住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

いかにあるべきか

2005年07月13日 19時45分23秒 | 時事問題
国民の関心事、郵政民営化法案が衆議院を通過した。しかし、自民党の議員の51人が党議拘束を違反してまでこの法案に反旗を翻した。立派なことではないかと思う。これまでとは違う雰囲気が政界に醸成されてきたということか。と言うよりもそこまで、政党の存立意義がぐらついているということなのかもしれない。

今の自民党執行部に乗っていて良いのか、反対した方が将来有利に風向きが変わるのではないかと読んだ向きもあるかもしれない。しかしここは、本来あるべき姿に回帰したものと思いたい。本来こうあるべきなのではないか。これまで所謂今批判の的である談合そのままに、国会こそ馴れ合い体質のままやってきたということではないのか。何のための政党助成金か。こんな身勝手な政党を国民の税金で養っているのは日本だけではないのか。

議員とはいかなるものかと考えたとき、すべての法案に対して個々に自主判断して票を入れるべきではないかと思う。だからこそ各地から議員を選挙で選んでいるのではないか。たくさんの税金を使って選び、歳費を払い、優遇された議員年金まで払って議員を養い、議会を開き、法案を審議している。

それなのに個々の議員の意思を尊重することなく日本の国会は党議拘束で縛った上での票決が常識化している。党の言うとおりに票を入れるだけなら、これだけの議員は必要あるまい。ただ政党の支持率だけで法案の可否を決めたらいい。

党の言うままにこれまで言いなりになっていた議員たちは、本来の自分の仕事を放棄していたことにもなる。ただ上の人間の言うままにその通りのことをするだけに存在しているならば、全くその存在意義を疑いたくなる。

しかし問題は彼らだけのことでは済まないのかもしれない。国の行政を担う人々をはじめ、その組織を取り巻くすべてが、そして、そもそも私たちの仕事の多くが、そうしたものなのではないか。それまでの慣習、おおかたの意向、目上の存在を意識して、意に沿うようにやってきただけなのかもしれない。

本当に自分で自力でいかにあるべきかと考え抜き、こうあるべきだと本気で実行しているものなどどれだけあるだろうか。目先の利益に翻弄されることなく、長い目で見たとき、それが本当に自分のためでもあり、周りの人たちのためでもあり、生きとし生けるものたちのためになることをどれだけしているだろうか。

国家を司る立場の人々には、特に、それが本当に国のためになるのか。国民一人一人のためなのか。世界の沢山の人々のためになるものなのかを本気で考え、推進して欲しい。

そして、お寺に暮らす者の一人として、いかにあるべきか。何を語るべきか。それが仏教のためなのか。仏教を今日まで伝えて下さった先師たちに報いるものなのか、が私には問われているのであろう。この度の自民党議員の勇気を称賛したい。
コメント (3)
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