大きな一軒に声を掛けて軒先に寝かしてもらおうと思ったが、断られてしまった。そこで、近くのスーパーで海苔巻きとお茶を買い込み、この日は学校の駐輪場でひっそりと一夜を明かした。
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