住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

慈悲の心と実践

2005年07月30日 20時26分18秒 | 仏教に関する様々なお話
私たちは誰もが幸せでありたいと願う。競争社会にあっては誰よりも早く立派な成績を残して出世し果実にありつきたいと思う。他を押しのけてさえ自分を売り込むことが優先される。その結果常に落ち着かないゆとりのない、心を病んだ状態に多くの人が置かれている。今の私たちの社会そのものである。

たとえ幸せへの鍵だと思った場所に至ってみても、そこで味わう幸せは一瞬のものにすぎず、すぐにより過酷な競争の渦に巻き込まれている自分に出会う。私たちの心の平安は終ぞ訪れないということなのであろうか。

私たちは皆同じものを追いかけねばならないのであろうか。私たちは一人一人みな能力も思いも感受性も異なる。みんな生まれから生きる環境まで同じではない、平等ではないことを知り認めることも必要なことであろう。そうしてこそ一人一人が存在する価値が見いだされるのではないか。私たちそれぞれが生きる尊さがそこにこそ見いだされるのではなかろうか。

しのぎを削るようなギスギスした関係の中に生きるのではなく、私たちは他の存在を認め共に安らぎを感じられる生き方に転換すべきではないか。お釈迦様は他の命に対してどのような心を持つべきかということについて慈悲の心を教えて下さった。慈悲の心は、四無量心、つまり慈・悲・喜・捨という四つの心のもちようとして教えられている。

慈は、他のものたちと敵対するのではなく友情の気持ちをもち、怒りではなく友愛の情を育てることです。自分と他の生命、つまり愛する者も無関係にある者もまた敵対している者も、同じ命であるとのやさしい慈しみの心でそれらの幸せを願い、その心を生きとし生けるものに無限に広げていくことです。

悲は、他者の苦しみに際し傍観したりもの惜しみすることなく、同情し苦しみを除いてあげたいという気持ちを育てることです。すでに友情の気持ちを抱いた他の生命たちの苦しみが無くなりますようにと願い、その心を生きとし生けるものに無限に広げていくことです。

喜は、他者の幸せに嫉妬することなく、共に喜ぶ心を育てることです。友情の気持ちを抱いた他の生命たちの喜びに共感し、その心を生きとし生けるものに無限に広げていくことです。

捨は、他者に対して恨みや愛著の念をいだくことなく平静なる無関心の態度でいる心を育てることです。生きとし生けるものを好き嫌いなく、みな平等であると見て、その心を生きとし生けるものにも無限に広げていくことです。

そして、この四無量心をより具体的に実践する教えとして四摂法があります。四摂法とは、布施・愛語・利行・同事の四つで、布施は、財施、法施、無畏施など施しを行う実践的行為のこと。愛語は、相手のためになる親切な慈愛のこもった言葉をかけること。利行は、相手の立場に立って相手の利益になる行為をなすこと。同事は、自他の区別を立てず一つのものとして捉え、全体の利益のために行うこと。

四無量心と四摂法を日々実践することによって、複雑化した社会に暮らし様々なトラブル、病気の不安、自らの過失などによって引き起こされる悔恨、憂慮、煩悶、自責の念からも解放され、淡々と一日一日を生きることが出来るようになるであろう。
コメント (1)
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