早速お風呂に入る。立江寺さんの歩き遍路に対する歓待に感謝しつつ、昨晩のことを思うと嘘のようであった。自転車置き場にこそこそと入り込み横になる晩もあり、またこうして勿体ない宿坊に接待を受ける日もあり、その日その時の境遇を素直にありがたく受け入れねばならない歩き遍路の心構えを早くも学ばされた。
泊めていただいた楓の間には「妙應無方」と書かれた掛け軸があった。どんな意味なのか、どんなところでもそのままに応じて受け入れよ、とでもいう意味なのか。近づいて見ると戦後まもなくに高野山の管長にもなられた八栗寺の中井龍瑞猊下の書であった。
真言密教の坐禅である阿字観(あじかん)を多くの人に勧められ、以前私も「密教の一字禅」という本を読ませていただいたことがあった。その晩は足の痛みも忘れて坐禅にいそしんだ。
翌朝、6時半頃玄関に行くと、Aさんがいて、私のことを待っていてくれたのか昨日と同じように一緒に歩き出された。昨日は夕暮れで気がつかなかったが、境内には人の丈の三倍はあろうかという立派な修行大師像がそびえ立っていた。山門で振り返り、丁寧に一礼して歩き出す。
20番鶴林寺への道は、細い舗装道路が続く。途中飛ばす車によけられながら進む。大きな夏みかんの木のある集落から山道に入る。山の道に何段もの石段が現れた。12時頃山門を入ると鶴の彫像が出迎えてくれて鶴林寺に到着。
庫裏から石段を登ると徳島県最古の三重塔が美しく、その上に地蔵菩薩を祀った本堂があった。鶴林寺は山号を霊鷲山と言う。霊鷲山(りょうじゅせん)とは、インドのかつてお釈迦様が説法された場所と言われる山のこと。山の頂が鷲に似ているからと言われるが、鶴林寺の山が鷲に似ているとは思えなかった。
太龍寺への道は宿坊脇の道を降りていく。ひたすら山道をあるく足が心地よい。次第に足の痛みも和らぐような感じがする。それでも相変わらず右足首の痛みは残り、かばいつつの歩みであった。
大井あたりで鶴林寺の住職に出会った。法事か何かだったのだろう黒い改良服姿で、温和ないい顔をされていた。道案内を受け、先に進む。太龍寺山に上がる道の横に小川があり、Aさんには先で休んでもらい、一人裸になり水を浴びる。
さすがに冷たかった。だが、体が凜として、着込んで歩き出すと五日前に歩き出したときの、はつらつとした感覚が思い出された。山の遍路道を上がると太龍寺山門が突然現れる。もうすでに夕刻が迫っていた。
てくてくと お前も遍路か かたつむり
行けども 行けども ツツジが香る
こらこら車 そんなに急いで いいことあるか
太龍寺へ 道案内か トンボたち
泊めていただいた楓の間には「妙應無方」と書かれた掛け軸があった。どんな意味なのか、どんなところでもそのままに応じて受け入れよ、とでもいう意味なのか。近づいて見ると戦後まもなくに高野山の管長にもなられた八栗寺の中井龍瑞猊下の書であった。
真言密教の坐禅である阿字観(あじかん)を多くの人に勧められ、以前私も「密教の一字禅」という本を読ませていただいたことがあった。その晩は足の痛みも忘れて坐禅にいそしんだ。
翌朝、6時半頃玄関に行くと、Aさんがいて、私のことを待っていてくれたのか昨日と同じように一緒に歩き出された。昨日は夕暮れで気がつかなかったが、境内には人の丈の三倍はあろうかという立派な修行大師像がそびえ立っていた。山門で振り返り、丁寧に一礼して歩き出す。
20番鶴林寺への道は、細い舗装道路が続く。途中飛ばす車によけられながら進む。大きな夏みかんの木のある集落から山道に入る。山の道に何段もの石段が現れた。12時頃山門を入ると鶴の彫像が出迎えてくれて鶴林寺に到着。
庫裏から石段を登ると徳島県最古の三重塔が美しく、その上に地蔵菩薩を祀った本堂があった。鶴林寺は山号を霊鷲山と言う。霊鷲山(りょうじゅせん)とは、インドのかつてお釈迦様が説法された場所と言われる山のこと。山の頂が鷲に似ているからと言われるが、鶴林寺の山が鷲に似ているとは思えなかった。
太龍寺への道は宿坊脇の道を降りていく。ひたすら山道をあるく足が心地よい。次第に足の痛みも和らぐような感じがする。それでも相変わらず右足首の痛みは残り、かばいつつの歩みであった。
大井あたりで鶴林寺の住職に出会った。法事か何かだったのだろう黒い改良服姿で、温和ないい顔をされていた。道案内を受け、先に進む。太龍寺山に上がる道の横に小川があり、Aさんには先で休んでもらい、一人裸になり水を浴びる。
さすがに冷たかった。だが、体が凜として、着込んで歩き出すと五日前に歩き出したときの、はつらつとした感覚が思い出された。山の遍路道を上がると太龍寺山門が突然現れる。もうすでに夕刻が迫っていた。
てくてくと お前も遍路か かたつむり
行けども 行けども ツツジが香る
こらこら車 そんなに急いで いいことあるか
太龍寺へ 道案内か トンボたち